第19話 禁じられた遊び
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半月が浮かぶ杳杳たる夜のこと、オリエントリアの一角にある粗末な家に1羽の飛翔信が滑り込んだ。鳥はなんということもない鳩で、本来は夜に飛ばす種ではないが、地味な見た目に反して贅沢に魔力を施されているのだった。
受け取ったのは肌着だけを引っ掛けた若々しい男――実際には四十路に足を踏み入れたばかりだが――で、浅黒い肌に体型は腰高、筋肉質。顔立ち精悍、一見してなかなか魅力的な容姿と言える。彼は長椅子の背に体を預け、足は彼の所有する猫族の若い女を踏みつけにしているところだったが、姿勢を変えることなく、腕を伸ばして鳩を受け取った。
この男の名を、オヴァム・マウリウスと言う。
「なんと!」
手紙を読むと彼は叫び、ついでに足元の猫耳娘を蹴飛ばした。ギャッと声が上がったが、オヴァムの耳には入らない。
「こんなことがあるのか…」
彼は口元を手で押さえ、愉悦の笑みを浮かべた。飛翔信は懇意にしている商人のシルヴァヌスからのもので、そこにはかねてよりオヴァムが熱望していた商品、銀狐が手に入ったと書かれていた。それも、まだ若い。獣族、ことに狐族は成長期が遅く、かつ成長期を迎えると急速に大人の体に変化する。オヴァムは変化前の個体を手に入れて、変化の時期に観察することに無常の喜びを感じる。――成熟してしまえば興味を失うということだ。
飛翔信に購入の意思を示す短い返事をつけると即時に送り返した。
「すぐに行こう」
既に遅い時間だが、シルヴァヌスは心得たもので、いつもの取引場所に先に入り、支度を整えて待っているのだ。手紙に書かれていた法外な値は問題だとも感じなかった。これを逃せばいつ銀狐が手に入るかわからない。それに、中央から隠してある、表にできない金はたっぷりとある。
彼はひらりと飛び起きると下着を整え、いつもの服を順に身に付け、最後に黒紫色の上衣を纏った。胸元と袖口には彼の出身地である帝国南方のムール人が大切にする、鴨の意匠が金糸で刺繍されている。その服装は何ら身分を隠そうとはせず、いかにもな貴族であり、帝国魔道院所属の高級魔道士であったが、彼は自分の行いが咎められる日は永久に来ないと確信していた。
向かった先は帝国東方総督府――現在東方総督は空位となっているため、貿易のために使用されている施設――だ。オヴァム・マウリウスは歴とした帝国貴族であり、帝国議会の一員であり、公的に帝国魔道院東方支部長兼軍事魔道担当という役割を担っている。
足取りも軽く、彼は商工会に足を踏み入れた。責任者は心得たもので、「特別管理課の緊急会議でございますね」と隠し扉の方へオヴァムを案内する。
「おお…これは素晴らしい!」
魔法陣の中に横たえられた銀狐の娘は青白い顔をして意識を失っている様子だった。生きているかどうか不安になるような有様だったが、オヴァム卿は案ずるでもなく、ただただ感動していた。
「これほど完璧な個体があるとは…もっとよく見せてくれたまえ」
どうぞ、とシルヴァヌスは言った。狼の耳と尻尾は名の知れた闇商人である彼の非常に目立つ特徴だが、隠すことはしない。
「但し、奴隷契約が済むまでは触れない約束ですぞ、閣下」
「わかっているよ。心配するな、完全に逃げられなくしてから少しずつ触れるのが醍醐味というものだ」
言いながらオヴァムは魔法陣の中に侵入し、跪くと腰を折って鼻先を娘の顔に近付けた。
「吸ってもいいんだろうね?」
これにもシルヴァヌスはどうぞどうぞと応じる。
オヴァムは高い鼻をひくつかせ、ふんふんと音をさせて娘のにおいを嗅ぐ。
「地下牢に入れておいたので汚れていますよ。通常は洗ってから提供するんですが、この娘、暴れましてね。薬で眠らせてあります。寝てても洗えますが、閣下にお買い上げいただくと決まったので、もしやこのままの方がお好みではないかと。もちろんご希望でしたら今からでも洗浄可能ですよ」
「いやいい」
オヴァムは長い指を振って否定した。
「獣臭くて最高だ。さすがだなシルヴァヌス、わかってるじゃないか。優しく保護してやって、洗ってやるところから関係を始めるんだよ」
これまでの獣族たちともそうだった。オヴァムは必ず、最初にいかにも優しい人間の顔をする。支配は物理的なことに留まらず、精神にも及ぶ。それが好みなのだ。優しい庇護者として心を開かせ、あらゆる意味で逃げられなくしてからじわじわと嬲り、そのうち平然と足蹴にし、もっと酷いことをして、そのうち飽きて捨てる。
だが銀狐を捨てる気にはならないかもしれない。
あまりにも希少で、あまりにもオヴァムの好みだ。薄汚れているが、耳も尻尾も大きく、毛の量が多い。洗ってやればふんわりと膨らむだろう。体躯は小さく、顔立ちは寝顔でもわかるほど整っている。何よりも肌がいい。汚れていても肌理細やかなのが見て取れる。
優しく接してやる期間を長く取ろうとオヴァムは思った。
慈悲深く寛大な人間として振る舞うのが好きなのだ。聞こえの良い優しいことだけを口にして、人の見ているところで親切に振る舞っていれば、深く考えない人間を騙すことは簡単だ。貴族として政治家として、成功を掴むことは容易だった。一方で、自分の本質を隠していればいるだけ、真実の自分を開示したいという欲求も強くなった。――吐け口は獣族の若い女だ。優しくしてやって信頼を受けてから、虐待に転じる。オヴァムはそれでようやく満たされるのだ。
「狐族は閣下のご趣味に特にお勧めでして…狼影根を与えると怯えて狂ったようになり、銀葉を与えると快感を得る。知能も魔力も高めの個体が多いですが、薬さえあれば思いのまま」
「狼影根は聞いたことがあるが、銀葉にそんな効果があるのか?毛皮の手入れに使うものではないのかね?」
「奴らの石鹸や油に含まれる銀葉は少量ですよ。効果があるのは純粋な銀葉ですが、高くて買えたものではない。閣下には問題なくお求めいただけると思いますがね」
「悪い奴だなあ、シルヴァヌス。これだけの高値で狐を売りつけた後に、高い薬まで売ろうとは」
その時部屋の外から扉をコツコツと叩く音が聞こえ、シルヴァヌスは少しの間外に出た。すぐに戻り、「ネズミが入り込んだようです」とオヴァムにも囁いたが、囁いた方も囁かれた方も気にも留めなかった。侵入者ごときに何か決定的なことをされるとは思ってもいなかった。
「そろそろ契約としよう」
「魔法陣のご確認も宜しいですかな」
奴隷契約と通称されるその術式は、隷属の枷と呼ばれる精神魔術のひとつだ。支配者と奴隷の身体の一部をくっつけて、奴隷の魔力を強制的に引き出して行う。
魔法陣の上に横たわる娘の細い左手首を、オヴァムの黒く長い指先が掴んだ。意識のない娘から、魔力は勝手に呼び出されて来る。
「…白魔道士と言わなかったかね?この娘は黒いぞ」
ふたりの手に纏わり付くような靄は黒くてうねうねとしたものだ。
「おかしいですな。経歴は白魔道士ですが…気になるようでしたら取りやめますが」
オヴァムは鼻で笑った。
「灰色狼よ、わざとらしいことを言うな!やめるわけがないだろうが!…だが、この娘、結婚契約も抱えているぞ。白婚のようだが、有効なものだ。私は気にしないが、良いのかね?」
「構わんでしょう。結婚契約の相手先が、契約解除不能になるかもしれませんが。それだけですな」
「ふん…」
そのまま、オヴァムは契約を続けようとした。
魔力を双方が発動し、それに伴って魔法陣が発光する。周囲の空気が揺らぎ、囂々と風のような音が鳴った。
「抵抗が激しいようで」
意識はなくとも、魔力が奴隷契約を拒んでいた。
「構わんよ」
上級黒魔道士でもあるオヴァムは、若い娘の魔力などねじ伏せられると思っていたし、実際にその通りだった。娘の魔力はオヴァムのそれに押さえつけられ、いよいよ最後の契約の呪文をオヴァムが詠唱する。
「セルウィティウム――」
まさにその瞬間だった。
天井の梁が軋み、瞬間的に影が落ちた。
「オブリガティオ!」
ガシャンッ!
奴隷契約の魔術の完成と全く同時だった。激しい音とともに、木片と大量の埃が爆発的に飛び散り、魔法陣の真上に男が着地した。
床が大きく軋み、魔道灯が激しく明滅する。
男は着地の反動で片膝をつきながらも、素早く体勢を立て直し、銀狐の小さな体を両腕でかばうように覆い被さった。
オヴァムは目を細め、初めて本気で顔をしかめた。
「……誰だ、お前は」
「あー…申し訳ありません。これ多分、先ほど報告にあった、侵入者ではないかと。今警備を大きく増やしているところですが、既に1匹入り込んでいたらしい」
シルヴァヌスは気まずそうにそう言った。
「その、ここまで侵入されるとは思いませんで。至急調べさせますが、その、いや、本当に…くくっ、申し訳ない…」
そして堪え切れずに笑った。
「シルヴァヌス、笑うところではないぞ」
オヴァムもまた、苦笑いを禁じ得なかった。
侵入者は銀狐と結ぶはずの奴隷契約の完成に割り込んだのだ。
「こんな男と契約してどうしろと言うのだ」
「タダで手に入れた奴隷と思われてはどうでしょうかねえ。丈夫そうですよ」
どこぞの商会の制服と思しき葡萄酒色の長衣を身につけた男は鍛えた体をしていた。
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