第百十五話「折衝課の廃止が議論される」
本部会議で、折衝課の廃止が議題に上がった。
資料の一枚目には、こう書かれていた。
低確率案件介入制度の再検討について。
言葉は柔らかい。
だが意味は、廃止だった。
◇
会議室には、架橋課、保守課、監査部、政策企画部が揃っていた。
折衝課からは、課長と俺だけが出席した。
監査部の席に、榊がいた。端末は開いていない。黒い手帳が一冊、机の上にあった。
桐生が説明した。
「折衝課は、成立確率30%以下の恋愛を早期整理することで、次の縁への移行を促進してきました。しかし今回、低確率案件の中にPAIR上限処理または照合対象外接続が含まれる可能性が確認されました」
低確率の中に、100%が隠れている。
それは、折衝課の存在理由をひっくり返す一文だった。
◇
「監査部は、廃止を求めます」
榊が言った。低い声は、会議室の広さに関係なく同じ大きさだった。
「理由は一つです。折衝課は、押せる人間で回る部署でした。押せない人間が一人いるだけで止まる。止まったものを、制度として置いておく理由がありません」
政策企画部の職員が手を挙げた。
「名称を変えれば存続可能です。折衝課ではなく、関係整理支援課など」
「名前を変えても、押す人間と押せない人間がいることは変わりません」
榊は手帳を見たまま言った。
「押せる人間が制度を支えます。押せない人間は、制度の外で幸福になればいい。私はそう考えています」
誰も、すぐには返さなかった。
◇
「廃止すれば済む話ではありません」
課長が言った。
「折衝課は間違っていた。だが、低確率の恋に苦しむ人がいることも事実です。放置すればいいわけではない」
「では、存続を主張しますか」
榊が聞いた。
「存続を主張しますか」
同じ声で、二度。
課長は少し黙った。
「今の形では、存続すべきではない」
榊のペンが動いた。
「折る部署ではなく、選ぶための部署に変えるべきです」
「選ぶ部署に、押印はありますか」
「ない」
「では、私には要らない部署です」
榊はそこで初めて、課長を見た。
「私は、あなたに教わったとおりに押してきました。四百十二回。一度も止まりませんでした」
「押せと教えたのは俺だ」
課長の声は低かった。
「お前に、押せない奴を切れとは教えていない」
「教わっていません。自分で覚えました」
榊は手帳を閉じなかった。ペンを置くこともなかった。会議室の誰も、二人の間に言葉を入れなかった。
◇
俺は課長を見た。
20年前に選べなかった人が、制度に「選ばせる」役割を与えようとしている。
遅いかもしれない。
それでも、遅すぎるとは限らない。
「名前だけ変えて同じことを続けるなら、廃止より悪い」
課長が、政策企画部の方を向いた。
「折衝課という名前には、折るという意味が入っている。俺たちはその名前に甘えてきた。折ることを仕事にすれば、折った後を見なくて済む」
課長は、資料を閉じた。
「次の部署には、折るという字を入れるな」
「では、何を入れますか」
誰もすぐには答えなかった。
川瀬さんなら、どう訳すだろうと思った。制度の言葉を人間の言葉に直す人なら。低確率の恋を終わらせる部署ではなく、人が自分の縁を選ぶための部署。長くて、手順書には向かない。だが、その長さが必要なのかもしれなかった。
会議の結論は、現行の折衝課を廃止する方向で整理する、というものだった。
榊は、その一行だけを手帳に書いた。それ以上は書かなかった。
誰も「失敗」とは言わない。再検討、見直し、再編。言葉を柔らかくしても、折った縁が柔らかく戻るわけではない。
課長の声は震えていなかった。折衝課という言葉を口にしたときだけ、わずかに息が詰まった。この部署を作った人間が、この部署を終わらせる方向へ言葉を置いていた。
会議の帰り、課長は窓のある廊下を選んで歩いた。いつもは窓のない近道を通る人だった。今日だけ、外の見える道を選んだ。
廊下の先で、榊が反対側へ曲がった。振り返らなかった。黒い手帳は、脇に抱えたままだった。
次話「23組をどうするか」




