幕間一 平和な世界の実現
どこかにある、うす暗い閉鎖された施設。
そこでは日々、怪異の研究が行われている。
生態や発生原因。
効率的な討伐方法。
あるいは使役化や隷属化といった、怪異に対するありとあらゆる可能性が探求されていた。
捕獲した怪異に対し、非人道的な実験を繰り返す研究員たちの大半は、元は祈祷師だった者たちだ。
祈祷師として大成しなかった者。
好き好んでこの施設に足を運んだ者。
あるいは時代の流れに身を任せ、たまたまここへ流れついた者。
理由は人それぞれあったが、だれの表情にも狂気の色はない。むしろ、どこまでも真剣そのものだった。
研究員たちの理想はひとつ。
怪異のいない、平和な世界の実現を。
「――お久しぶりですね!」
そのとき、温和な笑顔を浮かべた男が入室してきた。
気づいた研究員のひとりが声をかける。
この施設の主要な出資者のひとりだ。
出資者の男は挨拶もそこそこに訊いた。
「研究は順調でしょうか?」
「もちろんです!」研究員はそう返した。
その後も、出資者の男は研究の実情や困ったことがないかを各研究員に丁寧に訊いて回り、笑顔で応じていた。
それどころか、いま以上の融資まで約束してくれた。
最新鋭の設備と潤沢な資金、さらには豊富な実験材料までも与えてくれる。
そのうえで、口うるさく成果を求めてもこない。
自由に伸び伸びと研究をやらせてもらえる。
ここまで協力してくれる出資者と巡り会えたことに、研究員たちは喜びを隠せなかった。
「ああ、そういえば」
そういって先を歩いていた出資者は、傘を忘れたような気軽さで振り向いた。温和な笑みには影のひとつもない。
「どうしました?」
「いつものアレを見せていただけませんか」
「――ああ、これは失礼しました! つい失念しておりました」
「いえいえ」
研究員が、出資者の男を伴って施設の奥へと歩き出す。突撃型の祈銃をかまえた見張りの祈祷兵にも、男は丁寧に会釈した。
そうしてふたりが進んだ先は、怪異の苦悶に満ちた声が、よりいっそう響いてくる区画だ。
ふたりの男は談笑を交えながら、さらに奥へと進んでいく。
「――ですね、これ――ば――」
「よか――! これから――も」
怪異の声に阻まれて、ふたりの会話は断片的にしか聞こえない。
やがて話は済んだらしく、出資者の男は施設をあとにした。
研究員たちは、彼の好意に報いるため、また彼という出資者を手放さないためにも、気合いを入れて研究に取り組むことを決意した。
●
「合宿?」と椿。
「そう! 訓練合宿!」と杏。
「また急にどうしたの?」と梓が訊ねた。
ある日の放課後、いつも通り四人で自主訓練した帰り道でのことだ。
「前から考えてたの! あたしたち、来年は五指隊として駆け回ってるから、まとまった時間が取れるのってこの夏休みが最後じゃない!?」
「さも自分が五指隊にいることが当然みたいな物言いだな」
「当然じゃない! あたしだってそれ目指して頑張ってんだから! ね、柊!」
「はい。杏さんはとても頑張っていると思います」
「無理やり言わせてんじゃねぇか」
椿と杏がにらみ合い出した。
最初はふたりのやり取りにおろおろしていた柊も、これだけ見れば慣れたものだった。視界にすら入れず、梓と話を進める。
「杏の言いたいことはわかったけど、ぼくたち四人が一度に寝泊まりできる場所なんて限られてるでしょ。ぼくと椿はいつ出動要請が入るかもわからないから、遠出するわけにもいかないし」
「それらの問題が難なく解決できたので、杏さんはおふたりに話を持ってきたのですよ」
柊がどこか得意げに言った。いつも控えめな彼女らしくない、と思いつつ梓は続きを促す。
「じつは神宮寺家に使っていない離れがいくつかあります。わたしたち四人が寝泊まりするには十分な広さがあるので、そこを使ってはどうかと、わたくしから杏さんに打診したのです」
「……そうなんだ。だけど、緊急出動が――」
「学園まで車で十五分もかからないので、いざというときでもそれなりに対処できるのではないでしょうか」
「……北区にある学園まで一五分で行ける場所に、離れがいくつもあるような家があるの……?」
「はい。それに射撃訓練場はないのですが、流鏑馬のための馬場が二面あります。そちらを代用できるのではないかと」
「……流鏑馬の馬場が二面……? 京都市内に……?」
「いまでは年に一度か二度使えばいいほうなんです。使わないとなんでも傷んでしまいますから、気にせず使っていただければ。あとは小さいですが、道場や護摩堂もありますので軍用祈祷の訓練には事欠かないかと――」
「………………」
「あの、東堂さん……? どうかしました?」
「……そういえば神宮寺さんって、いいとこのお嬢様だったね……いいとこの中でも上澄みの、その中のさらにひと匙、みたいだけど……」
柊が頭に疑問符を浮かべる。梓は二段階――いや、三段階ほど柊の認識をあらためた。
そんなこんなをしていると、騒がしいふたりが追いかけてきた。
「ちょっと柊! 置いてかないでよー!」
「待てよ、梓!」
ふたりを視界に入れつつ、梓が呆れた様子でため息をついた。
三年生になれば、より個々人の実力に沿った授業か、部隊別の訓練が増えてくる。そのための準備やクラス分けで、二年生の冬からはまとまった時間も取れなくなってくる。
就活や進路の違いこそないものの、これからの時期がもっとも忙しくなるのは、一般の高校と比べても変わらない。
「こんな馬鹿騒ぎができるのは、たしかにいましかないかもね」
「はい」
梓の漏らした言葉に、柊は笑顔でうなずいた。
「なんの話してたんだよ」と椿。
「そうそう! ふたりでやらしいー!」と杏。
なんだか無性におかしくなって、梓と柊は視線をかわし、うなずいた。
そして、
「そうなんだ。ぼくと神宮寺さんはやらしいことを約束する仲になったんだよ。ね、神宮寺さん?」と梓が言えば、
「はい! おふたりには内緒の話です!」と柊が返した。
「「………………は?」」
まさかの返しに、ふたりは互いにまぬけ面を見合わせて固まった。
それから、
「ちょちょちょちょっと、待てよ、梓! おまえ、まさか先にそんな……い、いくら親友だからって、ぬ……ぬぬぬ抜け駆けは許さないぞ! こ、このオレを置いて、さささ先に階段登るなんて、そんなの――」
「ひ、ひひひ柊! あの、あのね! 梓はすっごい良い子だから止めはしないんだけど、その、もうちょっとゆっくり考えてからでも……あっ、けど、その、どんな感じだったかは、教えてほしいかな、って――」
真っ青な顔に汗をしたたらせながら、なぜか必死な様子の椿と杏を見て、梓と柊はお腹がねじれるくらい笑いころげた。
――迫る影には、だれも気がついていなかった――




