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002話. 庭に金が生える

エレナが少し水を取りに行っている間、ルーベンは自分の腕をつねってみた。


『感覚がはっきりしているところを見ると夢じゃないけど...こんなこと、あり得るのか?』


真っ先に思い浮かんだのは、過去へ送ってやると言っていたメッセージだった。


『何だ、スペインでも救えっていうのか? それなら貴族か王族として送れよ!』


しかも、体も丈夫ではない15歳の平民の少年の体だった。


もちろん、この体でも試せることは山ほどあった。


だが、16世紀のスペインは宗教裁判が頻繁に開かれていた時代だった。


『15歳の平民が未来知識で無双? クソ、それだって周りの目を気にしながらだ。火刑に遭わなければ幸いだろう。』


だが、このまま何もせずにいるわけにもいかない。


ひとまず、できることから一つずつやっていこう。


何より先に、自分が置かれた状況を知ることが優先だった。


ルーベンは水を持って戻ってきた、この体の母親であるエレナに言った。


「お母さん。家の中を少し見て回りたいです。」


肉体の記憶にも、家についての情報はあった。


屋敷というほどではなかったが、広い庭まで付いた裕福な家だった。


だが、まだ記憶に完全には馴染めておらず、ぐちゃぐちゃに混ざり合っていたため、確認が必要だった。


部屋の中の家具を見る限り、寝込んでいる間に状況が大きく変わったようでもあった。


『記憶にある家の雰囲気とあまりにも違う。家具もひどく古びている。』


ところが、エレナはすぐには答えなかった。


「あなたが知っていた頃とは、ずいぶん違うと思うけど。」


「大丈夫です。家が崩れたりしたわけじゃないでしょう。」


「そうね。家の中を見て回れば、何か思い出すかもしれないものね。」


エレナはルーベンの手をしっかり握り、家のあちこちを見せて回った。


幸い、家の広さは記憶どおり、かなりのものだった。


部屋も多く、家の前の空き地は、庭というより大きな園に近いほどだった。


今は空だったが、倉庫もいくつもあった。


『亡くなった父さんが貿易業をしていたから、金銭的には余裕があったみたいだな。』


ところが、広い家の中には家具がほとんどなかった。


特に、もともとルーベンが気に入っていて脳裏に焼き付いていた家の中央の鏡は、跡だけが残っていた。


ルーベンが不思議に思いながら周囲を見回していると、エレナが言った。


「家の中、がらんとしているでしょう?」


「はい、まあ...すっきりしていていいですね。」


家具がない理由は、おおよそ予想がついた。


『父さんと俺、二人分の薬代を払ったんだから、家だけでも残っているのは幸いなのかもしれないな。』


医療保険という制度がある現代でも、大病を患えば家計が傾いた。


ましてやこの時代では、言うまでもない。


「すっきりだなんて。もううちの息子が元気になったんだから、母さんがオルガンを弾いて、たくさん稼いでくるわ。心配しないで。」


オルガン演奏?


エレナの言葉に、ルーベンは記憶を探った。


『なるほど、母さんはオルガン奏者だったのか。』


ところが、現代でもオルガンは非常に高価な楽器だった。


小型のオルガンでも軽く一千万円を超え、大型コンサートホール用のオルガンなら数億円もした。


価格だけでなく、維持や補修にも多額の金がかかり、そもそもオルガンを設置するには場所が必要だった。


つまり、オルガン演奏は金がなければできない職業だった。


この時代なら、なおさらであっても劣ることはないはずで、疑問が湧いた。


その疑問の答えは記憶を探っても出てこなかったため、尋ねた。


「でも、お母さんはどこでオルガンを習ったんですか? オルガンって高くないですか?」


「うーん...ルーベンには話していなかったけど、母さんは実は貴族の家に生まれたの。」


「え? 貴族ですか?」


「大した家柄ではないわ。あなたのお祖父様が、母さんを身分の高い貴族の家へ嫁がせようとして、いろいろ教えたのよ。」


「それなら、父さんも貴族だったんですか?」


ルーベンの言葉に、エレナは笑い出して言った。


「違うわ。母さんがあなたのお父さんに惚れて、夜逃げしたの。」


「あ.......」


恥ずかしい話ではあったが、エレナは息子にすべてを話してやりたかった。


つい先ほどまで、この世を去りかけていた息子だ。


妙に取り澄まして口を閉ざしていたら、話してやる機会を永遠に失うかもしれないではないか。


「とにかく、そうして逃げて、この村に腰を落ち着けたの。ルーベンとお父さんが病気になるまでは、聖堂でオルガンを弾いていたのよ。」


「少し思い出してきた気がします。お母さんが弾くオルガン、久しぶりに聴いてみたいです。」


「よかった。明日のミサへ行って、主に感謝のお祈りを捧げて、神父様に、うちのルーベンがいつから出てきてもいいか聞いてみるわ。」


「はい!」


この時代は感染という概念を知っていたため、隔離という概念もあった。


だが、16世紀のスペインであるだけに、ルーベンの健康に問題がないことが確かめられれば、再びミサへ呼ばれるはずだった。


カトリックの全盛期、宗教行事への参加は選択ではなく必須だったからだ。


「ルーベン、他に見て回りたい場所はある?」


「うーん..それより、父さんのことを聞きたいです。」


「ああ、あの人のことね。そうね...あなたのお父さんなら、まず顔が良かったわ。」


少しも迷わずに出た答えだった。


『ああ、オーケー。この時代でも顔は説得力になるんだな。』


貴族令嬢と平民の恋物語だというから、何かすごい話があるのかと思っていたが、やはり人の暮らしは似たようなものだった。


ところが母親は、下級とはいえ貴族で、しかもものすごい美人だった。


何一つ不足のない彼女が夜逃げを決行するほど惚れたのなら、父親はどれほど顔が良かったのか疑問が湧いた。


「父さんは、どれくらい格好良かったんですか?」


「母さんが生きてきて見た人の中で、二番目よ。」


「え? 一番目は誰ですか?」


「もちろん、うちの息子よ。」


「うわ.......」


気恥ずかしい状況だったが、自分の顔が気になるルーベンだった。


美男美女の間に生まれた子供だったからだ。


「それに、自分で口にしたことは必ず守る人だった。貴族たちが羨ましくない暮らしをさせてやると言って、昼夜を問わず一生懸命働いていたわ。」


「うっすら思い出しました! 父さんが貿易業について教えてくれたことがあります。商団を作ったんですか?」


「ふふ。あの人が病気にならなかったら、今頃は商団を立ち上げていたかもしれないわね。」


エレナの声にはあまりにも大きな悲しみが込められていたため、父親の話はこの辺りにすることにした。


「お母さん。僕も早く元気になって、お金を稼ぎます。貴族どころか、王族も羨ましくない暮らしをさせてあげます。」


その言葉は本心だった。


『健太郎』の前世は孤独だった。


記憶にもないほど幼い頃、両親を失ったからだ。


だが、『ルーベン』は違う。


こうして縁ができた以上、子としての務めを果たしたかった。


意図したことではないが、少年の体を使うことになったことへの感謝と贖罪の気持ちもあった。


そのうえ。


『どうしてここで目を覚ましたのかは分からない。だが、これから何をするにしても、金は絶対に必要だ。』


スペインの救世主になるにせよ、クルーガー家の孝行息子になるにせよ、『金』は必要不可欠だった。


もちろんエレナは、息子が自分を心配して言ってくれているだけだと考えた。


「言葉だけでも嬉しいわ。でも、まずは体を治すことだけ考えなさい。オルガン演奏はとても稼げるの。ルーベンが心配しなくても大丈夫よ。」


この時代、並の熟練工の月給は、どれほど多くても2エスクード(Escudo)を超えなかった。


だが、オルガン奏者は、どれほど少なくてもそれ以上を受け取った。


二人なら、余裕を持って使っても余る金額だった。


この時代の事情をよく知っているルーベンだったため、その事実はおおよそ理解していた。


だが、エレナが稼いでくる金で遊んで暮らすつもりはなかった。


「本当に僕も働きたいんです。それに、いつかは父さんの夢を継ぎたいです。」


息子を説得しようとしていたエレナは、彼の目を見て口を閉ざした。


息子の目に真剣さを見たからだ。


「お父さんの夢を継ぐのはいいけれど、もう少し大きくなってからでも遅くはないわ。それに、立派な人になるには一生懸命勉強しなければならないの。だから母さんが神父様に、聖堂の図書館へ出入りできるよう頼んでみるわ。」


「図書館ですか? 僕が出入りできるんですか?」


15世紀にグーテンベルクの金属活字が発明されたとはいえ、いまだに本は途方もなく高価だった。


大量生産が難しいこともあったうえ、紙とインク、そして製本費が、現代とは比べものにならないほど高かったからだ。


そのため図書館には、聖職者や許可を受けた学者だけが出入りできた。


「母さんが聖堂でオルガンを演奏すれば、そのくらいの便宜は図ってくれるはずよ。」


エレナの腕前は、大都市の大聖堂で演奏できるほどだった。


神父の立場からすれば難しい頼みではないため、十分に聞き入れてくれるはずだった。


「本を一生懸命読んで、仕事もしたら駄目ですか?」


「仕事は、図書館にある本を全部身につけてから始めても十分よ。」


難しい条件ではなかった。


『それならまあ。今のヨーロッパで一番大きなバチカン図書館だとしても、特に学ぶことは多くないだろう。』


彼は将来有望な化学者だっただけでなく、十年以上にわたって歴史オタクを続けてきた。


図書館で学ぶものは、この時代の文字くらいだった。


前世でもいくつもの言語を身につけていたが、時代が違う以上、相違点は存在するはずだからだ。


加えて、前世で学んだ歴史と実際の歴史との差を確かめる程度でいいだろう。


「頑張ります。」


「まだ完全に治ったわけではないでしょうから、今日はもう休みましょう。母さんが食事を用意してあげるわ。」


ルーベンは素直にエレナの言葉に従った。


この体に宿ったことでチフスはきれいさっぱり治ったようだが、落ちた体力まで補われたわけではなかったからだ。


***


食事を終えてベッドに横になったルーベンは、今日起きたことをじっくり振り返った。


『あいつは、いったい何者なんだ?』


自分の同意を求めず過去へ送り返したとはいえ、そこまで腹立たしくはなかった。


夢にまで見た16世紀のスペインを、身をもって体験できるようになったからだ。


『こうなった以上、スペインが滅びないよう少しくらい力を貸したいな。すぐに心配しなきゃならないこともあるし。』


愛してやまないスペインで目を覚ましたのはいいが、問題がある。


16世紀のヨーロッパは、絶えず戦争が勃発する火薬庫。


ただぼんやり生きていたら、突然徴兵されて連れていかれる可能性もあった。


『それは駄目だ。』


わずか3年後には、あの有名なレパントの海戦が起きる。


オスマン帝国の侵略に対抗し、スペインを中心とする神聖同盟が繰り広げた大規模な海戦。


その頃には18歳なので、運が悪ければ徴兵される可能性もある年齢だった。


もちろん、この時代に生きることになった以上、戦争を避けることはできないだろうが、一兵卒として参加するつもりはなかった。


レパントの海戦はスペインの勝利に終わるが、兵士として死ぬのは別の話だったからだ。


『結局、また金に戻ってくるんだな。』


中央集権と中途半端な封建制が共存する過渡期ではあったが、金の威力が確かな時代でもあった。


貴族の家の子として生まれていれば楽だっただろうが、すでに決まったことは仕方がない。


残念がっている時間で、今後の計画を立てた方が建設的だ。


『ひとまず、体を作るまでにそれらしい方法が見つからなかったら...鍛冶場ででも働いてみるか。』


中世に比べれば大きく発展していたが、いまだに鉄の還元過程を勘に頼っている時代だった。


彼が持つ知識なら、そう長くかからず元手を作れるはずだった。


『働いている途中で倒れないためには、まず体をしっかり作らないとな。』


鍛冶場の仕事は、夏でも冬でも汗だくにならなければならない重労働だった。


こんな貧弱な体で訪ねていけば、仕事どころか笑いものにされるだけだろう。


『運動は、母さんがミサへ行っている時にすればいいだろう。』


ルーベンは、この虚弱な体に合う運動ルーティンを組みながら眠りについた。


***


翌日、ルーベンは食べ物の匂いで目を覚ました。


「起きた? もうすぐ食事の支度ができるから、少しだけ待っていて。」


朝食は、昨日の夕食と似ていた。


『パン・ガジェゴ』というガリシア地方特有のパンと、レンズ豆、そして小麦粉をまぶして揚げたタラだった。


『やっぱり海辺の地域だから、塩漬けじゃないんだな。』


肉がないのは残念だったが、ルーベンは一つも残さず食べた。


体を作るうえでもっとも基本となるのは、きちんと食べることだったからだ。


「幸い、食欲は戻ったみたいね。」


「おいしいです。」


「聖堂から帰る途中で、おいしいものをたくさん買ってくるから、ゆっくり休んでいなさい。」


「はい、いってらっしゃい!」


エレナが出ていった後、ルーベンは食べたものを消化しながら、運動の準備をした。


「7月なのに、ちょうどいい気温だな? 湿気があるのは少し気になるけど。」


ルーベンがいるガリシア地方は海洋性気候で、一年を通して温暖で湿っていた。


それでも日本の夏よりは、はるかに涼しかった。


「微細粉塵がないからか、空が本当に澄んでいるな。」


昨日も少し庭を散歩したが、その時は日が沈んだ後だった。


ルーベンは爽やかな空気を吸いながら庭を走った。


「はあっ、はあっ。」


気持ちとしては、もっと強度を上げたいルーベンだった。


だが、病気にでもなれば、薬すらない世界だった。


「いや、よく考えれば薬はあるけど...............」


梅毒の治療薬だと言って、水銀を処方する時代だった。


下手に腕のない医者が出す薬の方が、危険なこともあり得た。


「それでも、あと二セットだけやろう。」


医者ではなかったが、体調くらいなら自分で確かめられる知識があった。


そうして二セットを終え、石床に仰向けになった。


「うわ、くそ。死にそうだ。長く寝ていたからか。大してやってもいないのに、どうしてこんなに息が切れるんだ。」


荒い呼吸を整え、体を起こして壁にもたれかかった。


すると、床に敷かれた石の間を押し分けて生えた花が見えた。


「やっぱり庭は手入れされていないな。」


ルーベンの記憶の中にある庭は、雇われた使用人によって、いつもきれいに整えられていた。


だが、薬代を払うために家具まで売った状況で、使用人を雇う金などどこにあっただろうか。


エレナもまた、看病をしていたため、庭を管理する余裕はなかったはずだ。


そのおかげで、ルーベンは自然の花を満喫することができた。


「これは何だったかな? ローズヒップ?」


化学者たちは、花びらとはそれなりに近しい間柄だった。


その中から色素やエッセンシャルオイル、抗酸化成分であるフラボノイドのような物質を抽出できるからだ。


客たちは、花から抽出したと言えば、化学的に作った物質よりも高い金を払って買ったため、当然のことだった。


『待て、金?』


その瞬間、ルーベンの頭の中に、何か閃くような発想がよぎった。


「これ、うまくやれば金になるんじゃないか?」


もちろん、この時代の技術では、花びらからそのような化学物質を抽出するのは難しかった。


だが。


「やっぱり、元手なしで始めるなら飲食業に勝るものはないな。」


花茶やハーブティー程度なら、今すぐにでも試すことができた。




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