第8話 お断りいたします
馬車が三台。騎士が十二。
村の道は幅が足りず、行列は工房の前で詰まっていた。婆さんが鍬を担いだまま、道端で目を丸くしている。
戸口に立った男を見て、私はまず、季節のことを思った。
あの夜会から、一年が巡ろうとしていた。
「久しいな、リリアーナ」
王太子ジェラルド・ヴィス・アルデリアは、記憶より少し痩せていた。目の下に隈がある。だが背筋の伸ばし方と、顎の角度だけは、あの夜のままだった。
「殿下」
私は膝を折った。平民の礼だ。ドレスの裾を摘まむ必要がないので、こちらの方がずっと楽である。
彼は工房の中を見回した。木くずと、削りかけの杖と、煤けた壁。鼻に皺が寄るのが見えた。
「こんなところにいたか」
「はい」
「聞いている。杖を削っているそうだな。——ちょうどいい」
彼は従者を呼び、細長い箱を運ばせた。
*
蓋が開いた瞬間、匂いでわかった。
古い漆。層は七枚。銀の象嵌。柄尻に王家の紋。
祖父の仕事だ。
「建国祭の御前奉納で使う。調律とやらが要るらしい。貴様の祖父の作だそうだから、身内なら扱えよう」
王都の職人はどうしたのか、と聞くのは野暮だった。
辺境まで馬車三台で来ている時点で、答えは出ている。王都の工房は、全部断ったのだ。
私は箱に手を伸ばした。
「触れても?」
「早くしろ」
*
握った瞬間、背中に冷たいものが走った。
魔力が、入らない。
いや、入る。入って、三寸で壁にぶつかる。迂回する。迂回した先でまた詰まる。二度目の迂回。三度目。
私は目を閉じて、指を柄に沿わせた。作業台のランプを近づけ、木肌を見る。
——補修痕が、ある。
漆の層の下、握りの上五寸のあたり。埋め木だ。それも、目の走りを無視して押し込んである。素人仕事。二つ目は柄尻。三つ目は中央。
三度。三度、正規でない手が入っている。
祖父の削った通り道は、そのたびに押し曲げられて、いま三重に歪んでいる。歪みと歪みの間に、逃げ場を失った圧が溜まっている。指先に、じわりと滲む感触がある。膨らんでいる。内側から。
私は、数分そうしていた。
誰も口を利かなかった。
*
私は目を開けて、杖を箱に戻した。
蓋を閉めて、押し返した。
「お受けできません」
ジェラルドの眉が上がった。
「なんだと」
「この杖は、既に三度、正規でない手で補修が入っています。魔力路が三重に歪み、内部に圧が溜まっています」
「意味のわからんことを」
「いま調律しても、間に合いません」私は言った。「歪みを直すには、まず埋め木を全部抜く必要があります。抜けば形が保ちません。作り直しなら三月、いえ、この材の乾き具合なら四月です。建国祭までは、二十日でしょう」
「四月だと? そんなものは——」
「まっとうな職人なら、誰も引き受けません。王都で断られたのも、同じ理由のはずです。引き受ける者がいたら、そちらを疑ってください」
私は箱の上に手を置いた。
「使わないでください。それだけです」
*
これは、私にできる最善だった。
罠ではない。仕掛けでもない。私はこの人を憎んですらいない。憎むには、あの都のことを思い出しすぎる必要がある。
ただ、目の前に危ない杖がある。危ないと読める人間が私しかいない。だから言った。工房に鍋を持ってきた村人に、火の当たりが偏っていますよと言ったのと、まったく同じ声で。
「奉納の場でこれを使えば、割れます。人が死ぬかもしれません」
「……」
「代わりに、無銘でよければ一本お渡しできます。装飾はありませんが、割れません」
*
ジェラルドの顔が、ゆっくりと赤くなった。
「——貴様」
「はい」
「無能が、偉そうに!」
声が工房を揺らした。棚の杖が一本、倒れた。
「魔力ひとつ持たぬ女が、王家の宝を裁くか! 貴様の言うことなど誰が信じる! 祖父の作を貶して、自分の粗末な棒を売りつける腹だろう!」
「……」
「戻る気があるなら婚約の件は再考してやろうと思っていたが、その様では話にならん。せいぜい木を削っていろ」
彼は箱を従者にひったくらせ、外套を翻した。
戸口で一度、振り返った。
「建国祭には、これを使う。使って見せる」
*
馬車の音が遠ざかっていく。
村人たちが、遠巻きに私を見ていた。婆さんが「大丈夫かい」と声をかけてくる。私は頷いた。
言えることは全部言った。
言ったものを受け取るかどうかは、あの人の手の中にある。
私は棚から倒れた杖を拾い、埃を払って立て直した。作業台に戻り、削りかけの一本を握る。三寸削って、握りの重心を確かめた。木くずが落ちた。
窓の外で、日が傾いた。
私は刃を置いて、前掛けを外した。戸口に出て、看板を裏返す。
いつも通り、日没だった。




