第25話 勘違いの渦 (1)
本作品はカクヨムでも同時連載中です。
月曜から金曜まで毎日更新予定です。今のところ土日休み。
(でもごめんなさい、多分今日本時間で日付回った…うっかりしました)
「どうして」
声は悲壮だった。いつでも真剣さがなくて、ともすれば奇声を発していることも多い派手な男が、本当に傷付いた表情になっている。作り物のように整った美しい顔立ちが青褪めて涙を浮かべる様は凄絶でさえあった。
「どうしてそんなことを言うんだい…?」
こんな綺麗な男が、切ない表情で迫って来るというのは、エドワルダにしてみたら願ってもないことで、心が満たされる。そのはずだった。
でも、結婚なんて冗談じゃない。そんなつもりは全く無かったのだ。申し込まれるとさえ思いもしなかった。
「結婚できないなんて、本気じゃないよね?」
エドワルダは黒髪に細身で小柄な体。澄んだ湖のような薄い青の瞳。時に奇抜とも取れる服装を好み、自分を美しく演出することに長けた女。さほど美人じゃないことは自分が一番良く知っている。どちらかといえば気難しく見えるような人相なのだ。
それでも注目を集めたかった。
伝統的な、堅実な家の好む良妻賢母にはなれないことは、少女時代にはもうわかっていたから、他の道を歩むしかなかった。元はそれなりに豊かな商人の娘だったのだが、父はエドワルダがまだ幼い頃に亡くなり、一家は困窮していた。抜け出す道は金持ちと結婚すること。けれど、ただ金持ちの妻になるだけでは足りない――それは尊厳の問題だ。
賢くて魅力的な女だと認められたい。自尊心を守るには洗練しか道が無い。だから誰よりも洒落た服を身につけ、機智に富んだ話術を磨き、常に人の目を意識した仕草をした。優雅で頭が良くて、気の利いた皮肉を言いながらも相手の喜ぶ答えを的確に探し当てる。その戦略は当たった。エドワルダには才能があった。男たちは美貌や身分のある女たちよりもエドワルダに気に入られたいと望むようになった。
それでも社交界の人気は移ろいやすい。終わりの無い道だと気付いた時にはもう戻れなかった。学び、観察し、人の心を掴む会話をいつでもできるように絶えず備え続ける。
社交界の華でいることは、エドワルダにとって存在意義と同義だ。
東域にやってきたのは、3人目の夫エルンストの仕事のためだった。帝都での華やかな暮らしも、夫の財産があればこそ。東域の社交界も独特の趣があり、しばらく滞在するには悪くない。その程度の気持ちだった。
目を惹く美形で金持ちのウォレスは、知り合ってすぐにエドワルダに興味を示した。そういう男は多い。特に、ただの美女には飽き飽きしている貴公子には。ところが、ウォレスのエドワルダに対する執着はただの楽しい遊びの域を超えていた。彼はエドワルダこそ運命の恋人だと言い出し、どこに行くにも一緒に出かけ、屋敷にも呼んだ。
間抜けなことにエドワルダは、彼が掛け値なしの本気であることを見落とした。派手な貴族がベラベラと愛の言葉を並べるなんて当たり前だと思ったから、うっとりと彼の言葉を聞くふりをして、その実受け流していた。そもそもが永遠なんて誓いようも無いほどに身分が違うのだ。正統派の貴族が本妻に選ぶのは貴族の娘に決まっている。
そのうちに、ウォレスは正式の妻を迎えたが、妻と言ってもまだ子供のようなもので、とてもではないが、甘ったれのウォレスが満足するような女とも思えない。その娘があまりにも年若いから、少しは気の毒に思ったけれども、なんだか飄々として、夫の愛人を気に病むとも思えなかった。
月日はただ夢のように流れた。
正直なところ、ウォレスとの交際は楽しかった。裕福なエティコン家の、夫人溺愛の末っ子とあって、金は唸るほどあった。何よりもウォレス本人が華やかな貴公子で、彼のお気に入りの愛人として注目を集めるのは気分が良かった。
「やっと君を妻にできる」とウォレスが言い出すまでは。
彼は、父親と兄たちが死んだから当主になれる、そうしたら結婚しようと伝えてきた。エドワルダはすぐに思ったものだ――冗談じゃない。誰があんな、世間知らずで、依存心が強くて、四六時中エドワルダの関心を引きたい、いつまでも少年みたいな男と結婚するものか。派手な貴族との付き合いは一時的なものだからこそ楽しいのだ。
エドワルダは夫のエルンストに言ってすぐに東域を離れて帝都に戻ることにした。エルンストとは、妙に気が合う、戦友のような関係だった。互いに愛人を複数持っていても、心の距離は近い。エルンストはオリエントリアで手掛けていた商売を急いで畳むと、エドワルダを連れて街を出た。
「どこにもやらないよ、エドワルダ」
想像を超えて、ウォレスの行動は早かった。あっという間に、追っ手がかかり、あろうことかウォレス自身が来たのだ。
「君無しには、僕の世界は暗闇のようだ。どうか、離れて行くなんて言わずに、僕の妻になって欲しい」
血の気が失せても端正な顔立ちは美しい、しかしその瞳には怪しい炎のゆらめきがあった。
「…ねえ、ウォレス。わたくしだって、あなたと離れたくはないわ。でも、身分が違うんですもの。貴族の当主さまになるのだから、なおのこと、わたくしのような商家の女が奥様になるわけにはいかないわ」
落ち着いて、彼の気分を害さないように上手く断る必要があった。
実際のところ、ウォレスとエドワルダでは貴賤結婚になってしまう。当主になるのに財産権を制限されたらエティコン家が受ける影響は計り知れない。
「ああ、やっぱり僕のために身を引いてくれたんだね。そうだと思っていたよ」
彼はエドワルダの手を取る。女の手のようにしなやかで小さな手だ。
「でもそんな気遣いは要らない。僕が当主になるのだから、母上だって、僕の決定には従うしかないんだからね」
でも、とエドワルダは言葉を選びながら、幼い子供に説明するように、財産権のことを思い出させようとする。当主の不始末は一族全て、また家領の全てに影響することを。
「大丈夫だよ」
そこでウォレスは子供のように笑った。
「ちゃんと考えてあるんだ。アスラに子供を産んでもらうから、出産が終わったらアスラには出て行ってもらおう」
「何を、」
突拍子もない提案を理解するのに少し時間がかかった。
その間にもウォレスは滔々と計画を語る。
正夫人であるアスラに子供を産んでもらい、その子をウォレスの後継者にすること。その後でアスラに出て行かせて、エドワルダと結婚すれば、貴賤結婚の罰はかなり軽減されること。そこまで説明してから、彼はハッとしたように
「もちろん、アスラが産むのは僕の子供ではないよ、だから君が心配するようなことは何もないんだ」
と付け加えた。
当たり前だ。その子供はもちろんウォレスの子供ではない。でも問題はそこではない。そんなことが表沙汰になったらウォレスは厳しい罰を受けるだろうし、平民であるエドワルダも罪に問われ、事実上の厳しい刑罰を受けるだろう。
ウォレスは酔ったように、何の心配も無い、アスラは納得しているとか、十分な礼をして再婚先も探してやるからあの子のことは心配してやらなくていいとか、君は優しいだとかと言った。
「そんなことをするべきではないわ」
何度断っても、彼は引き下がらない。
違う。心配でも遠慮でもなくて、私はあなたとの結婚なんてそもそも望んでもいないのだと、そう言えればどれだけ楽か。しかしウォレスの性格上、そんなことを言えば逆上するのは見えていた。
「でも、私は今も結婚しているのよ」
慎重に、現実を思い出させる。
彼は、困ったような表情になった。
「ねえ、どうしてわかってくれないんだい?本当に、何も心配しなくていいんだよ。君の結婚だって、今頃離婚手続きを進めているところだよ」
「離婚?」
もちろんだとも、と彼は言った。
「僕はもう、エティコンの当主なんだ。何もできない末っ子の時とは、従えている人間の数だって違う。動かせる金も桁が違う」
ああ…。
そのあたりで、エドワルダは己が底無し沼に足を踏み入れていたことに気づいた。
お読みいただきありがとうございました。




