第二十二話「外で話した日」
インターホンを押した。
「……また来たんですか」
「来ました」
「今日、外で話しませんか」
◇
「……外で、ですか」
「はい。窓から毎回見ている公園です。折衝さんも来る途中に通りましたよね」
「通りましたが——業務上の接触は記録として残す必要があって——」
「公園のベンチでも記録はできますよね」
「……できますが」
「では、外でいいですよね」
◇
公園は、マンションの裏手にあった。川瀬奈緒の部屋の窓から見えていたブランコが、今日は目の前にあった。12月の午後、公園に人はいなかった。ベンチに並んで座った。
(部屋の中より、少し広く感じた)
(同じ人間が隣にいるのに、不思議だと思った)
「いい天気ですね」と川瀬奈緒が言った。
「そうですね」
「外に出るのって、久しぶりです。折衝さんが来る日だけ、ちゃんと起きています」
(業務上の接触として処理される発言だ)
(今日それが言えなかった)
「……仕事は、何をされているんですか」
聞いたことがなかった。ファイルには「在宅勤務、翻訳業」とある。ただ一度も聞いたことがなかった。
「技術文書の翻訳です。機械の仕様書とか、システムの取扱説明書とか」
「……向いてそうですね」
言ってから気づいた。手順書にない発言だった。
「なぜですか」と川瀬奈緒が聞いた。
「……丁寧に言葉を選ぶので」
川瀬奈緒は少し驚いた顔をした。それから、今まで見た中で一番、素直な形で笑った。
「折衝さんに誉められるとは思いませんでした」
「……業務上の観察です」
「そうですか」
◇
ブランコが風に揺れた。
「技術文書って——人間の感情が一切出てこない文章なんです。数字と仕様と手順だけで。それを訳すのが好きで」
「なぜですか」
「感情を抜いた言葉の方が、かえって正確なことがある気がして」
(感情を抜いた言葉の方が、正確)
(その感覚を——俺は知っている気がした)
「……そうですね」
「折衝さんも、そう思いますか」
「……今日は、その質問には」
「答えられない、か——」川瀬奈緒は笑った。「でも今、少し同じ顔をしていましたよ」
「……」
「翻訳の仕事って、最初は機械みたいに訳せると思ってたんです。原文の意味を正確に出力するだけって。でも何年かやっていると——同じ単語でも、書いた人間の呼吸の違いが見えてきて。感情がないはずの文書にも、なんか人の気配があって」
「……機械仕様書に、ですか」
「可笑しいですよね」
「……いいえ」
◇
「インタビュー、してもいいですか」とメモを出した。
「はい」
「田村さんとの関係について、現在の状態を確認します。今も——気持ちは変わっていませんか」
「……変わっている、と思います。前は田村さんを、毎朝起き上がる理由みたいに思っていました。今は——理由がなくても起き上がれるようになって。でも田村さんへの気持ちが消えたかというと——消えていないんですよね、たぶん」
「変容している、ということですか」
「何かが変容している、ということだと思います」
(何か、か)
◇
「子供が乗るの、見たことあります?このブランコ」と川瀬奈緒が聞いた。
「……ここに通い始めてからは、ないですね」
「私も、ないんですよ。毎年ここにいるのに、誰も乗らなくて。風だけ揺らしていて」
「そうですね」
「2068年ですからね」
「そうです」
川瀬奈緒は少し笑った。重くも軽くもない笑い方だった。
◇
端末にメッセージが来た。鶴田からだった。
「公園での接触も業務上の接触として処理されます。問題ありません。」
川瀬奈緒が端末の画面を少し見た。
「保守課の人ですか。いつも確認しているんですね。なんで外でも確認できるんですか」
「……位置情報を見ているらしいです」
「え」
「業務上の確認です」
川瀬奈緒は少し考えた。「その保守課の方——いつも一人で食べていますか、お昼」
「……なぜですか」
「なんとなく、そんな気がして」
(正解だが、今日は言わなかった)
◇
帰り際、メモ欄を開こうとしたら、ページが風でめくれた。手で押さえた。川瀬奈緒が一緒に押さえた。指が少し重なった。
(業務上の接触として処理される)
川瀬奈緒が手を引いた。何も言わなかった。
「メモ、外では難しいですね」
「……少し」
「じゃあ次も外にしましょうか」
「……また来ることになります」
川瀬奈緒は頷いた。
◇
所見欄に一行書いた。
「公園での訪問。川瀬対象者——翻訳業、感情を抜いた言葉の話。指が重なった。業務上の接触として処理される。」
次話「公園のブランコは、誰も乗らない」




