第三十四話「9%の案件は、礼を言った」
翌週、別の案件が入った。対象者、高梨優子、29歳。PAIR算出スコア、9%。
9%。川瀬奈緒の11%より、低い。たった2%。されど、低い。
◇
高梨優子の部屋は、川瀬奈緒の部屋と少し似ていた。整頓されていて、本が多くて、窓があった。窓の外は住宅街で、公園はなかった。ブランコも、なかった。似ているのに、決定的に違う部屋だった。何が違うのか、最初はわからなかった。少し話して、わかった。この部屋には、コーヒーが二つ、用意されていなかった。
「9%なんですよね、私」
「はい」
「低いですよね」
「11%の方を、担当したこともあります」
言ってから、なぜ言ったのか、わからなかった。比較する必要のない情報だった。ただ、口が勝手に、川瀬奈緒のことを持ち出していた。
「11%の人は、どうなりましたか」
「継続中です」
「諦めていないんですか、その人」
「諦めていません」
高梨優子は少し笑った。
「いいですね。私は、もう疲れちゃって」
疲れた、と高梨優子は言った。その言い方に、嘘はなかった。諦めることを、悪いことだとも思っていない。ただ、もう続けられないだけだ。それは、責められることではなかった。むしろ、自然なことだった。自然でないのは、11%で諦めない方だった。
◇
「9%って、ほぼ0%ですよね」と高梨優子が言った。
「0%では、ありません」
川瀬奈緒の言葉を、俺が使った。彼女の口癖が、いつのまにか俺の口に移っていた。
「でも、限りなく0%ですよね」
「統計的には、そう言えます」
「じゃあ、もういいです。折ってください」
高梨優子は、本当に疲れた顔をしていた。疲れることに、疲れた顔だった。諦めるのも、体力がいる。その体力が、もう残っていない顔だった。
◇
手順書通りに話した。高梨優子は頷いて、最後に「ありがとうございました」と言った。礼を言われた。折ってもらえて、楽になったのだと思う。川瀬奈緒は、一度も俺に礼を言わなかった。折られることを、受け入れていないからだ。礼を言う人と、言わない人。折衝課にとっては、礼を言う人の方が、正しい結果だった。それなのに俺は、礼を言わない人のところに、通い続けている。
書類を閉じた。また別の一件。接触は、一回だった。
9%でも諦める人間がいる。11%で諦めない人間がいる。1%の差ではない。2%の差でもない。これは、数字の差ではない。では、何の差だ。高梨優子と川瀬奈緒の違いを、PAIRは2%として出力する。けれど、二人を分けた本当のものは、その2%の中には入っていない。
スタンプは、出さなかった。
◇
駅のホームで、端末が震えた。鶴田からだった。
「ザイアンス係数、川瀬案件、閾値に到達しました。」
その下に、もう一行あった。
「何の閾値かは、まだ、お伝えできません。」
閾値に、到達した。何が起きるのかは、書いていなかった。九回前に0.41で見た折れ線が、ついにどこかの線に届いた。届いた先が何なのかだけが、伏せられたまま、電車が来た。乗らずに、もう一本、見送った。閾値に届いた日くらいは、急いで帰る気になれなかった。
次話「鶴田が、恋管の外で待っていた」




