第13話 囚われの銀狐
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目覚めると冷たい石の上にいた。
「お前を拷問する必要は全くないけど、面白くてな」と言いながら馬車の中で面白半分に耳を弾かれ、尻尾の毛を摘ままれた。結局はアスラが盛大に吐き戻し、彼らは汚ねえと叫びながら触れるのをやめたのだけれど。
神経が張り詰め過ぎて、アスラは意識を失ったらしい。時間の感覚が全く無い。数分なのか、それとも何時間か、もっと長い時間か。
暗く、カビた臭いがする。夜だか昼だか判然としないが、燭台の橙色の灯りがぼうっと辺りを照らしている。
(地下牢かなんか…石牢か…)
体は冷え切って重い。頭の芯がずきずきする。指を一本一本時間をかけて動かさないと、起き上がることもできないだろう。白魔術で回復したいところだが、やけに厳重に、かなりの数の封印が施されているのを感じた。銀狐は高く売れるらしいので、大盤振る舞いと言うのか、金に糸目をつけずにアスラの魔法を封じたのだろう。
(右手の指…小指から意識して、少し曲げる…)
意識を腕から肩へと移動させ、次は左手、次は右の爪先、脚、左の爪先…と全身を巡らせて強張りを解いて行く。
かなりの時間をかけてアスラは全身に気を巡らせ、やっと体を起こした。
最低の気分だった。
耳の付け根に、尻尾に、汚い指の感触が残っている。
そっと手を伸ばして自分の狐耳に触れる。
(本当に汚れている)
なんだかベタベタした。
普段は殆ど変化を解くことはなく、洗う時だけごく短い時間耳と尻尾を出すのだ。毛繕いを怠ると気持ちが悪いから、かなり神経を使っていたものが、このザマ。
(涙さえ出ないな)
耳を弾かれ、尻尾の毛を摘ままれた記憶が蘇って吐きそうになるのを、奥歯を噛み締めて堪える。耳も尻尾も、魔力の通り道だ。気軽に触れられていいところではない。屈辱だ。だが屈辱以上に、アスラは現実に打ちのめされていた。耳に残るのは彼ら——つまり暗い仕事をよろず引き受けるゴロツキども——の勝手な言い草よりもアスラ自身の悲鳴だ。
狐の鳴き声。
ギニャーギニャーと、自分でも耳慣れないような声だった。
狐族の血を引いていることを、恥だと思ったことは無い。見下されようとも、その視線を鬱陶しいと思っただけだ。体に流れる血はアスラ自身の価値を決めない。狐耳も尻尾も、見た目だけの問題だと思っていた。
我を忘れて獣のように叫ぶとは考えたこともなかった。
狐族の本能らしきものは 嬉しい時に喉が鳴ること、ミイミイと声が出てしまうことくらいだと思っていたし、それらは年齢とともに抑えられるようになっていた。
(結局のところ、狐は狐なのだ)
これまでに受けた全ての嘲りが今になってアスラの全身を刺すように感じられる。
その上——
(黒魔法の暴走まで……最悪だ)
これほど酷く現実を突きつけられたことは無かった。
「アイト様の隣になんて並べるはずない」
声に出して言った。自分に言い聞かせるように。
アイトの大切な女性になることは諦めていたけれども、隣に立って戦えるようになりたいと思っていた。アイトの副官を務めるヴィテークは、アスラが幼い頃にはもう活躍していて信頼の厚い存在だったから、アスラもそんな存在になりたかった。だからこそ、狂気の心配のない、白魔道士を目指したのだ。
だが無理だ。
狐族であることも、黒魔法を暴走させかねない危険な血を引いていることも、無いことにはできないアスラの現実なのだ。
この上、何を思って生きていけばいいのだろう。
暗い絶望がアスラの心を満たした頃に、見張りの足音と話し声が聞こえてきた。アスラは急いで、もう一度身を横たえて気を失っているふりをする。
「銀狐だってなぁ。一度見てみたいと思っていたんだ」
ガチャガチャと音を響かせながら声が近付いて来る。ガチャ鉄と呼ばれる雑剣を帯びているのだろう。足音からするとふたりで、ふたりともガチャ鉄装備。
「俺は見たことあるぞ」
「どこでだよ、滅多に見れるもんじゃあねえだろ」
「ああ?まだ起きてねえみたいだな」
「おおー。本当に銀毛なんだなあ。耳も尻尾もでっかいな。汚れてるのがなぁ」
声はますます近くに来て、ガシャンと音をさせて何かを置いた。
「おい、これ、飯だから。食っとけよ。商人が直接お前を確認したら、上の部屋に移して風呂に入らせて綺麗な服にしてやるからな。もう少し待っとけ…死んでんじゃねえだろうな?」
「そんな死なないだろ。獣族って丈夫だぞ。女子供でも野山で寝れる奴らだ。何しろ獣だからなー。んで、どこで見たんだよ、銀狐」
男のうちの一方が何かの布をアスラに投げて寄越した。背中にぱさっと乗っかる感触があった。
「ああ、銀狐ったらお前、前の皇后だろ。輿入れの時に見たんだよ。さすがに美人だったし、毛並みも豪華だったぞ」
アスラの狐耳がピクリと動いた。
「お、生きてるみたいだな。よし。まあ暖かくして待っとけ」
声とガチャガチャの音が遠去かって行く。
再び誰もいなくなった牢のなかで、アスラは俄かに起き上がった。もう、体の痛さは気にならなくなっていた。それどころではない。
服の上から胸元にある石を握りしめた。それはアイトから貰ったお守りだ。意識を失っている間に取られたりしていなかったことに少し安堵する。高値で売れる商品として、今のところ何もされていないと言ったところか。
(皇女だってバレたら、アイト様に迷惑がかかる)
銀狐だって知られたからと、死んだはずの皇女アスラウグとすぐに結び付けて考える者は多くはないはずだ。
もう10年になる。先帝暗殺に続き、幼い皇女を連れて逃げた皇后も何者かに殺された。その際に皇女は行方不明となり、死んだものとされた。皇女の死体は発見されていない。現場が山の中だったために、帝都からの捜索隊が到着した時には野生動物に死体は荒らされて確認できなかったと結論付けられている。
護国卿・アイティウスがその場にいたことを知る者は僅かだ。アイトとアスラの他は、フィロニコスとヴィテークだけ。あの時の山賊たちはアイトが《《消した》》。
(でも誰かが想像力を働かせたら?)
商人というのは闇商人だろう。獣族を含めたあらゆる種族を取引している人買いがいると聞いたことがある。
商人がアスラを売るために風呂で洗って、毛繕いをしたら?今の汚れた状態では、銀狐ではあっても皇后の毛並みと比べられるものではない。けれど、専用の高級洗剤を使ってしっかり洗い上げて乾かせば、まるで別の狐になったかのように輝くのだ。
アスラはフィロニコス屋敷やエティコンに嫁いでからの日々で、銀葉から作った専用の洗剤を使ったことはない。恐ろしく高価であることと、銀葉石鹸を所持していること自体が獣族であるという疑いを招くからだ。普通の石鹸でちょっと洗うだけで済ましている期間が長い。銀葉石鹸を使えるのはアイトの城に滞在する時に限られ、だからこそ銀葉石鹸の効果がどれほどかを身をもって知っている。銀狐を売り飛ばそうとする商人は銀葉石鹸を用意しているだろう。
(洗っちゃダメだ)
狐耳や尻尾を綺麗にしてしまったら、死んだはずの皇女と結び付けて考える者もいるかもしれない。養父フィロニコスの繋がりから、アイトの関与を想像する者が現れたら…
(洗われる前に逃げよう)
首からかけたお守りを握り締めてアスラは決意した。
黒魔術の暴走は怖い。怖いが、どんな手段を使ってでも、毛並みがバレる前に逃げ出さなければいけない。
お読みいただきありがとうございました。




