第24話 色に出にけり
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「最終的には離婚になるものだと思っています」
アスラは平然と言い切った。
ほれ見たことかとフィロニコスは思う。常に冷静な娘だ、顔が良いだけの男に溺れて結婚などするものか。
起きてきたアスラが顔を出したので、フィロニコスはアイトに静止される前にざっくばらんに聞いたのだ。「お前どうしたい?」と。
「…あなたはそれで良いのですか?」
アイトだけが恐ろしく真剣な目でアスラを見つめていた。
「はい、もちろんです。あっ、離婚の時期とかは少し話す必要があると思います。ウォレスの彼女にも都合があるみたいなので」
「…都合って、その人、現在進行形で人妻じゃアないですか」
「そうみたいですね。エドワルダの旦那さんも、ウォレスの集まりに来ていたみたいです。エドワルダの離婚と、ウォレスの当主就任の時期を見て、私と離婚する感じになるんだと思います」
珍しくアイトは黙り込んでいる。
(この男が言葉に詰まるとは、珍しいこともあるもんじゃな…)
貴族の婚姻とは本来が条件婚だ。互いに気があるから結婚するというものではない。貴族としてはかなり外れた道を歩んできたフィロニコスだってそんなことは常識だと心得ているし、特殊な立場にあるアイトだって、元々貴族階級の生まれ。わかっていないわけではないだろうと思うが、どうにも、アスラを恋愛結婚だと思い込んでいる。フィロニコスがはっきり否定しても、腑に落ちない様子だ。
(はて。いくら万年未婚男だと言ってもな…)
嫁などいくらでも何度でも娶れる立場にも関わらず、アイトはこれまでに一度も結婚したことがない。前世とされるアクイラ卿も生涯未婚だったから、現世のアイトも変わり者なのだろうと誰もが思っていた。帝国貴族の男性としては、形式的にも妻を迎えないというのは本当に例外的なことだ。
「…あなたの意志が、離婚でいいということであれば、先方と話を進めたいと思います。フィロニコスが戻ってきたので、セネカ家からの申し入れという形にしますが、それでよろしいですか?」
何を考えているのか、かなりの間を置いてアイトは方針を固めたようだった。
「はい。でもきっと時期が折り合わないと思います」
「先方はエティコンの後継者としての儀式を終わらせてからの離婚を望むでしょうからね。ですが、あなたに不義理なことをしているのは先方です。気にせず婚姻無効としてしまえば良いのですよ」
聞いた話では、愛人は人妻であるだけでなく、貴族ではない。アスラと別れてその女と結婚したところで貴賤結婚になってしまう。エティコン家からすれば、貴族であるアスラと結婚しているうちに家督を継ぎ、精霊との儀式を終え、帝国議会に届け出てしまう方が都合が良いだろう。ところが、アスラからすると、エティコン家当主夫人として儀式に出席した後で婚姻無効にすることはできなくなる。その場合は単に離婚しか選べない。そこまで先方に合わせてやる必要はないだろうとフィロニコスも思うが、アスラはあっさりとこう言った。
「いえ、それはいいんです。ウォレスには言ってやりたいこともありますけど、エドワルダは結構良い人だったんです。だから、当主就任までは付き合っておいて、その後離婚でも私は構いません。ただ、子供を産んで置いていけって言われているんですけど、そこまではちょっと…その、難しいというかですね、」
「な…」
アイトの顔色がサッと変わった。
「そんな、そんな酷いことを言われていたのですか?」
(おお…?)
フィロニコスは、その酷い話よりもアイトの浮かべた表情に驚く。目を僅かに見開き、口元を戦慄かせるようにして――傷ついていた。日頃落ち着き払った、誰にも逆らえぬような威厳を放つ男が、まるで少年のように傷つき、狼狽し、悲しみを見せていた。
「ドミヌス様…?」
「既に子がいて、その後離婚になったというならともかくも、まだ存在もしない子を孕って、産んだら出て行けと?」
明らかに、アイトは怒っている。
(怖や怖や)
だがどういうわけか、アスラは恐ろしいとも全く思わないらしかった。いえいえ、とひらひら手を振りながら、ケロリとした顔でそれほど悪い結婚ではなかったのだと説明した。アスラの話では、ウォレスという男は、結婚に関しての約束は基本的に守った上、持参金も殆ど求めず、当主不在のセネカ家を守って余りある援助をしてくれたのだそうだ。それ以外にも、結婚に際して交わした約束は守られた。エティコンで暮らした数ヶ月の間、生活は自由で快適だった。
「あなたが誘拐された地点は、何だか粗末な物件だったそうですが…。普段住んでいた屋敷とは違いますよねェ?」
「あの、そこは、その時連れて行かれたんです。その、妊娠するための建物だそうです」
「っ…」
アイトの表情にひびが入ったのが、フィロニコスには見えたように感じた。
(いや、儂が聞いても恐ろしいがな。遊び人だと聞いとるが、そこまでするか…)
大人の男として、要らぬ想像が頭に浮かぶ。
「ですから、縁あって嫁ぎ、必要とされる後継を産んでから出て行って欲しいというお話があっても、私はそれほど怒ることでもないと受け止めていました。その場合には、ウォレスのことですから、離婚後の生活に困らないだけのものを支払ってくれるでしょうし、希望すれば再婚先も探してくれたはずです。ただ、」
私は産んだ子を置いて来るわけにはいかないのです、とアスラは本当に何でもないことのように言った。
「狐だってばれてしまいますから。私が近くにいれば、変化の魔法を常にかけておくこともできますが、婚家に置いて来るのは無理です」
(なぜだ…アイトよ)
隠しても、その表情が物語っていた。
(特別な娘なのだろうと、知ってはいたが、これは…)
誰も近付けない、孤高のドミヌスの、内に秘めたる感情は何なのか。
垣間見た思いがした。
*
「結婚契約の解除の場を設けます」
アイトは決定事項としてアスラとフィロニコスに伝えた。
「その前に幾つか調査していることがありますが、時間の問題でしょう」
ふたりとも、異存は無いらしい。変わり者でもフィロニコスは貴族だし、アスラも平然と振る舞っている。
アイトは内心で複雑な気持ちだった。
アスラがウォレスという男を慕っているのだと思えば、苦しかった。胸が絶えず重くなって、息をするのも苦しい。若い娘なのだからそんなことは当たり前だと思う、思うが、過去のアクイラが、まだアイトのなかで生きていて叫ぶのだ。アスラは己のものではないかと。彼女と生涯と共にするつもりであった、喪失の痛みを抱えて生きた日々をどうするのかと。
だが一方で、アスラが貴族的な理由で結婚したとすればそれはそれで、心に波が立つ。フィロニコスが戦争に行き、夫人の治療に金がかかると、それだけのことで結婚するくらいなら、なぜ、アイトを頼ってくれなかったのか。
(アスラの心がわかりません)
己の汚い心に気付かれて、避けられたのかと思ったりもする。警戒されたか。
だが、親しみは今でもはっきりとある。信頼も。それは感じられる。
(…今時の若い娘は、簡単に結婚するとか。結婚してみたかったとか)
何しろ人生が2周めなのだ。もう年だから若者の心がわからないとかそういうことですらない。
婚家に子供を置いて来るわけに行かない、と言った時のアスラを思い出す。彼女はウォレスには狐族であることを明かさなかったのだ。気付かれぬようにしろと変化の術を教えたのはアイトだ。現に、銀狐と知られただけでシルヴァヌスに売られた。隠したことは正しい。
(結婚して、相手にまで隠すのは苦しかったことでしょう)
これほど早くに結婚するとは思わなかったから、考えが足りなかった。
幸せになって欲しいのだ。苦しみを背負わせるつもりではなかった。
(いずれ然るべき結婚を整えてやらなければ…本来の姿を隠さなくてもいい結婚を)
本気でそう思うのに、自分がそれを実行できるかは甚だ疑わしいとも思う。
他の男がアスラに触れたと思うだけで、どす黒いものが心の底から湧き上がって来る。私のアスラ、私の、私の、と、声にならない叫び。
それは許されざるものだ。
年も離れている。
何より、前世で彼女を守れなかった男が、前世の記憶も無い彼女に素知らぬ顔をして近付くなんて、してはいけないことなのだ。
(この件をきれいに片付けたら、彼女の幸せだけを祈りましょう…)
痛みは、アクイラだった過去に対する、アイトが科した罰。
お読みいただきありがとうございました。




