第十八話「外れ値の匿名記事を、見つけました」
インターホンを押した。
「……また来たんですか」
「来ました」
◇
「見てほしいものがあります」
部屋に上がると、川瀬奈緒がすぐに端末を持ってきた。コーヒーより先だった。
「これです」
匿名のブログ記事だった。タイトルは「恋管に折られそうになったが、諦めなかった。今、幸せです」。
◇
読んだ。内容は簡潔だった。恋管から何度か介入を受けた。折衝課の担当者が来るたびに諦めるよう説明された。諦めなかった。5年後の今、相手と一緒にいる。
幸福度スコアの数値は書いていなかった。ただ「数字で測れない種類の幸せがあると思う」と書いてあった。
「本当の話ですか」
「……わかりません。確認できる情報ではありません」
「でも、外れ値のデータと内容は合っています」
「大筋は合っています」
◇
「この人たちみたいになれますか、私」
(データ上の答えはある。11%の可能性がある、と言える)
(ただ川瀬奈緒が聞いているのは、それではない気がした)
「……データ上は、11%の可能性があります」
「データ上は、ですね」
「はい」
川瀬奈緒は端末をテーブルに置いた。
「折衝さんにとって——11%って、何ですか」
誰にも聞かれたことがない質問だった。
「統計的に算出された成立確率です」
「それはわかってます。あなたにとって、という話です」
十秒。二十秒。
「……今日はその質問には、答えられません」
川瀬奈緒は少し笑った。「そうですか」
◇
コーヒーを飲んだ。今日は少し温かった。外が寒くなってきたせいか、川瀬奈緒が少し熱めに淹れているのかもしれなかった。
所見欄に一行書いた。
「外れ値の匿名記事、川瀬対象者が発見。『折衝さんにとって11%は何か』——答えられなかった。答えが出ない質問が、増えている。」
記事の末尾には、短い追記があった。
「折衝課の人を恨んでいるわけではありません。あの人も仕事だったと思います。ただ、私たちのことを、数字より先に見てほしかったです」
その一文で、ページを閉じる手が止まった。
数字より先に見る。折衝課に配属されてから、俺はずっと逆をしてきた。まず数字を見る。11%を見る。22%を見る。9%を見る。その後で、部屋や声やカップや沈黙を見る。順番が、最初から間違っていたのかもしれない。
川瀬奈緒は、俺の反応を見ていた。
「その人、怒ってないんですね」
「そうですね」
「怒っていない言葉の方が、刺さることってありますよね」
あった。今、刺さっていた。
匿名記事の画面を、川瀬奈緒は閉じなかった。
何度も読み返しているのだとわかった。文字を読む人の目ではなく、文字の隙間に自分の未来を探す人の目だった。
そこに書かれている二人が本物かどうかより、彼女にとって大事なのは、そういう未来を信じてもいいかどうかだった。
信じてもいいかどうか。それは、データでは答えられない問いだった。11%という数字は、信じる根拠にも、諦める根拠にもなる。同じ数字が、向きによって正反対に働く。どちらに向けるかを決めるのは、本人だけだった。
次話「田村さんが、また電話してきた」




