第14話 『月夜のかくれんぼ』
ぶわぁっと膨れ上がる、ふさふさの尻尾。
垂れたお耳の付け根が、ぴくーっと持ち上がりました。
心臓が飛び出るかと思うほど近くにいたのは、あの黒い影。
「……あ、あら?」
ここまで近づいてみれば、わかります。
小柄な人の形で、頭にはわんこみたいな垂れ耳があって、腰の後ろにはふさふさの尻尾。
お洋服も、スカートかワンピースタイプの拡がったシルエット。多分、ドレス。
獣度は最低限の耳尻尾だけな、犬系獣人の女の子……なのかしら?
ただ、お顔も身体の輪郭も、揺らめく黒い影に包まれていて、はっきりとはわかりません。
それにしても、このお耳と尻尾。
まるで、ふわふわのわんこみたい!
ゴールデンレトリバー、あるいは髪の毛に合わせた黒い色だから、フラットコーテッド・レトリーバー?
……ふふっ。なんだか、可愛らしい子ですね。
「ねえ、貴女は……」
と、破裂しそうに高鳴る鼓動を押さえつけて、声をかけたその瞬間。
すーっと、空気に溶けるように、黒い影の女の子は跡形もなく消え失せてしまいました。
慌てて魔力視で見てみても、ただ、幻月花の儚げな輝きが強調されるだけ。さっきまで確かにそこにいたはずなのに、痕跡一つ見当たりません。
ひょっとすると、この――『双月の誓い』シリーズと呼ぶべきでしょうか? 武具を見ていた? それなら、魔装として出せばもしかしたらまた来てくれるかも。
思い立ったが吉日。魔装となった扇をイメージすると、魔力核から再び黒と白の燐光が舞い、両手に舞扇が一対顕現します。
「消費、おっも!?」
がりっと、音がしたかと思う程見事に削られた私の青いMPバー。その量、実に約7割。
レベル1だから消費量に耐えかねたというだけならまだましなのですが、これ、まさか最大MPに対する比率消費とかではないですよね? 背中に冷や汗が浮かびますが今は試しようもありません。
既にあれこれやっていた直後なので、MP残量、すなはち私の命の残り香は脆くも数秒で消し飛び……。
《死亡しました。5秒後にリスポーンします。Lv1のため、デスペナルティーは免除されます》
ふぅ。こんばんは、新しい私。
けれど、どうしてもあの子に会ってお話をしてみたいので。
魔装、再び顕現!
ほぉら、ほぉら。塔の上に安置されていた『双月の誓い』シリーズの一角ですよ~。
ひらひらー、ひらひらー。
ゆったりと風を起こすように前方へ向かって扇を振れば――パキ、ぱきぱきぃ。
「うそぉん」
たったそれだけのことで黒と白の宝石みたいな扇面に走る無数の罅割れが広がり、白い月光に煌く輝きとなって幻月花に降り注いでしまいました。
なんとか持ちこたえている黒い心金も、ええいままよと、舞いの方の練習とばかりにくるりくるり、遠心力を乗せて回転すれば、バキリ! 見事にへし折れ、破壊判定となったのか、黒と白の燐光になって消えてしまいました。
「これは、やはりなんらかの手段で修復を試みないと、実用に耐えないどころの話ではないですね」
それにしても、魔装として顕現した扇が壊れてしまったらどうなるのでしょう?
慌ててステータスを確認してみると……あ、【概念魔装】の登録は残っていますね。
それなら、もう一度顕現できるのかしら?
ちょうど良い機会なので、再生成を試してみますけれど。
《MPが不足しています》
「……あらぁ」
少なくとも、残りMPの一定割合を消費する方式ではなさそうね。
どうやら、壊れた扇を再び顕現させることはできても、そのためには十分なMPが必要みたい。
うぅ……この武具を自由に使えるようになる日は、まだ遠いかしら。
そして、リスポーンを繰り返すこと15回。蘇ればすぐに扇を生成するものの、それを使って何かをするというわけにもいかず。手持ち無沙汰と美味を求めて『★4 (EP):幻月花の涙』がインベントリに400個も増えてしまった頃。
「いますね」
白く美しい花が咲き乱れる花園の外、ここからではかろうじて見えるかどうかという、お城の崩れた回廊の一部。
死にまくる私に怖れを成して近づいて来ないとか……まさかないですよね?
魔力視もレベルが上がって、心なしか私がいるだけで辺りにこう、私の存在感というか――私の月華の魔力というべきなのでしょうか? あ、断じて体臭とかじゃないですからね!? もし仮にそうだとしても、お花の蜜(幻月花の涙)しか今、食べていない私はさぞ魅惑的なお花の良い香りがする事でしょう。
――って、今はそれどころではありません。
「ねえ、貴女……そんなところにいないで、こっちに来ませんか?」
そーっと、できるだけ優しく声をかけてみます。
……。
反応は、なし。けれど、今度は消えてしまわないのね。月明かりに照らされた崩れかけの回廊。柱の陰から半身だけを覗かせている小柄な影は、じっとこちらを見つめている……ように思える。
お顔が見えないからわからないけれど、垂れたお耳がぴくり、と揺れたもの。
「やっぱりこの扇が気になるのかしら?」
ふよふよ、両手に持った白と黒の舞扇を持ち上げてみる。
……うーん。なんだか、さっきよりも回廊の奥に引っ込んでしまったような。
わんこっぽいわけですし、激しく動かしたら反応してくれるかも? なんて思いついてしまった私は、黒い扇をフリスビー代わりに、ぽーん。何度でも再生成して、喚び出せると分かりましたからね。
「……あ」
花園に落下した黒い扇が、儚い燐光となって砕け散りました。
少女の方はというと、まったく反応なし。
「……うぅ。私ったら、何をしているのかしら」
いくらわんこみたいな可愛らしいお耳と尻尾があるからって、相手は女の子なのよね。
それに、大切な武具をおもちゃみたいに投げてしまうなんて……ちょっとはしゃぎすぎたかしら。
気を取り直して、手元に残った白い扇もそっと振ってみますが……やっぱり駄目。
こちらも結局、黒と白の燐光となって消えてしまったのでした。
すると。あの子が柱の陰からちょこっとだけ、こちらに身を乗り出したの。
え……扇じゃなかったの? まさか、興味があるのは私の方? ふふ、それならば。
「こんばんは。私はルミナティア」
怖がらせないように、逃げられないように。まずは動かずこの場でご挨拶。
ちょっと気取って軽いカーテシーをしてみたり。
「貴女のお名前、教えてくださる?」
とびきりの微笑みを向けてみるけれど――すっ。消えちゃった。
今の感じは、柱の陰に隠れたというよりも、煙のように消えてしまった感じ。
……むぅ。と、思ったら。
ひょこっ。
「……あら?」
今度は、少し離れた無事な柱の陰からお耳が覗きましたよ?
じー。こちらを見ている……気がする。
……ふふふ。なんでしょう、これ。なんだか、子犬が物陰からこちらを窺ってかくれんぼしているみたい。
ふよふよ、ゆっくりと近づいてみましょう。
――すっ。消えました。けれど、今度はもっと近く。花園との境になっている崩れた壁の陰に、ふさふさの尻尾が!
私が近寄る。ひょこっ、と違う場所に現れる。
もうちょっと近づく。すーっと、姿を消す。
鬼ごっこ? そう思った途端、なんだか楽しくなってきました! こんな風に誰かと遊ぶのなんて、いったいいつ以来かしら。
ふふふ、こういうのはきっと不意打ちが大切。命(MP)が削れることもいとわず、盛大に月華の魔力を漂わせ、ひゅんっ。
「つかまえ、ましたっ!」
壁に衝突寸前で何とか止まり、勝利を確信して振り向いた私の目の前で……黒い影がすぽんと石畳に沈んで消えてしまいました。
「ふにゃっ!?」
え、今のは何? 地面に潜った!? 慌てて【魔力視】で覗いてみるけれど、燐光のように魔力を零す私と、回廊の向こうに広がる一面の幻月花ばかりがきらきらと目立って、肝心のあの子は見つかりません。
「むぅ……そ、それはずるいですよぉ」
零したその時、さわり、と少し先の花々が揺れました。白い花びらの隙間から、黒い垂れ耳がふたつ、ちょこん。長い髪の輪郭も、揺らめく靄の奥にかすかに見えています。
「……あっ」
ぴこっ。私が声をあげるより早く、お耳が引っ込みました。
でも、今度は別の場所から、ふさふさの尻尾がひょっこり。警戒するように、というよりも遊んでもらう事に興奮したわんこみたいに、フリフリと振られる突き出したお尻に合わせて、尻尾がぶんぶん。
あぁ、もう。なんて可愛いのでしょう!
……いえいえ。ちょっと待って、私。鬼ごっこのつもりで追いかけていたけれどひょっとして怖がって逃げているなんていう可能性はない? そう考えると、勢い任せに追い回すのは気が引けます。
「ごめんなさい。嫌だったら、もう追いかけませんからね?」
答えはないけれど、花の隙間で黒い尻尾がふわ、と一度だけ揺れました。
うーん。嫌なのか、嫌じゃないのか。お耳も尻尾もよく動くのに、肝心の表情もなにも見えないのよね。
「それなら、かくれんぼはどう? 私が十まで数えて、貴女を探すの」
……。どうやら、これもお返事はなし。
うん、勝手に始めてしまいましょう。少なくとも今の彼女は、これまでのように消えてそのままどこかに行ってしまっているわけではないのです。
「いーち、にーい、さーん……」
お花畑の中で目を閉じて、ゆっくり数えます。確かかくれんぼってこうやるので合っていますよね?
「……きゅーう、じゅう。もういいかーい?」
もちろん返事はありませんとも。
「ふふ。じゃあ、探しちゃいますよ?」
目を開けると、辺りは一面の白い花。白い月明かりに照らされる視界のどこにも黒い影は……。
……ぴこ。
「……」
白い花の向こう、まっくろな垂れ耳の先端が、ぴこぴこ、ぴくぴく。
「……うふ、うふふ」
あれだけ自在に姿を消せるのに、どうしてお耳だけ出てしまうのかしら?
もしかして、やっぱり私に見つけてほしい、とか?
そう思ったら、ちょっとだけ胸の奥が温かくなりました。
みーつけた……って言ったら、また逃げちゃうかしら。
今度は駆け寄らず、少し離れたところに腰を下ろしてみます。ほんのり空に浮いたままの私の白いワンピースの裾に、幻月花がふわりと触れる。
「ふぅ。どこに行ってしまったのかしら。鬼さん、ちょっと休憩です」
あまり飛び回ると、MPだって減っちゃいますからね。さっきの扇のせいで、もう何度リスポーンしたことか。
……そういえば、リスポーンした後。
きまって最後に私がマナの靄となって消えた場所に、この子はいたような?
さわ、さわ。花々が揺れる。
黒い耳が、身体一つ分だけ近づく。
そして、じっとしている私を確かめるように、もう少し。
……あら。
「こんばんは」
そっと小さな声で、ご挨拶。
さっきはそれだけで消えちゃったけれど、今度は消えませんね。
お顔も瞳も、相変わらずもやもやと揺らめく影の奥。だけど今、この子は間違いなく私のことをまっすぐに見つめている気がするの。
「私、ルミナティアっていうの。……うふふ、さっきも言ったわね」
そっと差し出した手のひらから、きらきらと魔力が燐光となって零れます。
垂れ耳がぴくり。
黒い影が、ほんの少し身を乗り出しました。私の指先から零れる煌めきを追いかけて、小さな頭が上へ、下へ。
「これが、気になる?」
きらきら、さらさら。
魔術が使えるわけではないから、ただ無駄に魔力を浪費するだけだけれど、1年の練習の成果もあって私の命の雫(MP)をふわふわと舞う雪のようにたくさん、たくさん散らす事はできます。
その小さな煌きに誘われるように、影の子が一歩、また一歩。
近い。今度こそ、本当にすぐそこ。
「……綺麗?」
そっと微笑みながら問いかけると、黒い小さな手の輪郭が、私の指先へ伸びてきて。
さらり。
一粒の光が、二人の間に溶けて消えました。
……あれ?
いま、触れた……のかしら?
思わず身を乗り出しかけた、その時。
――すっ。
「あっ……」
また消えちゃった。
「うぅ。欲張りすぎましたか」
肩を落とす私。けれど、すぐ隣の幻月花の間から、再び黒い尻尾がちょこんと。ふり、ふり。
「……ふふっ」
いてくれるのね。まだ、そこに。
名前も知らないし、お話だってできない。でも、さっきまでより少しだけ、近くなれた気がします。
一か月以上、私以外には誰もいないと思っていたこの花園で……お友達に、なれるかしら?
そんなことを考えたら、なんだか照れくさくなっちゃいました。
「……あ。そうでした」
MPバーはもう残りわずか。そろそろ、慣れ親しみすぎたいつものお時間ですね。
塔の仕掛けも、あの十二の武具も、わからないことばかり。
「今度は図書館を調べてみようかしら。昔のことが書かれた本でもあれば、何かわかるかもしれませんし」
私はくるりと、簡単な舞いを踊るようにスカートの裾をひらめかせて身をひるがえし、黒い尻尾の見えるあたりに向かって、小さく再び。今度は、ひと時のさようならの、カーテシー。
「それじゃあ、またね。……次は、貴女のお名前を教えてもらえたら嬉しいな」
……へにょ。白い花の間で、お耳が一度だけ、彼女が小首をかしげるのに合わせて柔らかく揺れました。
「……えへへ」
返事だったかどうかは、わかりません。
でも、また会いたい理由が、ひとつ増えました。
……できれば次は、その柔らかそうなお耳をなでなでさせてほしいな、なんて。
そうして、月明かりの下で始まった、ちょっと不思議なかくれんぼはおしまい。
さあ、次は図書館へ――と、その前に。
《死亡しました。5秒後にリスポーンします。Lv1のため、デスペナルティーは免除されます》
「……ふにゅん」
ええ、やっぱりいつも通りですね!




