第三十一話「月末まで、あと十四日」
翌朝、デスクに着くと鶴田が来た。
「川瀬さんへの通話記録、業務上の接触として処理されました。問題ありません」
「その文面、昨日も見ました」
「はい。記録上も、昨日と同じ処理です」
鶴田は端末を閉じなかった。いつもなら用件を終えるとすぐ去る。今日は、俺のデスクの横に立ったままだった。
「もう一件、連絡があります。川瀬案件の終了処理期限が、今月末です。月末に処理が出なかった場合、課長への正式報告が義務になります」
「わかっています」
「わかっている、という返答は記録できます。ただ、処理は進んでいません」
「進める理由が、まだありません」
「終わらせない理由は、昨日書いていました」
俺は顔を上げた。
「見たんですか」
「所見欄は、担当者の任意記録です。通常、保守課は見ません。ただし、異常な接触回数が続く案件は、監査ログに引っかかります」
「異常」
「はい。三十回を超えています」
三十回を超えている。最初の訪問から数えると、もうそんな数になっていた。数字にされると、急に遠くまで来た気がした。
◇
「鶴田さん」
「はい」
「計算が、もうすぐ終わると言っていましたね」
「はい」
「終わったら、何が変わりますか」
鶴田は少し間を置いた。胸ポケットの機器を、一度だけ見た。自分の心拍を確かめてから答える。それが鶴田の癖だった。重要なことを言う前ほど、その仕草が長い。今日は、長かった。
「変わることと、変わらないことがあります」
「具体的に言えますか」
「今日は言えません。ただ、計算が終わったとき、森本さんに言います。それだけです」
「なぜ、終わるまで言えないんですか」
「先に言うと、森本さんの行動が変わります。行動が変わると、計算結果も変わります。観測が、結果を動かしてしまう」
鶴田は廊下に出た。0.3σの話のときと、同じことを言っていた。測ると、変わる。鶴田はずっと、それを気にしている。
◇
午後、終了処理書類を開いた。
川瀬奈緒 / 介入完了 / 調整終了。
いつもの文字列だった。何度も見た。何度も閉じた。今日は、その下に昨日の所見が残っていた。
「川瀬案件は、その中で——一番、終わらせたくない。」
自分で書いた文なのに、他人に見られた文のように見えた。業務文書ではない。報告でもない。言い訳でもない。ただの本音だった。
消そうと思えば、消せる。消したところで、書いた事実は俺の中から消えない。
終了処理の画面を閉じた。送信しなかった。
◇
夕方、課長からメッセージが来た。
「月末までに処理方針を提出しろ」
前なら「終了処理を出せ」だった。今日は「処理方針」になっていた。終わらせるか、続けるか。その理由を、言葉にしろということだ。
言葉にできないから、終わらせられない。終わらせられないから、言葉にしなければならない。
同じ場所を回っている。
◇
夜、鶴田からもう一通メッセージが来た。
「ザイアンス係数、接触十九回。閾値まで、あと数回です」
何の閾値かは、書いていなかった。
月末まで、あと十四日。
何かが終わる期限と、何かが始まる閾値が、同じ方角へ近づいていた。
次話「聞けない質問を、まだ聞かない」




