第2話 妻と愛人と、白い結婚の理由
本作品はカクヨムでも同時連載中です。
カクヨムで先行している分はこちらでも早めに投稿して、その後は一定の更新ペースにしようと考えております。
結婚の翌朝、エティコン家の本家にある朝餉の間に、アスラは酷く複雑な気持ちで座っていた。
何しろ昨夜のウォレスの痴態を、誰かが廊下で聞いていたのだ。アスラとウォレスが結ばれた声として。実際にはウォレスの一人芝居に過ぎないのに、それを言うわけにはいかない。
(気まずいどころではないけれど)
この家の食事は厳格だった。当主代わりの母親が合図をすると、全員が一斉に食べ始める。食事中は言葉を交わすことすら許されない。汁物をすする音、パンをちぎる乾いた音だけが、石の間に響いていた。
エティコン夫人はかなり高齢に見えた。真っ白な髪をきちんと結い上げ、背筋をぴんと伸ばした姿は、まるで石像のようだ。ウォレスが末っ子のため、祖母と孫ほど年の離れた母子だと聞いたことがある。
夫人の両側にはウォレスの兄の妻や近い親族が並び、厳格な表情のまま食事を進めている。この家には娘がおらず、男ばかり。兄たちは戦場や帝都の務めに出払い、残っているのは病弱を理由に戦を避けたウォレスだけだった。
そんな家族たちを眺めていると、アスラは急におかしくなった。
この人たちは、本当に生真面目なのだ。
夜の声を立ち聞きしてまで結婚の完結を確認する母親。
夜の声を演じてまで結婚の完結を示す息子。
真剣すぎて、かえって酷く滑稽に見える。
アスラが育った環境とは、まるで違う。養父母の家でもアイトの居城でも形式にこだわることはほとんどなく、暮らしはもっと自由で本質を重んじていた。アスラは「女だから」「貴族の娘だから」と何かを押し付けられることもなく、のびのびと過ごしてきた。
(おもしろ…)
ふっと口角が上がりそうになった瞬間、夫人が鋭く視線を向けてきた。アスラは慌てて表情を引き締めた。
食事が終わり、小さな菓子と温かな茶が運ばれてくる頃、ようやく会話が許された。夫人はアスラに静かに問いかけた。
「魔法力に変化はあったかしら?」
「……大きな変化はありませんが、少し、弱まったようです」
アスラは注意深く答えた。実際には指先がほんの少し温かく、黒い魔力が静かに高まっているのを感じていたが、もちろん秘密だ。
夫人は満足げに頷いた。
「多少弱まっても構いませんよ。子供に受け継がれるのは、より強まった魔力なのですから」
その言葉で、アスラは自分の答えが正解だったことを悟った。エティコン家は代々白魔道士の家系だ。白魔道士の結婚は魔力が下がるとされ、夫人の質問はアスラが白魔道士であること、そして結婚が完結したことを、二重に確かめるものだった。
「僕は、魔力が大きく下がった!」
唐突にウォレスが声を上げた。
「運命の相手ではないからだ!」
「ウォレス」
夫人は眉ひとつ動かさず、鋭くたしなめた。
「運命の相手などという迷信は、貴族の口にすべきではありません。白魔法は調和を源とするのですから、人と人の結びつきで魔力が多少下がるのはやむを得ないことです」
ウォレスはさらに大きな声で言い返したが、夫人は小さな子供を諭すように静かに続けた。
「感情を露わにするのは、貴族のすることではありません」
ウォレスはぴたりと黙り、席を立った。
それだけで、朝の食卓は終わった。
*
数日後、アスラはウォレスと共に、彼自身の屋敷へと戻った。
本家とは別の、ウォレスが普段暮らす屋敷は、少し小さめながらも贅沢な造りだった。石の回廊が続き、庭には噴水が静かに水を落としている。今後の生活の場に多少なりとも慰めがあることに、アスラは淡々と感謝した。少なくとも本家よりは息苦しくないだろう。
屋敷の中も、部屋の一つ一つが広々としていて衣装部屋も十分な広さがあった。ウォレスは自邸に帰ってからも、使用人の口からアスラとの本当の関係が母親に知られることを恐れて、頑なに同室を守っていた。だからアスラも衣装部屋でずっと休む生活を続けているのだが、長椅子に枕と上掛けを持ち込むことにしたので思いの外快適に過ごせている。
結婚から間もなく、ウォレスは自邸に乱れた集まりを呼び込むようになった。
彼は感情的で怠惰で、依存心が強い。本当の恋人エドワルダや取り巻きたちと過ごすことに、強い執着を見せていた。
少年の頃から「魅惑の王子」と呼ばれ、遊びを止めなかったエティコンの末っ子。家族に見かねられ、「家訓に則った結婚をしなければ相続権を剥奪する」と申し渡された。
そんな折に知り合ったのが、エドワルダだった。
黒髪に灰色の瞳。印象的な化粧と優雅な衣をまとう社交界の華。ウォレスはすぐに夢中になり、「魂の片割れ」と呼んで妻に迎えたいと言い出したが、家族は認めなかった。
エドワルダは人妻で、身分も低く、しかも黒魔道士だったからだ。
好きな女と相続権の間で揺れたウォレスは、結局どちらも手放せなかった。
アスラと契約婚を成立させ、偽りで「完結させた」と認めさせた途端、彼は堂々とエドワルダや遊び仲間を屋敷に引き入れるようになった。
「君も仲間に入るかい?」
ウォレスは笑いながら誘った。
少し顔を出して観察してみたが、集まりは酒と声で満ち、話題は戦争と噂話ばかりだった。広間には甘い果実酒の匂いと、焚かれた香の煙が混じり、笑い声が石の壁に反響している。男たちは大きな声で帝国の情勢を語り、女たちは扇を広げてくすくすと笑う。アスラには彼らの知識の浅さがすぐにわかった。帝国の四方で起きている大規模な戦争の話が出てくるのに、肝心の情勢をほとんど理解していない。どの軍団がどこへ向かったか、周辺の国や部族と誰が結んでいるか——男たちはまことしやかに語るが、養父やアイトから本物の戦の話を聞かされているアスラには、彼らはまるで知ったかぶりをして喜んでいる子供のように見えた。
(だいたい、大規模な戦争の最中だというのに、暇な男が多すぎる)
ウォレスの隣にはいつもエドワルダが密着し、隠す様子もない。その場にはエドワルダの夫もいた。この夫は帝都から東域にやってきた富裕な商人で、この集まりに出入りする全ての人々と同じく、軽薄な印象の男だ。ただ、エドワルダよりもずっと年上で、妻をエティコンの息子の愛人にしておくことで得る実利を見ているような狡賢さがあった。夫にももちろん愛人がいて、互いにそれを認めるのが当たり前というような不思議な夫婦関係に見えたのだ。
誰かが杯を掲げて大声で笑い、別の女が誰かの膝に寄りかかる。誰かが音楽を奏でるがそれは過剰に大きな音になっていて、声と笑いが被さるように渦を巻いている。アスラは壁際に少し離れて座り、静かにその様子を眺めていた。他にどうしようもないからだ。
(何が楽しいんだろうか…)
このような集まりが、これから何度も繰り返されるのだと思うだけで脱力する。他人がこういった宴を楽しむことに干渉しようとは思わないが、アスラにはどうしても向いていない。
(貴族とはこういうものなのかもしれないけどね)
程度の差こそあれ、こんな集まりをずっと続けている者も多いのだろうとは思う。
ただ、アスラの育った環境がそうではなかっただけ。アイトは護国卿という高い地位にも関わらず、軽薄なことを愉しみとすることが一切無く、城で過ごすことのできる限られた日々さえも鍛錬と学問に費やしていたのだから。
誰かがふざけて言った。
「愛人だけを隣にしているのは公平ではないと思わない?」
皆が囃し立て、アスラは諾々とウォレスの隣に座らされた。
「あら、いらっしゃい」
エドワルダは優雅に笑った。彼女はちびっこのアスラに比べても恐ろしく華奢で、近付くと花のような柑橘のようなとても良い香りがした。
「エドワルダよ。結婚生活でわからないことがあったら、何でも聞いてね。何しろ私はもう3回目なの」
皆がどっと笑う中、エドワルダは小声で囁いた。
「大丈夫よ。そろそろみんな酔いが回るから。少ししてからそっと抜け出せば、誰も気づかないわ」
その気遣いは、純粋なもののように感じられた。
お読みいただきありがとうございました。
書きたいから書いているのであって、きっと私は誰も読まなくても書くのだろうと思うのですが
読んでくれる人がいたら凄く嬉しいって気持ちがあって、それって純粋な喜びなんです
いい大人でもシンプルな喜びを感じられることに感謝の気持ちがあります。
本当にありがとうございます。
まだ使い方もよくわからなくて、ブックマークとかも、え、どれ?みたいな感じなんですが
週末は仕事少なくて済みそうだったらたくさん読みに行きたいと思っています。
皆様、良い週末を!




