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第3話 平穏な偽装結婚、そして暗転

本作品はカクヨムでも同時連載中です。

カクヨムで先行している分はこちらでも早めに投稿して、その後は一定の更新ペースにしようと考えております。

 アスラが結婚して半年ほどが過ぎた。

 ウォレスは起きている時間は可能な限りずっとエドワルダと過ごしている。それでも自邸の寝室にアスラを置いてエドワルダを入れない理由は、実家の目を気にしてのことらしい。白婚の事情を知らない者から見れば、アスラは哀れな妻に映るだろう。夫に望まれず、愛人を連れ歩かれる結婚など、蔑ろにされすぎている。

 一方でアスラの主観的には、この結婚生活は順調そのものだった。

 ウォレスがアスラに無関心だからこそ、月に数日は実家に戻って養母を見舞うことができる。援助だって約束通りに続いていて、その点はウォレスに感謝するところだ。


 養母は緩やかだが、回復して来ている。先週は会話ができるようになっていた。 

 アスラがベッドの傍らに座り、白魔術で胸の奥を温めていると、養母は小さく微笑んだ。

「アスラ、お仕事もあるのに、私のために来てくれて……嬉しいけれど、無理はしていない?」

「大丈夫。家に帰って来れる方が良いのよ。母様の顔を見れるし、自分の部屋の方がゆっくりする。今は白魔道士不足で、月に数日しか帰れないけれど」

 アスラは静かに答えた。街の診療所に勤めていると言ってある。実際に結婚前には勤務していたから、養母は疑いもしていない。

 ウォレスとの結婚は絶対に養母の耳に入れないように、家の者たちに申し渡してある。養父の行方もわからない今、アスラが生活のために結婚したなんて養母が知ったら酷く気に病むだろう。

「本当に、ドミヌス様はアスラのためにしてくださっているのに、私までこんなに良くしていただいて……申し訳ないわ」

 養母は心底申し訳なさそうに呟いた。多発する戦争の影響で物資は滞りがちになり、一般の診療所では十分な治療が受けられないような有様なのだ。潤沢に届けられる薬や岩の油(ペトロレウム)も、全て護国卿(ドミヌス)・アイティウスからの援助だと信じている。

 アスラは微笑みを浮かべながら、心の中で小さく息を吐いた。

 実際には、すべてはエティコン家からの援助だった。結婚契約で黒い魔力が高まったおかげで、白魔術の効果も相対的に上がっている。アスラの魔法は根源が黒であって、白魔法はどうしたって効果が落ちるのだが、底上げされた分だけ養母の息が楽になっているのを感じる。

 アイトに頼れば、簡単に、完璧な庇護をしてくれるだろうことはわかっていた。アスラ自身の魔力を無理に上げなくても、アイトの軍団から優秀な白魔道士を派遣してくれるだろう。

 でもアスラは、どうしてもアイトを頼りたくなかった。

 皇女だったのは5歳までで、最初からそのような身分ではなかったと教えられれば、やがてアスラは昔のことを忘れたかもしれなかった。忘れさせた方がアスラを育てるのは楽だっただろうに、アイトは嘘も隠し事なく、越し方を折りにふれて語って聞かせた。

「皇女としての身分を失っても、どのように生まれ、いかにして今に至ったかという物語はあなた自身のものだからです」

 それが本当にありがたいことだと理解できたのは、ある程度大きくなってからのことだった。

 アスラは妙に記憶力がいいから、幼児期のことも、父皇帝のことも母のこともかなり明瞭に覚えている。でももちろん、それは断片的なのだ。もしも偽りの出自を教えられたとしたら、残っている記憶との整合性が取れず苦しかったに違いない。

 アスラが皇女だから、大切に守ってくれたと理解している。誠実で慈愛に満ちた庇護を受けて育った。この上、皇女であったことを理由にアイトに何かを求めるのは、違う気がした。

 治療と看病以外の時間は、魔道書を読み、領地の薬草栽培地を回って過ごした。

 千年帝国インペリアル・ミレニウムの国土は殆どの地域が、大規模な魔道の行き渡った高度な暮らしをできるようになっている。魔道、または中規模の魔術は高位の魔道士によって設計され、岩の油で発動される。人の体に備わる魔力には個人差があり、自分の力では基本的な生活さえできない者が多いが、岩の油を使うことで誰もが魔道の恩恵に預かることができる。

 ところが戦争の影響で岩の油の流通量が減り、帝国全体で魔道使用量を減らすようになってきているのだ。白魔道士も不足する中、薬草の需要はかつてないほど高まっていた。アスラはそこで、自分が何か意義のあることをしていると感じられた。


 事態が急変したのは、ある夜のことだった。

 いつものようにアスラは、衣装部屋の長椅子で休もうとしていた。そこにウォレスが飛び込んできたのだ。

「どうかしたの?」

 アスラは呑気に聞いた。ウォレスはいつだって子供のようで、無邪気に見えた。

「大変なんだよ、アスラ」

 彼も部屋着のままだった。白く滑らかな顔が、妙に印象に残った。

「今、知らせが来てね、父と兄たちが全員、死んだんだ」

 アスラは無言のままに受け止めた。

「だからね、母の屋敷に行かなきゃいけない。一緒に来てくれる?」


               *


 考えてみれば、ウォレスはちっとも悲しそうではなかった。

 考えてみれば、ウォレスは動揺しているようには見えなかった。

 考えてみれば、ウォレスは心の支えであるはずのエドワルダを呼びに行こうとしなかった。

 違和感を覚えて然るべきだったなと、アスラは後になって思った。

 夜半、急いで着替えを済ませるとウォレスとふたり、馬車に乗った。石畳の道を車輪が大きく揺れ、街中の灯りは殆ど無い。道中でウォレスは父親や兄の戦場での死を、妙に熱心に語った。アスラは静かに聞きながら、馬車の揺れに身を任せていた。

 到着しても屋敷に灯りは見えず、暗い。

「裏口から入るよ」

 そう言われて案内された扉を開いた瞬間、強烈な鎖に捉えられた。アスラの体が捕まったわけではない、魔力ががんじがらめにされるのを感じたのだ。

「これ、封印?」

 暗がりに淡い紫色の石がいくつも光っている。高価な魔力無効化の道具。宮殿などの施設で、一部区域での魔力の発動を厳格に禁じる時に使用されるものだ。

 アスラは中級程度の白魔道士で、年齢を考慮すると極めて優秀と言えるが、これだけの封印を自力で破れるほどの力は無い。()()()()()()()()

「そうだね、この中では魔力無しだよ」

 ウォレスの声はどこか楽しそうだった。

 手を引かれる。

「やめて。ここどこ?」

 においが違う。埃と雨と土の匂い。本邸の軽い乳香(トゥス)とはまるで違う。

「どこでもいいよ」

 振り解こうとした手は放されず、引き摺るように連れて行かれる。

 ギイっと扉が開き、押し込まれた。

 危機的状況になると、アスラは途端に冷静になる。恐怖を感じる機能が麻痺しているのかもしれない。はっきりと残る、惨たらしい暴力の記憶が感情を止めて、現実的な思考を呼ぶ。

 アスラは抵抗をやめ、状況を把握しようとしていた。

 ウォレス以外の足音が近付き、蝋燭の淡い灯りが灯る。

「怖がらなくていいんだよ」

 彼は笑っていた。

 笑っていたのだ。

 人を見知らぬ場所に連れ込んでおいて、笑う。

「怖がったりはしないけど、どういうことだか説明して」


お読みいただきありがとうございました。

今見直していたら、ルビとかドットとかが打ち方の間違いをしていたのに気付きました。

こういうことに疎くて、どうにもいけません。

お見苦しい点が多々あると思います。ごめんなさい。


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