第十七話「諦めたいと言いにきた人がいる」
翌日、別の案件の訪問が入った。対象者:松田浩二、34歳。PAIR算出スコア:26%。
松田浩二は、インターホンを押してから扉が開くまでに10秒以上かかった。出てきた顔は、想像していたより疲れていた。
◇
「恋管から来たんですよね。ちょうど良かった。早く終わらせてほしいんです」
部屋に上がった。川瀬奈緒の部屋より狭い。コーヒーは用意されていなかった。
「説明します。PAIRが算出した成立確率は26%で——」
「わかってます。もう諦めたいんです。相手に告白しました。断られました。でも諦められなくて——こんなに引きずるなら、最初から始めなければよかった」
「恋管に来てほしいと思っていたんですか」
「来てほしかったというか——折ってもらえるなら、折ってもらった方が楽かなと思って」
◇
(折ってもらえるなら、折ってもらった方が楽かなと思って)
(昨日、自分が川瀬案件で逆をやったばかりだ)
◇
手順書通りに話した。統計的な根拠。次の縁への向かい方。松田浩二は全部、頷いて聞いた。
「ありがとうございます。気が楽になりました。来てもらって、良かったです。やっぱり、こういうときに誰かに言ってもらうのが一番ですね」
◇
恋管に戻ると、鶴田がいた。
「松田案件の終了処理、確認しました。スタンプ欄が今日も空白でした」
「……いつも空白です」
「はい。313件と1件、空白です」
「今日、松田さんは満足していました。案件は適切に終わりました」
「そうなります」
「それでも、押せないんですか」
鶴田が聞いた。珍しく、直接聞いた。俺は答えなかった。
「……計算中のことが、また増えました」
◇
所見欄に一行書いた。
「松田案件終了。314件目。諦めたいと言ってきた人間——折ってもらう方が楽、という感覚が、俺にはわからない。昨日の自分と逆だ。」
松田浩二の部屋を出るとき、玄関の靴箱の上に写真立てが伏せてあった。倒れているのではなく、意識して伏せた置き方だった。見ないようにしているのだろう。見えないようにしても、そこにあることは消えない。
「それ、片づけないんですか」
聞くべきではなかった。けれど、聞いてしまった。
松田は少し笑った。
「片づけると、本当に終わる気がして。見ないようにはしたいけど、捨てるのはまだ無理で」
折ってもらった方が楽だと言った男も、写真立ては捨てられなかった。
人は、諦めたいと言いながら、諦めた証拠だけは残したがる。折衝課が終わったと処理したあとにも、誰かの部屋には伏せられた写真立てが残る。スタンプを押せない理由が、少しだけまた増えた。
この案件が楽に終わったことが、逆に胸に残った。
松田浩二は救われた。少なくとも、その場ではそう見えた。折衝課が必要な人間は、確かにいる。だからこそ、川瀬案件だけを理由に制度全部を悪だとは言えない。
ただ、必要な刃物が、必要でない場所にも使われてきたのかもしれない。その疑いが、初めてはっきり形を持った。
次話「外れ値の匿名記事を、見つけました」




