第6話 狂気の記憶
本作品はカクヨムでも同時連載中です。
明日以降はカクヨムと完全に同期化して、月曜から金曜まで毎日更新しようと思っています。
ゴールデンウィーク中も休まず月ー金更新予定です。
GW関係無い世界を生きているんですが、私の人生はいつからこんなことになったのだろうと嘆かわしいことこの上ないです。
どこに出かけずとも家にいるだけで幸せな日本の暮らし。戻れるなら戻りたい学生時代に…。
指の間の黒い霧を見て、自分のしでかしたことに背筋が冷えた。
(こんなの、魔法ですらない。ただ魔力が暴走しただけ)
魔法陣を展開したわけではないし、手で空中を切って単純な魔法を発動するための形を作ることさえしなかった。それなのに、力が真っ黒く見えてしまうほどの威力があった。
うねる魔力をどう制御するのか、それすらもわからない。
目の奥が熱い。
(だめ)
その瞬間、幼い頃の記憶が、波のように押し寄せてきた。
*
まだ、帝都の宮殿にいた頃のことだ。アスラはふくふくとした頬と、大きな狐耳がくるくるとよく動く幼児だった。普段は銀狐の母と暮らし、父皇帝は時間を見つけては妻子の住まう区画に通って来ていた。
よく日焼けした肌に白髪と髭が印象的な父だった。若い頃には歴代のどの皇帝よりも戦場に自ら出て、ヴォルクス殺しの異名を取っていたと聞いたことがあるが、銀狐である母にもアスラにも優しかった。
日頃、父がアスラに厳しい顔を見せることは殆ど無くて、顔を合わせれば目尻の皺が増えたことを憶えている。アスラの言うことならなんでも聞いてくれたから、女官たちが困っていたものだ。
その父が「姫とふたりで話すことがある」と人払いをしたのだ。
「姫はこのところ、面白い遊びをしているのであろう?この父にも見せてくれぬか?」
口調はいつもの優しい父のままだったが、何か真剣なものを感じ取り、アスラの大きな狐耳はいつもの小刻みな動きを止めた。
遊びというのはあれに違いなかった。指の間から黒い霧のような靄のような何かを出して、思い通りの形にしたり、ぱちぱちと火花を出して遊ぶのだ。それはいつからできるのか自分でもよくわからないほど幼い時から持ち合わせているアスラの能力で、少しずつ上手になっていることを自分でも嬉しいと思っていた。
でも、人に見せたことはない。母にさえ。母の持っている力はもっと白くて綺麗で、なんだか清々するような気持ちの良さのあるものだ。アスラの指から出て来る黒いものは、ちょっとドキドキするような、少しいけないことをしている感じのするものなのだ。
誰かに見られただろうかと――叱られるだろうかと思った。
「お前を怒ろうと言うのではないのだよ。だからそう緊張することはない」
父はそう言って促し、アスラは仕方なく、丸い手を差し出した。
お腹の中に力を一度集めてから、少しずつ動かして指先に移動して、一気に放出する。集中することが大切なのに、父が見ていては、いつものように上手くはできなかった。丸い指先から出て来る黒いものはいつもよりずっと揺らいでいて、綺麗な形を作れなかった。それを見る父の視線が硬く冷たいことにアスラは慄いた。
父は深いため息と共にこう告げた。
「姫は黒魔道士じゃ。母に似れば白であったものを、余に似たのであろう」
「…くろまどうし?」
「そうだ。黒魔道士は本来悪いものではない。我が帝国を守る者たちだ。だが…」
千年帝国の帝室には、強過ぎる黒魔道士が生まれることがある、と父は説明した。魔力が強い者が、己の能力を制御できているうちはいい。
「皇帝の血統は強大な魔力と引き換えに、狂気に飲まれる」
幼いアスラに、父は真顔で語った。
見境も無く戦い続ける状態に陥ることになるのだと。
「そのような血筋なのだ」
難しい顔をしてそこまで言って、父は
「姫には難しかったな」
と、表情を崩した。
「これだけ憶えておくのだ、己の魔力を恐れよ。フロールに飲まれた者は2度と戻らぬゆえ、常日頃より、力を使うことを控えるのだ」
父はアスラの魔力を封印する魔術を施し、黒魔法を使えなくしてしまった。
皇女として儀式に参加する際には、本来の性質とは異なる白魔法を使うことになった。そのために皇女アスラウグは、魔力はさほど強くないと噂された。狐族との血の結び付きが悪いのだろう、と蔑まれたのだ。
幼かったアスラには、人々の噂のいちいちを理解できたわけではない。ただ悪意は伝わるものだ。意味が分からずとも、謂れ無き悪意は細かな傷を少しずつ受けるように、全身に伝わる。
父皇帝はそれでも黒魔法の封印を解くことはしなかった。
そしてあの日。
黒魔法を封印されて2年ほど経った頃だった。
父皇帝は刺客に襲われ、母とアスラも同時に葬られようとしていたが、父は死力を尽くして母娘を逃したのだ。
アスラは見ていた。
限界まで能力を使った父がどうなったかを。
近習の兵士に抱えられ逃げる最中、遠去かり行く父がどう戦ったかを、アスラは視界から父が消えるまで見つめていた。
あの威厳に満ちた父が、真紅に染まった両眼を見開き、持てる魔力の全てで戦う様を。それは残酷だった。
フロールに飲み込まれた狂戦士として皇帝は戦い、死んだ。
その光景は恐ろしく、今でも心に刻みつけられた影のように感じられる。
幼児の頃にかけられていた封印はとうの昔に解けているが、アスラが日頃黒魔術を使わないのはこの経験のためだ。
*
(男に触られた程度で暴発するなんて)
怖くて脚がガクガクと震えた。
(落ち着け、私!)
長い間、黒魔術を使っていなかったのが暴走の原因だと、アスラは一瞬にして悟ってしまった。
白魔道士として生きていこうとするあまり、黒魔術を蔑ろにし過ぎたのだ。
(バカだった…こんな当たり前のことになんで気が付かなかったんだろう)
白魔道士が黒魔術を、或いは黒魔道士が白魔術を使うことそのものは、普通のことだ。料理人でなくても料理をするみたいなものだ。
でもアスラは、どんな小さな黒魔法さえも使うのが怖かった。
暴走することが怖くて、魔力の源が黒いということを知られるのが怖かった。
(アイト様に気づかれたらどうしようと、そればっかり…)
子供の頃にはかなりの時間をアイトの居城アクイラ要塞で過ごした。そこには相当な規模の魔道演習を行うことができる訓練施設があったが、同時にアイトや他の高位魔道士の目があった。
最高位の術者の前で少しでも黒魔術を使えば、その根源である魔法力が黒いことに気付かれるだろう。それがどんな小さな火花であっても、確実に。
だから、アスラは黒魔術を決して使わず、ただ魔道書を読んで知識を蓄えるだけにしていた。初歩の魔法理論から、魔道士がひとりで使う魔術の構成、果ては大規模魔道のざっくりした仕組みまで熱心に学んで、詳しいと言えば詳しい。
(知識があればなんとかなると…黒魔術の才能が自分にあると思って、慢心してた)
実家のフィロニコス邸にいる時に、少しでも黒魔術を実践するべきだった。
(一回暴走しちゃうと、もう怖い)
燭台は吹っ飛んだから真っ暗だ。
体が動かない。
このままで良いはずは無いのに、頭と体の回線が切れたように動かない。
「おい、どうした!」
ガンガンと大きな音を立てて扉が叩かれた。
(逃げなくちゃ)
その瞬間、アスラは金縛りが解けたように感じた。
「痛てぇよ!」
吹っ飛んだ男が大声で扉の向こうの誰かに応える。
死んではいないようだと、頭の片隅で安堵しながら、アスラは暗がりの中を窓の方に移動する。
扉が開いて、誰かが飛び込んできた音がするが、そちらに背を向けたままアスラは呼吸を整え、術の発動に集中する。
(暴走させないように…)
震えを押し殺して、指で空中を切って行く。本来は動作の要らないような初歩的な黒魔術だが、威力を出し過ぎないように全神経を集中させる。
「……フラクトゥス・ムルス」
口の中で小さく呟く程度に詠唱をして、完全に制御したつもりだった。
バンッ!と何かが弾けるような音ともに、ガラスが派手に割れて、アスラはほとんど無意識に初歩の白魔法を展開し光の盾を作る。
(やり過ぎた…?)
抑えたつもりの術の展開に黒い霧がわずかに混じり、想像よりも大きくなった魔術は周囲の壁を巻き込んで炸裂してしまった。
お読みいただきありがとうございました。




