第7話 八歳の失敗作
八歳の秋だった。
母に連れられて、二度目に工房へ来た日。祖父は「触るな」と言わなかった。かわりに、屑材を一本くれた。
「削ってみろ」
私は小刀を握った。重かった。刃が滑って、指を切った。血を舐めながら三日削った。
出来上がったものを、祖父は長いこと見ていた。
「これは、売り物にならん」
それだけだった。慰めも、褒め言葉もなかった。
私は泣きながら工房を飛び出して、裏の薪山に杖を放り投げた。それきり、その日の記憶に蓋をした。翌年、祖父は死んで、私は王都に戻って、測定球の前に立ち続けた。
*
「——なぜ、これを」
私の声は、自分のものとは思えないほど掠れていた。
指はまだ、柄に触れている。離せない。離したら、この感覚が嘘になってしまう気がした。
入口で細くなるのは、握りを小さく削りすぎたから。中ほどで蛇行するのは、刃が滑って線が曲がったから。節の真上を通っているのは、避け方を知らなかったから。
全部、私の失敗だ。ひとつ残らず、覚えている。
シリルは、火を見ていた。
そして、喋った。
*
「十五のとき、家督を継いだ」
火の粉が上がった。
「継いだ月に、北の谷で魔獣が湧いた。兵は四十。三日目に十二になった」
彼の言葉は、いつも通り短かった。だが、止まらなかった。
「私の魔力は、量だけはあった。制御ができなかった。撃つたびに味方を巻き込んだ。三本目の杖が砕けたとき、逃げた」
「……逃げ込んだ先が」
「潰れた工房だった。爺さんが死んで、一年ほど経っていたらしい。人はいなかった。裏に薪の山があって、雨をしのぐのに崩した」
彼は、腰の杖を鞘から抜くように外した。
飴色の木肌が、火明かりに晒される。握りの部分だけが、黒く光っている。六年ぶんの手の脂で。
「出てきた」
「……」
「握ってみた。魔力が、通らなかった」
「通らない?」
「細い。詰まる。曲がる。半分も出ない」
私は、息を止めた。
「だから、制御できた」
*
理屈は、一瞬でわかった。
暴走する魔力を、歪んだ通り道が絞っていた。入口を細くして流量を落とし、蛇行で勢いを削り、節の真上の詰まりで最後の圧を殺す。
出力は半分以下。だが、暴発しない。
一流の職人なら、絶対に作らない杖だ。性能が悪すぎる。売り物にならない。
祖父の言葉は、正しかった。
正しかったのに——世界のどこかに一人だけ、これでなければ生きられない人間がいた。
「四十のうち、十二が生きて帰った」彼は言った。「私を含めて」
*
「六年、探した」
シリルは杖を膝に置いた。
「この削り手を。名工の作を片端から握ったが、どれも私には強すぎた。銘もない。売った記録もない。捨てられていた一本だ。探しようがなかった」
彼は初めて、私を見た。
「工房に灯りがついた、と村の者が言った」
十日で駆けつけた、ということだ。あの日、黒衣の男が鴨居に頭をぶつけそうになりながら入ってきた、あの日に。
私は、震える声で聞いた。
「あの日、あなたは『誰が削った』と訊きましたよね」
「ああ」
「本当は、知っていたんじゃないですか」
彼は、しばらく黙った。
「削り手が女の子供だと、村の年寄りが覚えていた。爺さんの孫だと。名も、身分も、その気になれば調べられた。調べた」
「じゃあ、なぜ訊いたんです」
「確かめたかった」彼は言った。「六年経って、君がまだ削っているのか。それとも、削らされているのか」
私は、息を呑んだ。
「削っていた」
「……はい」
「なら、それでよかった」
*
「知っていたなら」私は言った。「なぜ、迎えに来なかったんですか」
六年。私が王都で壊れていく間、彼は一度も現れなかった。
「王都で、婚約者がいると聞いた」
私は、口を閉じた。
「幸せなら、それでいい。私の杖の話は、君の人生に何の関係もない」彼は淡々と言った。「不幸なら、なおさらだ。私が行けば、君は私の杖のために生きる人間になる」
息が止まった。
その通りだった。
あのころの私に「あなたには才能がある」と言って手を差し出す人間が現れていたら、私は迷わずその手を取った。取って、また誰かの期待のために燃え尽きていた。今度は職人という名前で。
「だから、君が自分で名乗るまで待った」
助けに来ない。認めて、待つ。
視界が、ぼやけた。
私は笑おうとして、失敗して、涙と一緒にこぼした。
「……ずるい」
「そうか」
「そういうの、ずるいです」
「そうか」
*
私は袖で顔を拭いて、彼の膝の上の杖に手を伸ばした。
「握り、直していいですか」
「なぜ」
「小さすぎるんです。八歳の私の手に合わせて削ったので。あなた、六年これで戦ってたんですよね。手、大きくなってるでしょう」
指の付け根に、擦れた痕がある。ずっと見えていたのに、今まで見ていなかった。直せる。今の私なら、通り道の絞りを保ったまま、握りだけを彼の手に合わせられる。
私は手を伸ばした。
シリルは、杖を引いた。
「いや」
「え」
「このままがいい」
そう言って、彼は杖を腰に戻した。表情は動かない。いつもの、感情の置き場所がない顔。
けれど、握り直した指が、柄をひどく強く掴んでいた。
*
その夜、私は寝床で天井を見ていた。
胸の奥が、うるさかった。
前世では一度もなく、王都でも一度もなかった種類の音がしていた。
これは、まずい。
そう思った瞬間に、名前がついてしまった。




