城の掃除を頼まれましたが、相手は昔の我です
林が切れた。
窪地の底では風が止まっていた。建物がある。円盤を伏せたような形をしている。縁のあちこちが欠け、壁は色を失い、外周の草が壁の際まで伸びていた。
四人は斜面を降りた。草は膝まであった。誰も口を利かなかった。扉は、一つだけあった。
「ここね」
リラが言った。
「この気配。やはり、おりますな」
フランが扉を見上げていた。
リラは壁を蹴って上段に乗った。もう一度蹴って、円盤型の天井の上へ立つ。
「後は、お願いね」
王女は現場に入らないタイプの上司であった。
フランが扉の前へ進んだ。
「掃除くらいは、あなた方にもできるでしょう」
「勝手ばかり言いやがる」ドウジが吐き捨てた。「お前はそれでいいのかよ」
カイは答えなかった。扉の奥へ目を向けたままだった。
中にいるものの気配は、扉の外からでも分かった。分かってしまった。
「我と、同じやつがいる。そしてそいつは……」
言い切らずに、歩き出した。誰よりも先に、扉の中へ入った。
「それでいい」
フランが言った。ドウジがフランを見た。
「汚れの浄化。お前たちの、宿命」
ドウジは口を開きかけて、やめて、扉をくぐった。
中は暗かった。扉の形に外の光が床へ落ちて、その先で途切れている。天井は高く、音がよく響いた。三人で入って、足音は二つだけ鳴った。
暗がりの奥に、立っている者がいた。
カイと、同じ姿をしていた。
ただ、輪郭の内側がすべて闇だった。目のあるべき場所だけが、一段濃い。動かずに、こちらを向いていた。
ドウジが身構えた。
「こいつは、我が始末する」
カイが前へ出た。ドウジの足が、止まった。
先に動いたのは、向こうだった。
闇が滑るように間を詰める。カイは飛んだ。頭の上を取って爪を振る。裂けた場所が煙のようにずれて、手応えは残らなかった。着地の前に向こうの爪が来る。身を捻った。頬の横を、風が抜けた。
二度目は、同時に飛んだ。爪と爪が交わる。闇が細かく散って、床に落ちる前に消えた。
カイが裂く。裂いた端から相手は蝙蝠に散る。散った羽音が背後へ回る。カイも散った。数十と数十が、天井の下で絡み合った。相手は一声も上げない。羽音さえ、向こうのほうが静かだった。
向こうの群れの半分が寄り集まった。寄った先が固まって、鋭い爪だけの腕になる。蝙蝠のまま飛ぶ半分がカイを追い立てて、腕の射程へ押し込んでいく。
腕が薙いだ。カイの群れが割れた。割れ残りの数匹が叩き落とされて、床で黒い染みのように広がる。染みは這って群れに戻った。戻る間も、腕は待たなかった。二度目の薙ぎが群れの腹を抜け、数がまた減った。減った分は、戻りが遅かった。
人の形に戻る。戻った肩を、爪の先が抜けていった。壁まで飛ばされて、背中から当たる。落ちながら散った。床に届く前に、群れへ戻った。
もう一度散った。低く回り込んだ。回り込む先を、読まれていた。
散る速さも、戻る速さも、向こうが上だった。
同じ術を、向こうのほうが使い慣れていた。
正面から裂きにいった。三度裂いて、三度とも手応えがなかった。四度目の帰りに、胸を浅く裂かれた。
ドウジが一歩踏み出した。その前をカイの群れが横切った。ドウジは、足を戻した。
爪の腕が、もう一度組み上がった。今度は、助走がなかった。正面から来た。速さは、今までのどれとも違った。
――棺の中で、カイは長いあいだ聞いていた。
蓋の向こうを、人の念が流れていく。喜び。温かさ。カイはその中から優しさだけを選り分けて、僅かな糧にしてきた。それ以上は、取らなかった。
一つの罪を背負った身だった。自分で自分を閉じ込めた。棺は、牢獄だった。
目の前のこれも、同じ流れを聞いてきた。
そして、選り分けなかった。
優しさも、差し出した手ごと、まとめて食らってきた。
二つの念が、交錯した。
爪の腕が振り下ろされた。
届かなかった。
吸血鬼の姿は、そこになかった。飛竜に似た異形が、暗がりを埋めていた。天井に頭がつかえるほどの丈。巨大な牙と、巨大な爪だけが、白かった。
闇の蝙蝠が一斉にかかった。
牙が一度閉じた。爪が一度振られた。
それで、終わりだった。
闇は飛び散って霧になり、霧は床へ届く前に薄れて、消えた。
異形が縮む。カイは元の姿で立っていた。肩の埃を払う。それから、天井のほうへ一度だけ目を上げた。
ドウジは扉の脇で、黙って見ていた。何も言わなかった。存外、気の回る狼である。
◇
フランが天井を開けた。外の光がまっすぐ落ちてくる。リラが天井の縁から降りてきた。
「終わったのね」
それだけ言って、奥へ歩いた。労いの一言もない。もう慣れたことでは、あった。
「いえ、始めるのはここからです」
フランが言った。
部屋の奥に、据えられた物があった。リラがその前に立って、手を置く。長く止まっていたものが、低い音を立て始めた。音は床から壁へ伝わって、円盤の全体が微かに震えた。
フランが、壁のくぼみの前に立った。背中から、収まった。巨体が、ちょうど嵌まった。
「あとは頼みましたよ。お二人」
ドウジが口を開きかけた。フランは待たなかった。
「私の身体は、このためにあったのです。ここから意識をこれに取られますから、無駄口もここまでになりますが」
円盤の周囲に、薄い光の膜が広がった。膜は、音を立てなかった。
「ではお嬢様、後ほど……」
「次の場所に移りましょう」
王女は、もう歩き出していた。
カイとドウジは顔を見合わせた。千年物の吸血鬼と数百年物の狼が、揃って雇用条件の確認を怠った。今さらである。




