第三十五話「鶴田が、恋管の外で待っていた」
翌朝、恋管に着くと、入口の前に鶴田が立っていた。職場の外で鶴田を見るのは、初めてだった。コートの襟を立てて、白い息を吐いていた。胸ポケットの機器を一度だけ確かめていた。
「鶴田さん、なぜ外に」
「森本さんを待っていました」
「なぜ中で待たないんですか」
「中だと、記録が残るので」
◇
記録が残らない場所で、話したいことがある。あの鶴田が。いつも「記録には残しません」と言いながら何かを渡してきた男が、今日は記録の残らない場所そのものを選んだ。
「歩きながら、いいですか」と鶴田が言った。
恋管の周りを、二人で歩いた。冬の朝で、人通りは少なかった。
「計算が、もうすぐ終わります」
「何の計算ですか」
「それは、終わってから言います。今日言いたいのは、別のことです」
鶴田は前を見たまま歩いた。
「川瀬さんが、近いうちに恋管に来ます」
「なぜわかるんですか」
「折衝課への苦情申し立ての準備をしています。システムに、申請の下書きが残っています」
「苦情。俺に対する、ですか」
「内容は『介入の継続理由の開示請求』です。森本さんがなぜ来続けるのか、正式に説明を求める。そういう形です」
◇
奈緒が、俺がなぜ来るのかを、正式に問おうとしている。個人には聞けない質問を、制度の窓口を通して聞こうとしているのか。先週、「聞けない質問がある」と言った。聞けないから、制度に聞く。個人の口では聞けないことを、書類にして、窓口に出す。それは、彼女なりの、まっすぐな方法だった。
「鶴田さん、なぜそれを俺に教えるんですか」
鶴田は立ち止まった。少しの間、答えなかった。
「……理由を数値で説明することはできません。今日は計算ではなく、判断で動いています」
「判断、ですか。あなたが」
「はい。私が判断で動くのは年に数回です。今日がその一回です」
「森本さんが何も知らないまま川瀬さんと会うのは、計算上、よくないと判断しました」
「計算上」
「はい」
「鶴田さんは、俺に、何を知ってほしいんですか」
鶴田は少し黙った。冬の朝の、白い息が見えた。いつもより、長く黙った。何かを言うかどうかを、計算しているようだった。
「……森本さんは、自分のPAIRデータがなぜERRORなのか、知りたいと思ったことがありますか」
唐突だった。
「あります。配属以来、ずっと」
「その答えはたぶん、川瀬さんの苦情申し立てより先に森本さん自身が気づくべきものです。私が言うと計算が変わるので」
「……俺のERRORと、川瀬さんの苦情に、関係があるんですか」
「まだ、計算中です」
それだけ言って、鶴田は恋管の中に入っていった。
◇
俺は外に立ったまま、白い息を見ていた。鶴田は何かを知っている。ずっと知っている。俺に関する何かを。俺のERRORについて、俺より先に、答えを持っているような口ぶりだった。
恋管の建物を見上げた。折衝課の階だけ、窓が一つもない。外からでも、その一階分だけが、目を閉じているように暗かった。目を閉じた階で、俺は三年間、自分のERRORの理由も知らないまま、人の縁を折りに通ってきた。
次話「コーヒーを、淹れさせてくれませんか」




