第二十八話「折衝課には、窓がない」
その日、デスクに戻って、ふと気づいた。
(折衝課に、窓がない)
◇
壁を見た。4面の壁、全部。窓がない。
(なぜ今まで気づかなかったのか、わからない)
(ただ、気づいてしまったら、急に狭く感じた)
◇
鶴田に廊下で声をかけた。
「折衝課に、窓がないんですね」
「設計上の仕様です」
「なぜ窓がないんですか」
「外を見ると気が散るからではないですか」
「何から気が散るんですか」
「……折りに来る案件から、ではないですか」
「保守課には窓がありますか」
「あります。川沿いの席です。今の時期は枯れ木が見えます」
「架橋課は」
「大きな窓があります。折衝課だけです、窓がないのは」
◇
鶴田は何かを考えているような顔をした。
「設計上の意図があると思います。外を見ない方が、折れる。外の世界を見ると、折れなくなる人間が出てくる——そういうことかもしれません」
(外を見ない方が、折れる)
「計算して出した答えですか」
「観察です。計算ではありません」
◇
デスクに戻った。川瀬案件のファイルを開いた。
(川瀬奈緒の部屋には窓がある。窓の外に公園がある。ブランコがある。子供が誰も乗らないブランコが、風に揺れている)
(俺は何度も、その部屋に行って、窓の外を見た。折衝課では見られない外を、毎回見ていた)
◇
所見欄に一行書いた。
「折衝課に窓がないことに、今日初めて気づいた。川瀬奈緒の部屋の窓から、毎回、外を見ていた。折衝課は、外を見ないように作られている。」
試しに、折衝課の壁に手を当てた。冷たかった。窓がない壁は、外の気温を伝えない。それなのに、冷たさだけはある。
この部屋で、人の恋を折る説明を何百回も練習してきた。モニターには対象者の名前と数値が並び、壁には何も映らない。何も見えない場所で、何かを終わらせる訓練をしてきたのだと思うと、急に息苦しくなった。
もしここに窓があったら、俺は最初の案件でスタンプを押せただろうか。あるいは、もっと早く押せなくなっていただろうか。答えはわからない。ただ、川瀬奈緒の部屋に行くたびに、俺はブランコを見た。あれは景色ではなく、たぶん、逃げ道だった。
折衝課には逃げ道がない。だから、終わったことにできる。
窓のない部屋で働いていると、外がないことに慣れる。
慣れると、外を見たいと思わなくなる。外を見なければ、誰かの生活も、誰かの朝も、誰かが淹れるコーヒーも、数字の外側にあるものを考えずに済む。
折衝課は、外を見ないように作られている。
それは設計上の仕様ではなく、たぶん思想だった。
窓のない部屋は、効率がいい。外が見えなければ、終わらせることに集中できる。だが、効率のために窓を奪うのは、人から逃げ道を奪うのと同じだった。逃げ道のない部屋で、人は何でも終わらせられる。終わらせたあとに何が残るかを、見なくて済むからだ。
川瀬奈緒の部屋には、窓があった。逃げ道のある部屋で、彼女は逃げずに待っていた。俺はその思想から少しずつ外へ出ていた。折りに行っているつもりで、窓を見に行っていたのかもしれない。
次話「コーヒーが、薄くなった」




