第百八話「本部の結論」
本部の結論は、三日後に出た。
通知は紙で来た。持ってきたのは、榊本人だった。
本部の人間が折衝課に降りてくることは、ほとんどない。榊は入口で一度立ち止まり、窓のない部屋を端から端まで見た。それから課長の机に、一枚の紙と黒い手帳を置いた。
通知は短かった。
森本遼職員は、川瀬奈緒氏案件から除外。
予想していた。
だが次の一文で、手が止まった。
折衝課における低確率案件の介入基準を一時停止し、全件再評価を行う。
課長が通知を見て、深く息を吐いた。
「来たか」
「折衝課、止まるんですか」
「一時停止だ。だが一時停止から戻らない制度もある」
榊は、二人の会話が終わるまで動かなかった。
「口頭でも、お伝えします。書面と同じです」
低い声だった。
「本部は、折衝課の介入が対象者の感情形成に影響を与える可能性を重く見ています。新規割当は、本日をもって止まります」
「今さらですね」
俺が言うと、榊は手帳を開いた。
「今さら、と言いましたか」
「言いました」
「今さら、と言いましたか」
「言いました」
二度目の答えを、榊は書いた。
「はい。今さらです。100%という数字が出るまで、本部は問題として扱いませんでした。恋管は、数字を見る機関です」
皮肉には聞こえなかった。それが、この人の声なのだとわかった。
「森本さん。一つ、私の考えを申し上げます。監査部の結論ではありません」
「はい」
「押せない人間が一人いるだけで、部署は止まります。止まった部署は、要りません」
課長が顔を上げた。榊は課長を見なかった。
「あなたが押せないことを、私は責めていません。事実を申し上げただけです」
手帳が閉じた。紙の音だけがした。
榊は来たときと同じ速さで、窓のない部屋を出て行った。
◇
その日の午後、折衝課の端末から、新規割当が消えた。
毎朝届いていた低確率案件の一覧が、空白になった。
誰かの恋を折りに行く予定が、消えた。
空白の画面を、しばらく見ていた。毎朝そこには誰かの名前があった。成立確率。対象者。介入期限。俺はそれを見て一日の順番を決めていた。今日は、何もない。
折る相手がいないということは、人を折らずに済むということだ。それなのに、机の上が急に広くなった。三年間、俺はこの欄に縛られていた。縛られていたものが消えると、自由より先に、空白が来る。
誰かが、端末の故障ではないかと言った。誰かが、保守課に問い合わせた。鶴田は「故障ではありません」とだけ返した。
故障ではない。
部屋の誰も、それ以上は口にしなかった。
課長が背後から言った。
「暇か」
「はい」
「暇なら、過去案件を見ろ。終わったことにしたものを、もう一度見ろ」
終わったことにしたもの。課長は、そう言った。
静けさを破ったのは、広報課からの内線だった。
「外部から問い合わせが入っています。低確率案件で100%照合が出たという噂について、事実確認を求められています」
まだ庁舎の中だけの話だと思っていた。違った。どこから漏れたのかはわからない。制度の内側にあった亀裂が、外の空気に触れ始めていた。
折衝課の問題は、もう折衝課だけでは閉じられない。
◇
その夜、川瀬さんに伝えた。
「俺は、あなたの案件担当ではなくなりました」
「はい」
「折衝課も、一時停止になります」
「そうですか」
「驚かないんですか」
「少し、予想していました」
「なぜ」
「だって、11%の私を折れなかったんですよね。なら、他にもいると思います」
川瀬さんは、カップを両手で包んだまま言った。
その通りだった。
俺たちだけで終わるはずがなかった。
次話「11%は0%じゃない、の最終形」




