第百十九話「知りたくない、と答えた人たち」
二十三組のうち、七組は「今は知りたくない」と答えた。
最初の返信を、俺は二度読んだ。
知る権利があるなら、知った方がいい。そう思いかけて、違うと気づいた。選べるということは、知らないことも選べるということだ。
七組の返信には、短い理由が添えられていた。
「今の家庭を大切にしたい」
「もう相手に連絡を取らないと決めている」
「知ったら、今の自分を嫌いになりそうだから」
一組だけ、一行で終わっていた。
「今は、今の家族を大切にしたいので、知りません。」
課長は七組に、再通知を送らなかった。
「いいんですか」
「俺は20年前、知らないふりを選んだ。あれは逃げだった。だが、知りたくないと自分で言えるなら、それは逃げとは限らない」
「違いは」
「自分で言葉にしているかどうかだ」
折衝課は、初めて何もしないことを仕事にした。
◇
午後、川瀬さんが恋管に来た。
返信文を見てもらうためだった。「知りたい」と答えた組へ送るものだ。通知文のときと同じように、彼女は硬い言葉を三つ直した。
課長の承認を待つ間、待合室に座った。架橋課の窓口と同じフロアだった。番号表示が、時々ひとつ進んだ。
俺たちの他に、二組が座っていた。どちらも架橋課の番号札を持っていた。折衝課の札を持って座る人は、もういなかった。
川瀬さんは返信文の控えを、膝の上で両手で持っていた。色の薄いカーディガンの袖が、少し余っていた。
「待合室に座るのは、初めてです」
「いつもは、来られる側でしたから」
「そうでした」
自動扉が開いた。
背の高い男が入ってきた。顔立ちが整っていて、落ち着いた色の上着を着ていた。手に封筒を持っていた。
一度だけ、見た顔だった。
田村誠司。
彼は番号札を取って、こちらを向いた。足が止まった。
川瀬さんも、彼を見ていた。
田村は、近づいてこなかった。立ったまま、こちらへ小さく頭を下げた。俺にではなく、川瀬さんに。川瀬さんは、右側の髪を耳にかけて、同じ深さで頭を下げ返した。それだけだった。言葉は、どちらからも出なかった。
番号が呼ばれた。田村は窓口へ歩いていった。仕切りの向こうから、声の断片だけが聞こえた。情報公開請求を、と田村は言っていた。折衝課の判定の根拠を、と。窓口の職員が、書式を出す音がした。
川瀬さんは正面を見ていなかった。視線は横へ、待合室の窓の方へ逃げていた。下には、落ちなかった。
膝の上の控えは、動いていなかった。
「森本さん」
「はい」
「言わずに、済みました」
「はい」
「知っていたので。言う分は、婚約の報せを聞いた日に、この部屋で済ませていたので」
三年分の11%。婚約の知らせ。三年前から今日までのことを、彼女は全部知っていた。知った上で、今日は言わないことを選んだ。
◇
七組の返信を、思い出していた。
今は、今の家族を大切にしたいので、知りません。
あの人たちは、知らないことで自分の今を守った。川瀬さんは、知ることで自分の三年を閉じた。閉じ方が違うだけで、どちらも自分で選んだ言葉だった。
折衝課はこれまで、沈黙を同意か抵抗か整理不足として扱ってきた。今日は違った。七組の沈黙を、そのまま置いた。待合室の会釈も、そのまま置いた。
どちらにも、スタンプを押す欄はなかった。
番号表示が、また一つ進んだ。田村の番号は、もう消えていた。
川瀬さんが控えを持ち直して、立ち上がった。
「戻りましょう。まだ、直すところがあるので」
次話「折衝課、最後の日々」




