第百二十五話「折衝課、最後の朝」
折衝課がなくなる、前日。俺は折衝課のフロアに立っていた。窓のない、フロアだった。三年通った部屋。最後に見るのも、この窓のなさだった。
◇
課長が来た。
「明日で、終わりだな。お前、架橋課に行くのか」
「行こうと、思います」
「縁を繋げる方が、お前には向いている。折るのは、向いていなかった。最初から、一枚も押せなかったんだからな」
「課長は明日、辞めるんですね」
「ああ」
「相沢さんに、会いに行くんですか」
「……行く。来週な。会って、どうもしない。元気そうだなと思って、帰る。それだけだ」
◇
「課長。最後に一つ、聞いていいですか。課長は20年折衝課で、縁を折ってきました。後悔は、ありますか」
課長は少し間を置いた。
「……ある。たくさん、ある。本当は折るべきじゃなかった縁を折ったかもしれない。外れ値になれたかもしれない縁を。23組どころじゃない。何千件のうち、何百件かは、折るべきじゃなかったかもしれん。でも——折衝課がなかったら、外れ値8%もわからなかった。折りに来られても続いた縁が、8%。その8%が本物の縁だとわかったのは、折衝課が折りに行ったからだ。皮肉な話だ。折る機関がなかったら、折れない縁が本物だと、誰も気づけなかった」
「縁を、試す機関」
「誰が言った、それ」
「外れ値カップルの女性です。折衝課は縁を折る機関じゃなくて、縁を試す機関だったんじゃないかって」
課長は少し笑った。
「……いい言葉だな。20年の言い訳に、使わせてもらおう。試す機関だった。折るためじゃなく、本物かどうかを試すために、折りに行っていた。そう思えば——20年も、少しは報われる」
◇
「課長。明日で、お別れですね」
「ああ。もう、会わないかもしれん」
「寂しいです」
「お前、そういうこと言うようになったな。配属の頃は、何も言わないやつだった」
「課長のおかげかもしれません。課長が20年前の話をしてくれて。確かめなかったことが消えないって。それを聞いて——俺は確かめることを選べました。課長が逃げた話をしてくれたから、俺は逃げずにすみました」
課長は少し間を置いた。
「……そうか。なら20年の無駄話も、少しは役に立ったな。俺の逃げた20年が、お前の確かめる一日に、役立った。それなら、悪くない」
◇
俺はスタンプを取り出した。胸ポケットから、出して見た。配属初日に課長から渡されたスタンプ。一度も押していないスタンプ。
「課長。明日折衝課がなくなったら——このスタンプはどうすればいいですか」
課長は少し考えた。
「……持っていろ。お前がいつか押したくなる日が、来るかもしれん。そのとき、押せ。折衝課がなくなっても——スタンプはお前のものだ。それに、お前のそのスタンプは、折るためのスタンプじゃない。お前が何かを、本当に終わったと、心から認められた日に押す——そういうスタンプだ。だから、大事に持っていろ」
「わかりました」
「森本。20年で一番面白い部下だった。本当だ」
「ありがとうございました」
俺はスタンプをしまった。今日も、押さなかった。
◇
帰り際、窓のないフロアをもう一度見た。
明日、この部屋はなくなる。20年、縁を折るために存在した部屋。外を見ないように作られた、四角い箱。明日からはもう、誰もここで縁を折らない。課長は「いつか押したくなる日が来る」と言った。終わったと心から認められた日に押す、そういうスタンプだと。折衝課が消えても、そのスタンプとその日への約束だけは、俺の胸ポケットに残った。
次話「折衝課が終わる日」




