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第21話 汚れた狐耳と尻尾(1)

本作品はカクヨムでも同時連載中です。

月曜から金曜まで毎日更新予定です。今のところ土日休み。

 尻尾を掴まれて泣き叫んでいるアスラが目に入った瞬間、己の血が沸騰するのがわかった。その場でオヴァムを消し炭にしなかったのは、アスラの目の前での残虐な行為を避けたいという気持ちがギリギリのところで勝っただけだ。

 場を制圧したからには、さっさと引き上げてアスラを休ませなければとそればかり考えていた。

「…怪我は」

 目尻に涙の跡が残る顔はふるふると横に振れる。

「では触っても痛くないですね」

 言いながら手を伸ばしてアスラを抱えた。「待ってください、私、汚い…」と彼女は呟いたが、これ以上の自制をすることは今のアイトには無理だった。彼女が銀狐の姿をしていることに思い至り、肩からかけた黒鷲の外套(ドミヌス・パッリウム)を外して、アスラを丸ごと包んでしまった。

「すぐに休めるところに連れて行きますからねェ…」

 後始末は既に指示を出してある。部屋を出ようとしていると、シルヴァヌスを引っ立てて来たエデコがやってきた。

「一味を捕らえ、現在はこちらの総督府内の捜査に入っております」

 エデコは報告しながら魔力を含む縄をウルに投げ、ウルはそれでオヴァムを縛る作業に取り掛かる。

「おい、どうなっているんだ!」

 シルヴァヌスはまだ状況が飲み込めていない様子で叫び、声に反応して、一度は意識を失っていたオヴァムも目を覚ました。

「…こんなことをして…ただで済むと思うなよ。薄っぺらい正義感か、狐を横取りしたいのか知らんが、」

 べしっ、と音がする。ウルがオヴァムを平手打ちしたのだ。

 アイトは軽くため息を吐いた。

「バカってどうにもならないですねェ…」

 人は自分の見たいものしか見ない。

 シルヴァヌスも、オヴァムも、自分たちが大きな力を持っていると思い込んでいる。シルヴァヌスの獣裔取引の本質は、その売り買いによる利益ではない。誰が何を購入し、どんな性癖を持っているかという情報の方が遥かに深刻だ。オヴァムは大口顧客のひとりでもあるが、同時にシルヴァヌスに中央政界の大物を紹介する役割も担っていた。違法行為とされる獣裔取引に関与したという顧客の弱みを握っていたと言うことの方が遥かに大きな意味を持つ。彼らはその情報のゆえに、自分たちが絶対に捕まらないと誤認した。

「元老院長アストゥル閣下が特務監察局を連れてこちらに向かっていますから、後はそちらとお話しなさい。言い訳する時間はたっぷりと与えられるでしょうから」

 アイトがそう告げて、ようやくオヴァムは完全に真顔になった。

「アストゥル?本人がか?そんなはずは」

「ご本人にお会いになったらわかりますよ。念のために申し上げますが、バカなことは考えない方がいいですよ。閣下には正規軍が同行しています」

「…議員特権があるだろう。アストゥルと個人的に話すだけなら構わんが、取り調べを受けることは拒否する」

「議員特権は私の権限で剥奪します」

 少しの沈黙があった。

「…待てお前、いや、あなたは、ドミヌスなのか?」

「ただの行政官ですよ。最初から言っているでしょォ」

 そこでオヴァムは思い出さざるを得ない。護国卿という肩書きが帝国法上、行政官に分類されることを。

「待て、待ってくれ。このオヴァムを保守派に引き渡すのか?そんなことをすれば、改革派は。ドミヌスは私兵に誰でも入れる、改革派寄りだろう!」

 アイトはフン、と笑った。

「私はどっちでもありませんよ…あなた、改革派の旗手と持て囃されているようですが、本物のバカだったんですねェ」

 徹頭徹尾の現実主義者であるアイトからすれば、実力のある者の登用は当然のことであり、一方で既存の貴族階級をある程度重んじるのも当然のことだった。どちらにも一定の正義はあるのだ。国を運営するために最適なのは両面を見ることだ。

「裁判までゆっくり物事を考えてみることをお勧めしますよォ」

 保守派の重鎮アストゥルとは知らぬ仲でもない。老獪な政治家だ。伝統を守る者として一本筋の通った生き様は嫌いではないが、海千山千の彼と直接やりとりして面倒を押し付けられるのは御免被りたいところ。ましてアスラを見られたら、アストゥルの勘の良さで色々と気付かれてしまうかもしれない。

 後の指揮をエデコに託し、アイトはアスラを抱えたまま悠然と東方総督府を離れた。


               *


 部屋に戻ると、水音が聞こえた。

 急遽用意した屋敷に入ったのは夜明けのことだ。オリエントリアには日頃全く用も無いから、よく知る貴族から借り受けたのだ。アスラは見たところ大きな怪我はなく、先ずは休むようにと言い置いて、アイトは別室で部下からの報告を受けたところだ。


 政治的な始末は万事整えたので、報告の主なものはウルディンからだった。彼は単独潜航――実際のところは、商会の人間だと偽って潜り込むのに失敗して押し入った格好になっていた――という軍規違反を犯した。しかしおかげでアスラが奴隷契約を結ばされる前に助け出すことができたわけで、アイト個人としてはウルに恩が出来たことになる。処遇をどうするか考える必要があった。だがそこで語られた詳細はアイトにはかなりの衝撃を与えた。

「アスラ嬢は、その、あー、決定的なことはおそらくされていない様子でした。ニオイを嗅がれたりとかはしてましたが、薬で眠らされてました」

 ウルにしては言葉を選んだつもりなのだろう。

(決定的なこととは…どこまでが決定的とは言えず、どこからが決定的なのか…)

 仔細を聞いてしまうとアイトは酷い頭痛がした。事実を事実として受け止めるしかないのだし、攫われてからの経過時間を考えたらもっと酷いことをされていてもおかしくなかった。不幸中の幸いと言っていい状況に着地できたのだ。

「よくわかりました。軍規違反については追ってヴィテークから話があります。が、アスラを無事で救い出すことに貢献してくれたこと、このアイティウス個人として感謝します」

 もったいないお言葉ですとウルは深く頭を下げた。もう休みなさいと、臨時の執務室から彼を追い出し、アイトも奥の部屋に引っ込んだ。


 アスラを休ませる部屋は、その屋敷の主の間と隣り合った一角で、本来は家の奥方が使うように設計された部屋だ。アイトの寝室は居間を挟んで反対側にあるのだが、顔を見られずとも少しでも彼女の近くに居たい。

 長椅子にどさりと体を投げ出す。

 水音がするのは浴室を使っているのだろう。休めと伝えたが、一連の出来事で嫌な思いをたくさんしたのだ。洗い流したいのか。

(耳や尻尾に触れられたなどと…)

 想像するだけで涙が出てくる。

(狼影根まで使われて…)

 神経に触れる、狐族(ヴルペス・ゲンス)には禁忌の薬物だ。

 狼影根を使われたとその場でわかっていれば、シルヴァヌスもオヴァムもその場で血祭りに上げてやればよかったとさえ思う。アイトは戦場に身を置いて長いからこそ、規律を失うことを酷く嫌う。それでも、アスラに攻撃を加えられたことは耐え難い。理屈ではないのだ。――もっとも、その場で殺された方がマシだったと思うような緩慢で地獄のような罰が彼らには与えられる。そのように計らった。

(ずっと私の城に置いておけばこんなことには)  

 幼児の頃のように、居城に住まわせて一切の面倒を見ることができればどれだけ良いだろう。手元に置ければ、誰にも指一本触れさせぬものを。

 アイトは耳を澄ます。

 いつの間にか水音は止み、静かになっていた。それでも気配だけは感じられる。彼女の立てる物音のひとつも聞き逃さない。瞬きの音さえも聞き分けられるのではないかと思うほど、心はいつもアスラの方を向いている。

 久々に会った彼女は、言うまでもなく疲れ切っていたが、それでも表情はグッと大人びた。結婚までして、人妻となったのだからそれも当然だが、聡明さも落ち着きも増して、急に大人の女になってしまったような気さえする。子供の頃のアスラとは別人のようで、同時にアイトの記憶に残る前世の成熟した女だったアスラになったように感じられるのだ。

 彼女に触れられないことが、辛い。

 そう、気がついてしまった。

「安全地帯から一歩も出ないような人生はつまらない」

 小さな声でアイトは口に出す。

 前世のアスラが言っていたことだ。彼女は聡明で思い遣りに溢れるだけでなく、アイトが知る限り最も勇敢な人だった。誰かに守られるよりも、守りたいもののために戦うことが出来る人間だった。

 そして今のアスラも。過去のアスラとは違う、別人なのだと思おうとすればするだけ、ふたりのアスラに共通する芯の強さを感じるのだ。

 だからこそ、彼女をただただ置き物のようにアイトの城に匿っておくことなどしてはいけなかった。

(この扉を蹴破ってあなたをこの腕に抱えることができれば)

 願ってはいけないこと。

 扉一枚隔てられた向こう側は遠く、アイトはただただ扉を見つめて動けないでいる、そのはずだった。

(ン?)

 愛おしい気配が何故かこちらに向かって来ていると思った次の瞬間―― 



お読みいただきありがとうございました。

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