第百十一話「課長に、2048年を、聞く」
2048年。
縁活支援法が施行され、恋管が設立された年。
それは俺たちにとって制度の始まりだった。
だが課長にとっては、別の意味を持っていた。
「課長。2048年に、何があったんですか」
課長はすぐには答えなかった。
窓のある課長室で、長い沈黙が落ちた。
◇
「PAIRの初期試験があった」
「課長が参加していたんですね」
「被験者としてな。若かった。制度が人を幸せにできると、本気で思っていた」
課長は古い端末を取り出した。
画面には、20年前のログが残っていた。
試験対象:███
名前は黒塗りだった。
「相手の名前は」
「まだ言わない」
「なぜですか」
「その人は今、制度の外で生きている。俺の後悔に、これ以上巻き込まない」
◇
ログには、こう表示されていた。
照合結果:ERROR
現在の俺と、同じだった。
「100%だったんですか」
「ああ」
「設立記録の、算出不能ケース1件。日付、2048年。誰のものだ、と長いあいだ思っていて——承認の日に、課長の口から聞きました。ただ、あの日は、それ以上を聞けませんでした」
「俺のものだ。それ以上は、あの日は言う気がなかった。今日は、少しだけ違う」
問いは、持ち主のところまで、歩いて戻ってきていた。今日は、その先の扉が、少しだけ開いていた。
「なぜ、わかったんです」
「当時は上限処理がまだ甘かった。ERRORの裏に、数値断片が残っていた。99.999……という形でな。上限が塞がれたのは、ずっと後だ。第二世代に切り替わった2065年——お前が配属された年だよ。あれ以来、断片も残らん」
「それを隠した」
「俺だけじゃない。開発側も、本部も、みんな隠した。100%が制度に入ると、人は数字に従う。そういう建前だった」
「本当は」
課長は目を伏せた。
「100%を見た人間が、制度より先に幸せになるのが怖かったんだろうな」
◇
2048年は、制度の始まりであると同時に、隠蔽の始まりだった。
そしてその隠蔽が、今、俺たちの前に戻ってきている。
課長は、古い端末を指でなぞった。
「この端末を、何度捨てようと思ったかわからない。だが捨てなかった。捨てられなかった、と言うべきかもしれない」
「俺のスタンプと同じですね」
「一緒にするな」
「すみません」
「いや、同じかもしれん」
課長は、苦い顔をした。
20年前のERRORを、課長は小さな端末に残していた。俺は押せないスタンプを胸ポケットに残していた。形は違う。だが、終わらせられなかったものを物に預けて持ち歩くという点では、似ていた。
「人は、終われなかったものを、何かに入れて持つんですね」
課長は答えなかった。
答えなかったことが、答えだった。
課長は、2048年の話をするときだけ、語尾が少し若くなった。
今の課長ではなく、まだ制度を信じていた頃の職員が、声の奥から顔を出す。自分が作ろうとしているものが誰かを救うと、本気で思っていた人間の声だった。
その声が、現在の課長の顔と合っていなかった。
人は後悔すると、過去の声だけが別の場所に残るのかもしれない。
「なぜ今、話すんですか」
俺が聞くと、課長は古い端末を見たまま言った。
「お前が、俺と同じ場所に立ったからだ」
「同じ場所」
「100%を見て、そのあとに何を選ぶかを問われる場所だ。そこに立った人間にしか、これは話せない」
課長の声は、ひどく静かだった。窓のある課長室で、課長は窓の外を見なかった。20年前を話すときだけ、外を見ない。見える景色が、見たくない過去とつながっているのかもしれなかった。
次話「缶コーヒーの、同僚」




