第三十八話「川瀬さんが、恋管に来ることになった」
数日後、恋管にシステム監査が入った。年に一度の、定例の監査だ。保守課が一番忙しくなる時期だと、鶴田が言っていた。普段は閉じているデータ領域を、点検のためにすべて開く。一年に一度だけ、恋管のすべてが、画面の上に並ぶ週だった。
◇
その監査に合わせて、川瀬奈緒の苦情申し立てが正式に受理された。
「川瀬奈緒様の介入継続理由開示請求を受理しました。対象者本人への説明の場を、恋管にて設定します」
システムからの通知だった。日時が指定されていた。来週の午後。彼女が「聞けない」と言った質問の、制度を通した版だ。個人には聞けないことを、窓口に出した。窓口は、それを受理した。
◇
課長に呼ばれた。
「川瀬案件の対象者が、来る。お前が説明しろ」
「俺が、ですか」
「担当だろう。なぜ介入を継続しているのか、対象者本人に説明する。それが筋だ」
「はい」
「説明できるか。お前がなぜ川瀬奈緒に会いに行き続けているのか。それを本人の前で、制度の言葉で説明できるか」
俺は、答えられなかった。制度の言葉で説明する。継続確認のため、と書くことはできる。けれど、それは本当の理由ではない。本当の理由を、俺はまだ言葉にしていない。言葉にしていないものを、本人の前で、制度の言葉に翻訳して説明しろと、課長は言っている。
「できないなら、終了処理を出せ。それで全部終わる」
俺は答えなかった。課長は、それ以上は言わなかった。ただ、その「終わる」の言い方が、突き放すものではなかった。逃げ道を一つ、わざと開けておく。そういう言い方だった。
配属の日、この同じ課長から、スタンプを渡された。「案件が終わったら、これを押せ」と言われた。三年間、一度も押せなかった。終われと言った人間が、今、また「終わる」と言っている。三年前と同じ声で。ただ三年前と違って、今日の課長は、終われとは言わなかった。終わらせる道があると、示しただけだった。
◇
廊下で、鶴田が待っていた。
「来週、川瀬さんが来ますね」
「はい」
「監査の週です。保守課は、データを全部開いて点検します」
「それが、何か」
鶴田は少し間を置いた。
「データを開く週は、画面に色々なものが表示されます。普段は閉じている領域も、点検のために開きます」
「何が言いたいんですか」
「……」
鶴田は、それ以上言わなかった。いつもの「計算中」も、言わなかった。何かを言おうとして、口を閉じた。胸ポケットの機器を、一度だけ見た。それから、首を小さく振って、保守課へ戻っていった。
鶴田が、言おうとして、言わなかった。それは、初めてだった。いつも「計算中」で逃げる男が、今日は「計算中」さえ言わずに逃げた。逃げるほどのことが、来週、画面の上に並ぶということだった。
◇
来週の午後。川瀬奈緒が、恋管に来る。
デスクで、説明資料の表紙を見た。「介入継続理由について」。まだ、一行も、書けていなかった。書けない理由を制度の言葉に直すと、それはそのまま、押せないスタンプの理由になった。三年間押せなかったものと、今書けない一行は、たぶん、同じ場所から来ていた。
次話「恋管の、待合室」




