第11話 愛人の子供を育てた女の話
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夫と息子たちの戦死、事故死、もしくは事件による死亡を聞かされたエティコン夫人は無言であったが、その目には光が宿った。長年の抑圧で実年齢よりもずっと年寄りに見える彼女は感情表現の仕方を忘れてしまっていて、喜びさえもはっきりと示すことはできなかったのだが、この場合は大っぴらに喜ばない方が正解だと言えた。
本来ならば悲しみに打ちひしがれて然るべき不幸な報せ。
エティコン夫人にとってそれは、長年の夢が叶った瞬間に思えた。
なぜならそれは、公式には彼女が産んだことになっている上の子供達は、誰一人として実子ではないからだ。
最後に生まれた可愛いウォレスを除いて、他の子供達は全て夫の愛人の子供だった。
エティコン夫人は、その名をミリアム・ヴィクトリアと言う。
誰も彼女を名前で呼ばなくなって長い時間が経つから自分でも忘れてしまいそうになるが、確かに彼女はミリアムという名前で、感情があって、誰かに大切にして欲しいと思う心もあるのだ。
ミリアムの実家は貴族としての身分を保持していたが、ミリアムの母親が早くに亡くなってから、父親が商家の女と貴賤結婚をしてしまった。愛人にしたのではなく、正式な妻として迎えたのだ。そのことは帝国議会で問題とされ、領地は親族に引き渡す羽目になった。だからミリアムは、貴族という身分にはあったが酷く貧乏な育ちだった。
エティコン家は貿易で財を成したが、貴族としての歴史は比較的新しく、騎士階級の者が名前を求めて結婚を繰り返したような新興貴族と見做されていた。そのため、金は無くとも名前のある、ミリアムのような女性を結婚相手に選んだ。最初から対等な結婚ではなかったと言える。
結婚しても、夫には公然と愛人がいたが、ミリアムは気にしなかった。愛人は所詮愛人であり、正妻としての名誉はミリアムにあったからだ。
ところが、結婚して数年しても子ができなかった。お腹に宿っても産まれることはなく流れて行き、当然その度に体は痛み、目を開いているのが苦しいような悲しみと無力感に苛まれた。
夫は愛人に子供を産ませるようになった。愛人たちは複数いたが、その中でも若くて体格の良い女を選んで、夫は子を産ませた。
自分には産むことのできない子を、愛人たちはいとも簡単に産む。
どれほど暗い思いで、夫の新しい子供ができたという話を聞いていただろう。
何よりも辛かったのは、夫がその子供たちを、ミリアムの産んだ子供として届け出たことだった。帝国貴族は正式な結婚による子供でなければその相続権を認めない。愛人の子供では意味がなく、ミリアムの産んだ子供にする必要があった。
そのくらいならば離縁して、愛人を妻に迎えればいいではないかと、ミリアムは言いたかったが、言えなかった。
実家にいた頃の困窮状態には戻りたくない。
夫もまた、身分の無い愛人たちを妻に据えるつもりはなかったし、ミリアムを離縁して他の貴族の娘と再婚するつもりもなかった。ミリアムの生家の名前だけは立派なものだったし、誰と結婚していても夫は遊びを止める気が無かった。愛人がいても文句を言えず、貴族の誇りだけは人一倍あって体面を保とうとするミリアムは都合が良かったのだろう。夫はミリアムにも、愛人を作りたければ作れと告げた。身分の低い男に体を開くなど、ミリアムには耐え難い屈辱で、そんなことをするはずもないとわかっていて言ったのだ。
結婚して20年が過ぎた頃、どういうわけか気まぐれを起こした夫との子供を、久しぶりに孕った。子供は何とか無事に生まれ、ミリアムはようやく我が子をこの手に抱くことが出来た。この時の子供がウォレスだ。
ウォレスこそ、正当な跡取りでは無いかと言うミリアムに、夫は言ったのだ。「この子が当主の器であれば認めよう」と。
成長したウォレスは、光り輝くような貴公子に育ち、外見は薔薇の花だったが、頭の中は馬鹿の花だった。遊び癖ばかりを父親から受け継ぎ、その手腕は一切持ち合わせない。
それでもウォレスは、正当なるエティコンの後継者なのだ。
夫は予定通り愛人の子供を将来の当主に据え、ウォレスのことは東域に小さな領地を与えるとした。東域は元々エティコン家が始まった地で、正夫人が産んだ子供に対し一応の敬意が示されてはいたが、到底納得のできるものではない。ミリアムはずっと、この過ちが正されることを願っていた。
今、厳格な老婦人の心の底にある闇から湧き上がるような喜びを知る者は無かった。悲しんでいるようにも見えない姿も傍目には気丈な大奥様に見えたのだ。
「早急に、ウォレスとアスラを帝都に向かわせましょう。私たちにはあの子しかいないのだから」
エティコンの当主は年の半分以上を帝都で過ごし、貴族院の仕事をするのが慣わしとなっている。これまでは当主であった夫と、次期当主である長男が帝都の屋敷を占領し、彼女の末っ子であるウォレスにはそのような華やかな役回りは決して回って来なかった。
やっと私の産んだ子供に、正当な地位が与えられる。
ミリアムの心にあるのはそれだけだった。
*
アスラという赤毛のチビ娘を気に入ったわけではなかったが、ウォレスの嫁としては及第点だろうとミリアムは思っていた。
出自は本当に大したこともない、フィロニコスという少々癖の強い人物の養女。生家についても調べたが、はっきりとはわからなかった。おそらくはフィロニコスの友人の誰かが外に作った子だろう。引き取られた理由はフィロニコス夫人のために違いない。変わり者の夫のために辺境で過ごすことも多いという、気の毒な女性なのだ。老後を過ごすのに娘がいれば気が紛れると思ったのだろう。
アスラ本人は顔立ちこそ可愛らしいが、あの赤毛がいけないし、何よりあまりにも小柄だ。まだ年若いとは言え、女性らしさが少しも無い。どう見てもエティコンの若奥様という感じではないが、それでもあの難しいウォレスが共寝をすることに文句を言わないのだから、アスラをよしとしなければならない。
ウォレスは妙に神経質なところがある。
取り巻きを引き連れて歩くのが好きで、あちらの女こちらの女と恋人を取っ替え引っ替えする一方で、何か気に入らないと叩き出してしまうことがよくあった。
アスラと結婚してからも愛人のエドワルダに執着しているのは相変わらずで、外泊をよくしているようだったが、それでも週のうちの何日かは自宅でアスラと過ごしている。
いい玩具なのだろうと思っていた。何も知らない小娘で、既婚者となってからも少しも艶っぽくならないアスラは、いてもいなくてもさほど気にならない存在なのだろうと。
ウォレスが癇癪を起こさずにアスラを妻としておくのであれば、見栄えなんて悪かろうとも、エティコン家にとっては最上の嫁なのだ。
だからそのまま息子夫婦と帝都に送り込み、何とか体裁を保っていられるように計らうつもりだった。そのうちアスラももう少し成熟してくれば子のひとりふたりも産むだろう。
それでようやく、エティコン家がミリアムの血筋のものとなる。
湧き上がるような高揚感を抑えて息子と嫁を呼び出そうとしたが、彼らはどちらも屋敷を空けていた。
息子は遊び歩いているか。
嫁はきっと実家の養母を見舞っているのだろう。
探せどもふたりは見つからず、ようやく嫁の所在を掴んだ時、ミリアムは崩れ落ちそうになった。
そこは、愛人たちが妊娠中に閉じ込められた館だ。…もちろん、ミリアムも一緒に。
(……ならば、少々荒っぽい手段を使うしかあるまい)
長年、夫の愛人たちや厄介ごとを処理するために懇意にしてきた者たちがいる。必要とあらば、彼らに頼むまでのことだった。
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