第百十八話「知りたい、と答えた人たち」
最初に返信したのは、六十代の女性だった。
選択肢は、一。
詳細を知る。
面談希望。
課長と俺で対応した。
女性は、恋管の面談室に入るなり言った。
「二十年前の人の話でも、今さら知れますか」
俺は、言葉に詰まった。
◇
彼女の過去ログには、低確率案件として整理された記録があった。
当時の相手とは、もう連絡を取っていない。相手には家族がいる。彼女自身も、別の人生を生きてきた。
「今さらどうこうしたいわけじゃないんです」
女性は笑った。
「ただ、あのとき私が変だったわけじゃないと、知りたいだけです」
課長が、静かに頷いた。
「変ではありませんでした」
女性は、少しだけ目を閉じた。
「そうですか」
それだけで、面談は終わってもよかったのかもしれない。
六十代の女性は、面談の最後に、小さな封筒を出した。
「送らなかった手紙です。出すつもりはありません。ただ、今日持ってきたかった」
封筒の角は少し擦れていた。何度も手に取られ、何度もしまわれたものの形だった。
課長はそれを受け取らなかった。
「それは、あなたのものです」
女性は少し笑った。
「そうですね。やっと、そう思えます」
六十代の女性は、帰り際に言った。
「知っても、あの人に連絡するつもりはありません」
「はい」
「でも、今日帰ったら、当時の日記を読み返そうと思います。捨てなくてよかった」
日記。手書きの所見と同じように、その人も、自分の感情を紙に残していたのかもしれない。
課長は、女性が出ていった扉をしばらく見ていた。
「日記か」
「課長も、残していますか」
「残していたら、どうする」
「読み返すべきだと思います」
「偉そうになったな」
「川瀬さんの影響です」
課長は嫌そうな顔をしたが、否定はしなかった。
面談室を出ると、課長はしばらく動かなかった。
「ああいう人を、俺たちは何人作ったんだろうな」
誰も答えられなかった。
作った、という言い方は残酷だった。だが、否定できなかった。制度は、救った人間だけでなく、説明されないまま取り残された人間も作ってきた。
知ることは、過去を変えない。だが、過去の自分を一人にしないことはできる。六十代の女性が求めていたのは、たぶんそれだった。
◇
次に来たのは、三十代の男性だった。
「知ったら、戻れますか」
彼は聞いた。
「戻れる保証はありません」
俺は答えた。
「では、知る意味は」
「戻るためではなく、今の自分を理解するためかもしれません」
自分で言いながら、川瀬さんの言葉に似ていると思った。
100%は、逃げられない問い。
この人たちにも、問いが届き始めている。
◇
その日の所見欄に、俺は書いた。
「知りたい人は、過去を変えたいのではなく、過去の自分を否定されたくないのかもしれない。」
スタンプは押さなかった。
この仕事は、もう完了では測れなかった。
その夜、俺は六十代の女性の所見に、完了印を押さなかった。押す欄はあった。だが彼女の二十年は、完了の二文字で片づけられるものではなかった。
次話「知りたくない、と答えた人たち」




