第18話 砕ける魔石
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「ウルの兄貴、本当に総督府の中にその獣の氏族がいると思ってんの?」
ルヴェンは半ば呆れたように言った。ルヴェンの母親がウルディンの乳母だったから、一緒に育った弟分だ。出身地カルトりは山岳地帯で独特の文化を持っていることもあって、大人になってからも絆は強い。
「単独潜入とかヤバいんじゃない?」
「本隊が来るの、待ってられねえから」
ウルディンはカルトリの民族衣装に着替える。ルヴェンは商会の荷運び人の衣装を一揃い用意してくれた。膝まである羊毛の上着も細身の脚衣も膝下まである長靴もいかにもカルトリ風で、その上商会の制服として葡萄酒色を基調にしてあり、軍人らしさを幾らか薄めることに役立つ。
「でもさあ、いくらシルヴァヌスでも最近のオリエントリアは獣裔取引にはめちゃくちゃうるさいよ。捕まったら重罪を免れない。本当にこんなところでやってる?」
細身で童顔、相手を油断させるに十分な若々しさのルヴェンだが、これでルヴェン商会を背負っている。目端は効くし、情勢をよく把握し、良い商人だ。彼は近年のオリエントリアについてウルディンに熱心に説明した。
オリエントリアは東方商業の中心地だ。帝国の組織図で言うと、東方総督の統治下にあるべき街。ところが、「兄貴んとこの殿様」こと護国卿・アイティウスが、東方総督の役目を引き受けない。そのせいで総督が空位のままになっている――誰もアイトと対立関係になりたくない――から、中央政府は帝国魔道院東方支部長みたいな格下の肩書きを作って一応の役人を送り込んでいる。
「その役人ってのがぁ、オヴァム・マウリウスっちゅう、南方ムール系の貴族。まだそんな年でもなくて、多分40くらいだけど、結構なやり手。家系的には割と古くて、伝統貴族寄りのはずだけど、政治的立ち位置は改革派急進派閥」
「なんでぇ、そりゃ」
「兄貴、あの黒鷲近衛隊所属でしょ。政治に興味無さすぎじゃない?」
ウルディンは「うるせー」と応じた。出世には興味のない、単にアイトを主君に戴き生涯仕えたいという、それしかないのだ。
「獣の氏族にも平等な権利を!って奴だよ。伝統貴族の既得権益に反対し実力次第で異種族にも平等な機会を与えようという主張。まあ政治的な打算だろうけどさ、とにかく今のところ、獣裔取引はすっげえ厳しいんだよ」
「おう」
空返事だ。聞いているのかとルヴェンは更に詰める。
「お前の言うこともわかるけどよ、俺はシルヴァヌスが入って行くのをこの目で見たんだ!」
着替えを終えたウルディンの眼前には東方総督府の建物がある。総督空位にて、賞取引所として使われているのだ。アスラ行方不明を知って以降、ひたすらに聞き込み張り込みを続けたウルディンは、灰色狼の尻尾を揺らしながら総督府に入って行く男の姿を見た。
「表の商売で出入りしているだけだと思うよ」
「それでもだ!捕まっているのは女の子なんだよ。一刻を争う!」
兄貴がそう言うなら、とルヴェンは積荷ごと馬車を渡した。
「ありがとうよ!このまんま、ルヴェン商会の者だって言って通るからよ、後で問題になってもドミヌスが必ず何とかしてくださるはずだ。悪ィが、連絡頼んだぜ」
*
ウルディンが独断でアスラ捜索のための総督府潜入を試みているその頃、アイト率いる一行は恐ろしい速さでオリエントリア近郊に辿り着いていた。飛行術を使わず馬で来たとは言え、軍用の装備で白魔法をかけ続けての行軍だから移動速度は常識を遥かに超える。
先ずエデコ以下の部下たちに命じたのはシルヴァヌス関連の裏取引の洗い出しと、エティコン家周辺の事情。エティコンの方は概ねアイトが想像した通りのことが起きていたが、問題はシルヴァヌスの方だ。
「獣裔取引もやっているのだろうという噂は前々からありますが、実態が掴めません。取引の現場がどこなのかも、買い手が誰なのかも」
生真面目なエデコが青くなるほどに、捜査は進まなかった。
シルヴァヌスの表向きの顔は狼族の希少な薬草や魔石を取引する商会の会頭であり、時には帝都にまで出向き、気位の高い帝国貴族との付き合いもこなす器用な商売人だ。裏で暗いことをやっているのは誰もが知っていると言うのに、いざ情報の核心を得ようとすると何も出ない。目の前にいるというのに、捕まえようとするとぬるりと逃げてしまう。
「ウルが捕まえていた3人組のゴロツキも、エティコン若夫人ことアスラ嬢を売り飛ばしたということはわかるのですが、どこでどう、ということになると、記憶の読み取りを行っても出ません」
魔力での記憶の読み取りをかけても何も出ないと言う。高度術者と特殊な魔道具を揃えて行う術式で、かなりの精度を誇るのだが、全く何も出ない。
「記憶を消されているとしか」
つまり敵も相当に慎重ということだ。それでいてシルヴァヌスに女を売った、という記憶は敢えて残している。商品を狩って来させるために、だろう。
アイトは権限を最大に使って帝国魔道院支部にシルヴァヌス一団の魔力痕跡を照会したのだがこちらも回答は得られない。
「取引相手がよほどの大物ということでしょうかねェ」
アイトは何があろうと口調を崩さない。身に染み付いているのだ。だが自分では明らかに、苛立っているのがわかった。
「ドミヌスより大物はおりませぬ」
エデコは恐れを含みながらも言い切った。
「そうですねェ。我ながら随分な立場になってしまったものです。私の権限でも情報が漏れて来ないということは、…つまりシルヴァヌスの顧客は相当に多いのでしょうねェ」
想像以上にシルヴァヌスに食い込まれている。
「特権階級にある者は、時として弱みを掴まれることに鈍くなることがあるのですよ…自分だけは逃げられると無意識にでも思い込む。東方総督を空位にしていたのはまずかったかもしれません」
こんなことなら東方総督を引き受けておけば良かったと思う。中央から何度となく打診されていたのに放っておいたのはアイトだ。総督の地位を得ると中央からの要請を断れなくなる。それに中央政界の権力闘争についても、色々と思うところがあるのだ。東方総督を空位にしておく方が、急進派にも保守派にも程よく影響力を持てる…そう考えてのことだった。
(こうしている間にも、アスラは…)
焦燥が胸を刺す。
(私を…呼んでくれさえすれば…)
周囲にわからないように。服の上からそっと魔石を押さえる。アスラに持たせているものと対なのだ。彼女の瞳の色と同じその魔石は特別なもので、彼女に困ったことがあればアイトに直接連絡できるようになっている。成長とともに、彼女に干渉し続けることは控えなければと距離を置き、それでも心配だから持たせたものだ。何があってもどこにいても必ず助けに行くからと伝えてある魔石が、ここに至っても何の気配もない。
結婚は彼女自身の望みだったとして、誘拐されてなお助けを呼びもしないことをどう理解すればいいのか。
(アスラ…)
誘拐されたと知るまでは、己の内心を見透かされ、嫌悪されたのかとさえ思った。アイトの中で、アスラは特別な存在で、ただの子供と見ることは難しい。前世の記憶などなくとも、物事の核心を突く聡明さも温かい心も勇敢さも変わらぬ。なんと特別な娘だろうと思うだけ、彼女を見る目には恋慕が混じった。隠しているつもりが、聡明なアスラに見抜かれたのやもしれぬ。であれば気味悪く思われても仕方のないこと。
――そんな卑屈な考えも、誘拐とわかるまでのことだった。男たちに無理やり攫われて、助けを呼ばないのはいくらなんでも不自然だ。
(意識を失っているのでしょうか…)
アスラ自身、年齢を考えたら相当に優秀な白魔道士で、よほどのことがなければ意識を失いっぱなしになることはない。助けを呼ぶ程度の隙は作れるはずだ。しかし魔石が光らないのは、薬で眠らされてでもいるのか。
ぞくり、と背筋に冷たいものが走った。
(無事でさえいてくれれば…)
最早最愛のアスラから嫌悪を向けられようとも、そんなことはどうでもよくなっていた。彼女さえ生きて、元気でいてくれるならば、嫌われようと憎まれようと構わぬ。
(ただ一言だけ…)
助けてと言ってくれさえすれば、どこにでも、どんな手段を使ってでも飛んでいくものを。
祈るような気持ちを胸の奥にしまい込み、尻尾を出さぬシルヴァヌスではなく、東域の貴族や、中央貴族であっても東域に出入りの多い者たちを調べる作業を進めた。肝心の取引場所はどうやっても出ない。アスラ個人の無事を思えば、時間は限られている。
(最早、関わった貴族全てを直接詰めるしかありませんが…)
それはあまりにも多くの運命が変わる結果を招くだろう。
わかっていても、アイトにはアスラを見捨てることはどうしてもできぬ。
「今宵の月が消える時に行動を開始します」
エデコに指示を出した、その時だった。
「ン?」
胸元に熱を感じ、常に首からかけている魔石を取り出して、アイトは宙に掲げる。魔石は夜を想わせる青が輝き、小さな石とは思えぬ音を立ててぶるぶると震え、そして――砕けた。
たすけて
ただそれだけの声にならない声を残して。
その瞬間、彼女のいる場所へ続く魔力の道がはっきりと見えた。
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