第百四十三話「最後の訪問になるかもしれない日」
ある考えが浮かんだ。川瀬さんはもう外に出るようになった。会社に行って人と話して、前に進んでいる。俺が毎回部屋に行く必要は、もうないのかもしれない。
◇
それは、川瀬さんのためを思った考えのつもりだった。彼女が自立したなら、俺が来ることは、もしかすると、過保護なのかもしれない。彼女の新しい生活の、邪魔になるのかもしれない。そう思った。けれど、その考えの底に、別のものが隠れていた気もした。来なくていい理由を探して、自分から手を引こうとする癖。確かめる前に、終わらせようとする癖。スタンプを押せないくせに、関係は終わらせようとする。矛盾していた。
その考えを、川瀬さんに言ってみた。
「川瀬さん。最近思うんですが。俺が毎回部屋に来る必要は——もうないのかもしれません」
川瀬さんの手が、止まった。
「どういう意味ですか」
「川瀬さんはもう外に出るようになりました。会社に行って、人と会って。俺が部屋に来なくても——川瀬さんはもう、大丈夫なんじゃないかと」
◇
川瀬さんは少しの間、何も言わなかった。
「森本さん。それ、折衝課の考え方ですよ」
「え?」
「私が自立したから、もう来なくていい。それ、介入を終了する折衝課の考え方です」
折衝課の考え方。対象者が自立したら、介入を終了する。俺は無意識に、それをやろうとしていた。三年間、染みついた考え方だった。対象者が前を向いたら、役目は終わり。手を引く。次の案件へ。その思考の癖が、業務でなくなった今も、抜けていなかった。
「すみません」
「謝らないでください。でも——森本さん、私たちもう業務じゃないですよね。私が自立したかどうかは、関係ないですよね。会いたいから、会う。それだけですよね」
「そうです」
◇
「私、外に出られるようになりました」と川瀬さんが言った。「でもそれは、森本さんに来なくていい理由にはなりません。むしろ——外に出られるようになったから。今度は二人で外に出たいです。部屋で待つんじゃなくて。一緒にどこかに行きたい。今までは森本さんが私の部屋に来てくれていました。これからは、二人でどこかに行きたいんです。私の部屋じゃなくて、二人の場所に」
「……そうですね」
「だから、来なくていいなんて言わないでください」
「言いません」
「約束?」
「約束します」
約束、という言葉を、また使った。業務では予定だったものが、約束になった。予定には終わりがあるが、約束には、終わりがない。俺はもう、終わらせる側の人間では、なかった。
◇
帰り際、川瀬さんが言った。
「罰として、今度の休み、付き合ってください。行きたいところがあるんです」
「罰、ですか」
「罰です。楽しい罰です。来なくていいなんて言った罰。一緒に出かけて、楽しい時間を過ごす罰です」
「変な罰ですね」
「いい罰でしょう。罰なのに、二人とも楽しい。そういう罰が、いいんです」
川瀬さんは得意げに笑った。来なくていい、と言った俺への罰が、一緒に出かけることだった。手を引こうとした俺を、彼女は逆に、外へ引っ張り出そうとしていた。
次話「二人で出かける」




