第四章 鞍馬山(上)
「整列!」
学年主任の凛々しい声が、鞍馬山に木霊した。
号令に合わせて、総勢二〇〇名近い候補生たちが整列する。
「これより帝国祈祷兵団養成学園二年生、一学期期末試験を開始する! 詳細は各教官がすでに通達しているとおりで――」
そこから先は、知っている内容を復唱しているだけだった。
新しい情報といえば、
「今年は他の怪異による被害も、例年に比べて多く報告されている。評価に直結するのは天狗の討伐だが、他の怪異を見過ごしていいわけではない。各自、候補生としての自覚を持って――」
「どうなってんだろうな」
「なにが?」
「他の怪異による被害の話だ」
椿と梓、壱番隊のふたりはこの二週間で緊急出動を一〇回もしていた。普段なら週に一度か、多くても二度くらいだった。
それに加えて、
「例のつちのこもどきの件も、だいぶ噂になってるみたいだな……」
あれ以降も、たびたび姿を現すようになった謎の怪異。
すでに学園は外観やデータを候補生たちにも公開し、広く警戒と情報提供を呼びかけていた。
「たいしたこともなさそうな怪異だけどね。問題は新種、ってことのほうかな」
とくに厄介なわけでもなく、破魔矢の一撃で簡単に祓える。
それでも、これまでに見たこともない怪異が現れた、というだけで一部の候補生たちは気味悪がっていた。
「怪異に理由求めても仕方ないでしょ」と杏。
「そりゃそうだけど」と椿。
「けれど、気になる話ではありますね」と柊が締める。
あちこちで憶測や噂が飛び交うのを「静粛に!」と学年主任が黙らせる。
「本件は祈祷兵団がすでに調査に当たっている。諸君らは自身の安全と天狗の討伐に集中すれば問題ない! ではこれより、期末試験を開始する!」
言葉を聞き流しながら、椿はあたりを見回した。
赤い本殿に灯籠。
石碑には大きく鞍馬寺の文字。
深い杉林の中に長く続く石段を、候補生たちが足早に駆け降りていく。
「ぼくたちも行こう」
虫の鳴き声でにぎわう森の中へ、椿たちは足を踏み入れた。
●
わずか数分歩いただけで、椿の額には玉の汗が流れていた。
うっすらと立ち込める霧のせいで、軍服が肌に貼りつく。うっとうしくてしょうがない。
「あっつ……」と椿。
「同意……」と杏。
「文句言ってる場合じゃないでしょ」と言った梓も汗をぬぐっている。
唯一、会話に入ってこない柊は――
「………………」
他とは別の汗を流し、顔を真っ青にして、三人の後ろを幽鬼のようにふらふらとついて来ていた。
「いきなりこんなサバイバルじみた試験はつらいわな」
「神宮寺さん、一般の高校からの転入だしね。運動が得意ってわけでもなさそうだし」
「ひいらぎー! だいじょうぶー!?」
「はい……」蚊の鳴くような声だった。
同じ班のメンバーとして、柊をねぎらい、助けてやりたい気持ちは全員持っている。
持っているのだが――
「だから、それはやめとけって言ったんだ……」
「いえ、わたくしも少しでもみなさんの役に立たないと――ぐっ!」
柊の背中から突き出た銃身が、背の低い木の枝に引っかかった。
他の三人の装備は祈銃とバックパックだけなのに、柊は重狙撃型の祈銃も携帯していた。
「大丈夫!?」
仰け反り、転びそうになった柊の手を杏が取る。
「ありがとうございます……」
「さすがに天狗討伐で重狙撃型は火力が過ぎるだろ……」
「ですが、こちらのほうがまだ命中率も高いので……」
「待ち伏せならともかく、山の中を探索する装備じゃない。時と場合ってもんが――」
「ふたりとも、そろそろ」
と、梓が祈銃をかまえた。
それが合図だったかのように、
「杏、一〇時だ!」
「っ!」すばやく祈銃を抜いた杏が、ほとんど勘だけで発砲する。
命中。怪異が断末魔の叫びをあげる。
「次! 来るよ!」
梓が叫び、同時に発砲。
杉林の隙間を縫うように飛んだ破魔矢は、蝋人形めいた怪異に命中した。
緑豊かな鞍馬山に、真っ白な灰が舞う。
「椿!」
杏が叫んだ。
椿が背にしている木の上から、体液をしたたらせ、怪異が飛び降りてくる。
研ぎ澄まされた爪と落ち窪んだ眼窩が、椿を狙う。
「番匠谷さ――」
「舐めんなっ!」
椿が皮一枚で攻撃をかわす。洗練されたしなやかな動きは、柊の目には野生の猫や豹のように見えた。
そうして攻撃をかわした椿が、銃口を怪異に密着させたまま引き金を引く。
くぐもった発砲音が響いた。
零距離から破魔矢を喰らった怪異が叫び、塵となる。
またたく間に三体の怪異を祓った三人を前に、柊はうろたえることしかできない。
「す、すごい……!」
「ひいらぎー、けがは?」
「だ、だいじょうぶ、です……」
「ボサッとすんな。行くぞ」
ホルスターに祈銃をおさめ、代わりにサバイバルナイフを抜いた。ばっさばっさと木の枝を切り崩しながら、椿は獣道すらない山中を突き進んでいく。
その背中を見ながら柊は思った。
(なんて無茶を……)
一歩間違えれば、簡単に死んでしまうような戦い方だった。実際、怪異の爪が鼻先をかすめそうになっていた。
(番匠谷さん、いったいなにがあなたをそこまで……?)
柊は自然と、椿の姿を目で追うようになっていった。
●
『こちらポイントα。異常なし』
『同じくβ。異常なし』
『Δも異常なーし! ――これ必要なの?』
「無駄口を叩くな、桃。緊張感をもて」
『はーい』
ふてくされた声が、目の前の通信機から聞こえた。
「あ――っ、くぁ……っ」
と、榊が興味なさげに大きなあくびをかます。
それを見た学年主任が「緊張感をもて、と言ったはずだが……ずいぶん余裕だな、杠」と言った。
抜き身の日本刀のような雰囲気をまとう女性教官だ。
彼女の視線の先で、榊は長机に足を投げ出してくつろいでいた。椿たちに見せる目よりも、さらに死んだ目を向けて言う。
「あと……三時間? ずっとここで待機だろ? つらくてつらくて――」
「あいかわらず教官としての自覚が足りんな。こうしている間にも、候補生たちが危険な目に遭っているかもしれんというのに」
「そのためにおれらが待機してんだろうが。それに雑兵どもは、けがのひとつやふたつしねぇと成長できねぇよ」
「わかっているなら減らず口を叩かず、おとなしく待機していろ。だいたい貴様は――」
そう言い出したところで、榊は意図的に聴覚を遮断した。学年主任の小言をまともに聞いていたら、耳をむしり取りたくなってしまう。
(三時間、ねぇ……)
視線をテント内のモニターへと向けた。
大きなタブレット型のモニターには、鞍馬寺を中心とした周辺の地図が映し出されている。そこに散らばる無数の反応は、すべて候補生たちのものだ。
いくら毎年恒例の試験とはいえ、実際に怪異との戦闘が行われる。それも天狗は雑魚ではない。
司令部が常に目を光らせ、不測の事態にいつでも対処できるように各地に教官を配置しておくのは、当然の措置だった。
(二年一学期の期末試験の内容としてはギリギリなんだよなー。かといって甘やかすわけにもいかんし。難しいねー、教育ってのは)
嘆息する。
(それに比べて、おれらんときは――)
榊の目が細まった。
当時は天狗討伐なんて試験はなく、もっと簡単な内容だった。たしか自分は満点を取って――いや、態度が悪くて減点を喰らったか。なんにせよ、あまり覚えていない内容の簡単な試験だった。
けがをすることもなければ、単位が足りなくなることもない。
帝国が軍用祈祷に舵を切り、祈祷兵を爆発的に増やす必要があった時期だ。
霊力があれば、だれでも簡単に学園へ入学できた。いまほど授業や訓練も厳しくなく、蔓延る怪異の数も多くなかった。そもそも評価基準すらも曖昧で、まともな試験なんて数えるくらいしかなかった。
望めばだれだって祈祷兵になれた。
そんな生ぬるい覚悟で祈祷兵になった同期は、みんな怪異に殺された。それで減った祈祷兵を補充するために、どんどん基準が甘くなっていった。
そうしてまた――
(――んなことは、もう御免だ)
通信機からは絶え間なく教官たちの報告が届いている。現在まで全地点異常なし。
天狗に加え、それ以外の怪異の討伐報告も少しずつあがってきている。
榊は背もたれに背中を預けながら、頭の後ろで手を組んだ。パイプ椅子がキシキシと音を立てる。
(天狗より他のほうが気になるんだよなー。こりゃ、やっぱ――)
と、
『――こちらポイントΓ。異常な……ん?』
「どうした? ポイントΓ、状況を報告しろ」学年主任がいぶかしそうな声をあげた。
『――――――』
「ポイントΓ。こちら司令部。状況を報告――」
『こ、こちらポイントΓ! 緊急だ!』
「落ち着け。冷静に報告を――」
次第に騒がしくなっていくテントの中、榊の姿はすでになかった。
●
「なぁ、梓」
「なに?」
「こんな奥まったとこまで来る必要あるのか?」
「椿はわかってないね」
「なにが?」
「期末試験の内容は天狗の討伐だよ。具体的には討伐数で評価が決まる」
「それで?」
「闇雲に探し回っても効率が悪い、ってことだよ」
「……いや、意味わかんねぇんだが」
「もう! 椿ってホント馬鹿なんだから!」と杏が言った。
「奥の院のほうまで来る候補生は少ないから、このあたりの天狗は祓い放題! って我らが作戦参謀様は言いたいんでしょ!?」
「違うよ?」
「えっ!?」
杏の顔がトマトみたいになった。
椿は、だれにも見せたことがないような引き締まった表情で、
「祓い放題! って我らが作戦参謀様は言いたいんでしょ!?」
言ってすぐに肩を震わせた。
その肩を、杏がおもいきりしばく。
「なに笑ってんのよ!」
「だって、おまえあんだけキメ顔で言っといてさ! 梓も真顔で『違うよ?』なんて言うから――腹いてぇ!」
「うっさい!」
杏が椿の背中をバシバシと力強く叩きだした。それでも椿の笑いは止まらない。目に涙まで浮かべて、お腹を押さえている。
ふたりのやり取りはいつもと変わらない。とても怪異が溢れる山中とは思えない良い状態だ。
とくに杏と柊は実戦経験が乏しい。潜在能力が高くても、変に緊張したり、力んだりで普段の実力の半分も出せない候補生は多くいる。
椿が狙ってそうしているはずはないだろうが、結果として杏は普段と変わらないリラックスした状態を維持できていた。
そんなふたりを見ながら梓が言う。
「奥の院の参道には僧正ガ谷って呼ばれる天狗の住処があるんだ。目指してるのはその近辺だよ」
「え!? ……さすがに住処を直接叩くのはまずくない? 残党とかいたら……」
「おいおい、杏。まさかビビってんのか!?」
「うっさい! そういうのじゃなくて――」
「住処を直接叩くなんて危ない真似はしないよ。間違っても群れを刺激したら大変だからね。だけど天狗は、人間と同じように日中の活動が盛んだから、夕方から夜にかけて住処に帰ってくるんだ」
「――そっか! その帰ってくるタイミングを狙うのね!」
「うん。さらに言うなら帰ってくるのは一体ずつのはずだからね。たまたま群れで帰ってきたならスルーすればいいし」
「さすが梓! やっぱり頭いいやつは違うな!」
「――っていう作戦を、ぼくはちゃんと事前に説明してたはずなんだけど?」
「「えっ!?」」
ふたりは石のように固まった。
「ね、神宮寺さん?」
「はい、そうですね」
「……神宮寺?」
柊は、みんなから一歩引いた位置を歩いていた。
これまで見たこともないほど、表情は引き締まっている。
四人はすでに、その他の怪異も危なげなく祓ってきた。ちなみに天狗にはまだ遭遇していない。怪異の数もとくに多いとは言えず、状況だけを見れば、普段とそこまで変わりはない、と言えるが、
(胸騒ぎがする……)
奥の院を目指す参道は背の高い木々が日差しを遮っていて、これまで通ってきた道よりも明らかに薄暗い。そのせいもあってか、植生がこれまでと大きく変わっている。苔むした足場は、気を抜けば転んでしまいそうだった。
大きく突き出た枝葉をくぐる。
三人は軽口を叩きながら難なく進んでいる。油断しているように見えて、怪異が現れたら抜群の連携を見せる。椿と梓は当然として、杏も相当に練度が高い。自分などいなくとも、ほうっておけば三人で山中の怪異をすべて祓ってしまえそうだ。
(けれど……)
生まれたときから祈祷に触れてきた柊は、人より第六感がするどい。とくに怪異の気配や祈祷絡みのことについては、なおさらだった。
その柊の勘が告げていた。
なにかがおかしい、と。
「ん?」
先頭を歩いていた椿が、不意に立ち止まった。
「……椿?」と杏。
「しっ!」人差し指を唇に当てる。
椿の合図で、全員が太い幹に隠れるように身を寄せた。そこで他の三人も気がついた。
さっきまでは聞こえていた音が、まるで聞こえなかった。
鳥のさえずりも。
川のせせらぎも。
虫の鳴き声も。
自分たちの心音がそのまま聞こえてきそうな静寂。
まるで山全体がなにかに怯え、息を潜めているようだった。
「なんだと思う?」
梓が椿の隣に立ちながら訊いた。祈銃を抜いてマガジンを確認する。
「普通に考えれば、いよいよ天狗様のおでまし、って感じなんだけどな」
「そんな簡単な話じゃなさそうだね」
と、
「来ます」
柊が森の奥をするどく見据えたまま漏らした。
木々の間を飛び交い、天狗の群れが現れた。
その数、五体。
「やり過ごそう」
一瞬の迷いもなく、梓が声を潜めて言った。三人は同時にうなずく。
四人は天狗からは完全に死角の位置に隠れている。ここで息を潜めていれば、やり過ごせるはずだった。
「……あれが天狗……」
柊は木の陰からはじめて生で見る天狗を観察した。
赤い顔に長い鼻。山伏姿で、背中には鳥の翼、手には扇と杖を持っている。代表的な怪異ともあって、姿形は伝わっている話や資料とも相違なかった。
もちろん、はじめて気づいたこともある。
まず縦にも横にも大きい。アメリカンフットボールの選手みたいだ。その巨体を飛ばす翼も力強い。はためかせるたびに、ふわりふわりと砂埃が舞い上がる。
なにより、はやい。
そして、急旋回や急制動を繰り返している。
人間には絶対に不可能な立体的な空間を活かした動きは、柊でなくとも祈銃で迎撃するのは難しそうに思えた。
そのとき、リーダーと思しき天狗が手に持っていた扇を大きく振った。凄まじい爆風が吹き荒れ、木々を根こそぎ吹き飛ばす。
その先にそれはいた。
天狗が吹き飛ばした木々を、それは二本の脚で容易く弾き飛ばす。そのまま残った六本の脚で子分の天狗に肉薄する。
胴体から生えている異形の身体。
そこから伸びるいびつな腕で天狗を鷲掴みにする。
そのまま身体を左右に引き裂いた。
天狗は慟哭すらもあげられず絶命した。
濃い紫色の血を滴らせる肉に、それは爪を突き立てる。骨が砕け、肉の裂ける音が森中に響いた。
「あれ、って……?」杏が震える声を漏らした。
「土蜘蛛……だよな。にしたってあんなでけぇの……」
「それにあの見た目……まるでキメラみたい」
四人の知る土蜘蛛とは、巨大な蜘蛛のことだ。古くは陰陽師の式神の一体としても知られているが、近代では害悪な――とくにその見た目から女性の天敵とされる怪異。
だが、目の前の土蜘蛛はそうではなかった。
蜘蛛の胴体から鬼の身体が生えていて、野太い腕の先は蟹の爪のようになっている。精緻な西洋人形のように整った顔からは似合わない一本の禍々しい角が生えていて、ガラス玉のような目は虚ろだった。
「おぞましい……」
柊が目を伏せた。
巨大な土蜘蛛が仲間に牙を向けている間も、天狗たちは攻撃の手を緩めない。
他の怪異では見られない天狗独自の連携。縦横無尽に飛び回り、扇を振るって起こした風で岩を弾き飛ばし、杖で果敢に攻め立てる。
それらいっさいを、土蜘蛛は八本の脚といびつな爪でなぎ払う。
舌なめずりをし、土煙を上げながら驚くような速度でまた一体に肉薄。
二体目の天狗は首をねじ切られた。
土蜘蛛は蟹の爪で何度か首をもてあそんだ。それから空き缶を捨てるような気軽さで、ぐちゃぐちゃになった首を放った。
紫色のなにかが、杏の目の前を通過する。
「ひっ――!」
「っ!」
とっさに椿が杏の口元を押さえた。杏の瞳は涙ぐみ、身体は震えている。
(無理もないな……)
壱番隊所属の自分ですら、あんなでたらめな怪異に遭遇したことはない。
杏は優秀だが、メンタル面では多少の不安も抱えていた。突発的な事態への対応もまだ不慣れだ。
「このまま隠れてやり過ごそう。天狗の数も多いのに、あんな化け物の相手までしてられないよ」
「だな」
ふたりが指針を決めている間に、天狗はもう一体やられていた。
そこでようやく引く気になったらしい。
リーダーの天狗が扇をめちゃくちゃに振るう。
暴風に暴風が重なり、ねじれて渦を巻いた。渦を巻いた暴風は、竜巻となって森をなぎ払う。巨大な土蜘蛛といえども、吹き飛ばされないようにたたらを踏んでいた。
と、
竜巻に煽られ、四人が潜んでいる木が傾いだ。盛り上がった根が、椿たちの足元を掘り返す。根に足を取られ、杏の身体が揺れた。
「あっ」
そう認識した瞬間、杏の身体が大木と一緒に宙を舞った。
「杏さん!」
それがきっかけだった。
土蜘蛛がこちらに意識を向けた。
人形の虚ろな瞳と柊の黒瞳が交わる。
その隙をつき、二体の天狗は荒れ狂う暴風を味方につけ、飛び立っていった。
「散開!」
梓が叫ぶ。
椿と柊は別方向に駆け出した。
土蜘蛛はほんの少しだけ天狗に意識を向け――気がつけば、柊の眼前に迫っていた。
はやい。
「っ!」
柊が息を呑むのと、土蜘蛛が爪を振り上げるのは同時だった。冗談のような大きさの蟹の爪が柊に振り下ろされる。
「神宮寺さん!」
間一髪。
梓が飛び込むようにして身を投げ出し、柊を突き飛ばした。
直後に爪が空を切り、勢いそのまま太い幹を真っ二つにした。斬ったのではない。純粋な力でへし折っていた。
「あ、ありがとうございます!」
「気にしないで。それより――」
椿はふたりを見ていなかった。梓が柊を助けるのはわかりきっていたことだ。
それよりも――
「杏!」
椿が叫んだ。
吹き飛ばされた杏は、いまも宙を舞っていた。もがくように身体を動かし、飛んでいる木に足をつけ――発砲。
うまい。
するどい音を鳴らし、破魔矢が飛ぶ。だが竜巻に煽られ、見当違いの方向へとそれた。
杏が真っ逆さまに落ちてくる。
土蜘蛛は無防備な杏に狙いを定めていた。
「させません!」
そこへ柊が青白い炎を放った。破魔矢ではない、純粋な霊力の塊。それが三つ、巨大な土蜘蛛へ殺到する。
土蜘蛛が、黒板を爪で掻いたような声をあげ、すばやくその場を離れる。
かと思えば、逃げた先には動きを先読みした椿が待ち構えていた。
「おらぁ!」
胴体に祈銃を押し込むように当て、引き金を引いた。くぐもった音に混じって、澄んだ硬質な音が聞こえた。
瞬間、肌が粟立つ。
とっさに祈銃を手放し、その場を離脱。
直後、爆発。
「チッ!」
炸裂した祈銃の破片でまぶたを切った。真っ赤な血が緑色の葉を汚した。
「番匠谷さん!?」
柊と梓が牽制し、椿も三人の元へ。
「大丈夫?」と梓。
「問題ない! そっちは?」と椿。
「おおむね、ってとこかな」梓の視線の先には、柊にしがみつくような杏の姿があった。
「杏さん、気をたしかに」
「だい、じょうぶ……」
真っ青な顔、震える身体。とても大丈夫には見えなかったが、そんなことも言っていられない。
それなりの攻撃を与えたはずだが、事態はなにも好転していなかった。土蜘蛛にダメージらしいダメージは認められない。
「椿、手応えは?」
「あいつの身体、体毛に覆われてて見えないけど鋼みたいにかてぇわ。オレの霊力じゃ歯が立たねぇ」
「べつに椿の霊力が、ってわけじゃないでしょ」梓が破魔矢を撃つ。
破魔矢は柔らかそうな土手っ腹に命中したが、土蜘蛛はけろりとしている。
「ほらね。ぼくの霊力でもダメだった」
「言ってる場合か!? 来るぞ!」
土蜘蛛が動き出す。
椿と梓も駆け出した。
「神宮寺、借りるぞ!」
「えっ」
隣をすり抜けざま、有無を言わさず柊のホルスターから祈銃を抜き取った。
椿と梓は左右に分かれた。
梓が牽制で放った破魔矢をその身に受けても、まるで効果は見られない。固い皮膚に覆われた弾力性のある肉体は、見た目以上に厄介で、簡単には攻撃が通らない。
「それなら!」
梓は狙いを変える。
蜘蛛の胴体に効果がないなら、鬼の身体を攻める。
心臓やみぞおち、脾臓といった人体の急所を中心に、容赦なく破魔矢を撃ち込んでいく。椿のように百発百中とはいかないが、それでも八割以上は命中している。
一方、椿は巨大な胴体の下にいた。銃撃の通りそうな部位を探す。
――あった。
「ケツから吹っ飛べ!」
発砲。
体毛や皮膚に覆われていない開口部から、体内に破魔矢が次々と撃ち込まれる。
蟹の爪を振り回し、土蜘蛛が身を震わせた。
するどい脚に踏みつけられないように、椿はすばやく脱出した。
「あいかわらずエグい手を使うね」
「こうするしかないからな。これで決まってくれりゃいいんだが――」
「そうは問屋が卸さない、ってね」
「ったく……じゃあ、手はひとつしかないだろ」
「そうだね」
ふたりは顔を見合わせ、うなずいた。互いに信頼できる相棒なだけあった、考えていることは同じだったらしい。
土蜘蛛がむくり、と身体をよじる。瞳は変わらず虚ろだが、明らかに雰囲気が変わった。
「それにしても体内に直接撃ち込んだってのにな……オレの霊力、そんなにしょぼいのかよ……」
「言ってる場合じゃないでしょ!? 来るよ!」
不快な金切り声をあげ、精緻な顔を歪ませた土蜘蛛が迫る。完全にキレた様子だ。
それが狙いだ、馬鹿め。
「神宮寺!」
「は、はい!」
突然名を呼ばれ、柊が身構える。椿は、柊が転がったあとも後生大事に持ち続けている重狙撃型の祈銃へ目を向けると、
「そいつをぶっ放せ!」
「えっ……?」
「ぼくたちの霊力じゃ歯が立たないからね! 頼んだよ!」
ふたりはそう言って駆け出した。まとまって行動し、あえて派手に破魔矢をばら撒く。
最初からこうするつもりだったのだろう。自分たちを囮にして、柊が重狙撃型を撃つための時間を稼ぐ。
(それなら――)
震える杏からそっと手を離す。
「あっ……」心細そうな声を漏らしていたが、耐えてもらうしかない。
行動開始。
あらためて感じる。
(重い……!)
一刻もはやく駆けつけたいが、いまの自分では、祈銃を抱えて走るだけでもひと苦労だった。射撃以外でも課題は山積みだった。
顔を上げる。
ずんぐりとした胴体が邪魔をして、ふたりの姿は見えなかった。周りには天狗の肉片や体液が飛び散っていて、鼻が曲がりそうだ。
「――あっ!」
足元が滑った。
なんとか踏みとどまって、また駆ける。
(わたくしが当てる方法は――)
壊滅的な射撃能力は自分が一番よく把握している。目と鼻の先でも油断はできない。どうすればいいのか。
その答えを、柊はすでに見ている。
息を切らしながら、大樹に身を寄せる。天狗の起こした竜巻でも倒れなかった立派な大樹の反対側に、でたらめな土蜘蛛の胴体がある。ふたりがそうなるように誘導してくれていた。
泥にまみれながら、伏射の姿勢を取る。
(番匠谷さんのように銃口を押し当てて発砲するのが、一番いいのでしょうけれど)
あれは椿の鍛えた肉体と類まれな運動神経、動物的な勘が合わさってはじめてできる神業だ。少なくとも、いまの自分に同じ真似なんてできない。
いまの自分にできることは、これしかない。
「ふっ!」
バイポッドを地面に食い込ませ、銃口を大樹に押し当てる。これで撃った瞬間に銃口がブレることはなくなった。威力は激減するが、それはなんとでもなる。
(銃床を肩に当てて、自分と銃身が一直線になるイメージ……)
椿からの教えを思い出せるだけ頭の中で反芻する。細かい照準は自分には無意味なので考えない。
(おふたりが合わせてくれるはずだから。わたくしはただ――)
祈りを捧げる。
祈銃から火花が散った。
破魔矢に込められるはずの霊力が、火花となってこぼれていく。重狙撃型の破魔矢でさえ、柊の全力は飲み込めないらしい。ゆっくりと、確実に込められる霊力を見極める。
祈銃から嫌な軋みが聞こえてきた。
(撃てるのはおそらく一度きり。それなら、この一発にかけます!)
祈る。
祈る。
ただただ祈る。
自分が信じる、荒唐無稽な未来を。
「撃ちます!」
柊の指が、やさしく引き金を引いた。
ひとすじの閃光が大樹ごと土蜘蛛を貫いた。




