第百三十七話「俺が決める」
川瀬さんの「何になるか」を、考えた。数日、考えた。架橋課の机で。電車の中で。一人の部屋で。
◇
架橋課の桐生に、相談した。
「桐生さん。川瀬さんに——俺が何なのかを、聞かれました」
桐生は書類から顔を上げなかった。
「それ、相談する話か。自分で決めろよ。お前、川瀬さんの何になりたいんだ」
答えるまでに、少しかかった。
「……ずっと会いに行ける人に、なりたいです」
「それを言えばいいだろ」
「肩書きが——」
「肩書きとか、関係ねえよ」
桐生はそこで顔を上げた。
「お前は折衝課の肩書きで通ってた。肩書きがなくなっても通ってる。それが答えだ。会いに行く。それを続ける。お前がなりたいのは、それだろ」
「……はい」
「なら行ってこい。100%なんだろ。迷うな」
桐生は書類に戻った。それから、こちらを見ずに言った。
「お前、折るのは下手だった。自分の縁を繋げるのは、ちゃんとやれよ。人の縁ばっかり繋げて、自分の縁を放っておくな。それが一番もったいない」
人の縁を繋げる仕事をしながら、自分の縁だけを宙に吊っていた。スタンプを押さないように。確かめないように。今度は、自分で繋げる番だった。
◇
その夜、インターホンを押した。
「また来たんですか」
「来ました」
「今日は、いつもと顔が違います」
「……答えを、持ってきました。川瀬さんの何になるかの」
川瀬さんは右側の髪を耳にかけた。それから、扉を大きく開けた。
◇
コーヒーが二つ、用意されていた。今日は、すぐには手を伸ばさなかった。
「答え、聞かせてください」
川瀬さんはカップを両手で包んだ。薄いカーディガンの袖が、指に少しかかっていた。
「肩書きは、ありません。折衝課でも架橋課でもない。ただ——川瀬さんに、ずっと会いに行ける人になりたいです。明日も、来週も、来年も。会いたいから、会いに行く。それを、ずっと続けたいです」
川瀬さんは何も言わなかった。視線が横へ逃げた。窓の方へ。ブランコが二つ、揺れていた。
「それって——告白、ですか」
「たぶん、そうです」
「たぶん?」
「初めてなので、わかりません。ただ——川瀬さんと、ずっと一緒にいたいです。それは、確かです」
「……ずるいです、それ」
「すみません」
「謝らないでください」
いつものやりとりだった。業務みたいなやりとりは、たぶん今日で最後だった。
俺は、もう一度だけ言葉を選んだ。100%でも、ERRORでも、架橋課でも折衝課でもない言葉を。手順書のどこにもない言葉を。
「好きです」
それだけ言った。
三秒。五秒。
湯気が一本、まっすぐ上がって消えた。川瀬さんは動かなかった。カップを包んだ指先が、白くなっていた。初めて来た日と同じ白さだった。意味だけが、違った。
俺は、続けた。
「川瀬さん。俺と、付き合ってください」
胸ポケットのスタンプが、一度だけ重くなった。終わりの判ではなく、始まりの重さだった。
「はい」
短い返事だった。その一音で、一年分の業務上の接触が全部、別の名前に変わった。
「私も、森本さんとずっと一緒にいたいです。ずっと言いたかったんです。でも私から言ったら、また数字に頼っている気がして。100%だから好き、みたいに。だから森本さんから言ってくれて——よかった。数字じゃなくて、森本さんの言葉で」
川瀬さんはそこで横を向いた。窓の方へ。ブランコは、まだ揺れていた。
◇
帰り際、川瀬さんがカップを下げた。二つとも、空だった。
初めて来た日、ほとんど口をつけなかった男のカップだった。
玄関で、川瀬さんがもう一度、右側の髪を耳にかけた。話す前の癖だった。
「明日も」
「来ます」
扉が、ゆっくり閉まった。
次話「翌日の、指先」




