身の上話の途中ですが、家が潰れます
洋館の廊下は天井が高かった。フランは肩を斜めにして進んでいる。歩幅は大きい。それでいて足音はしなかった。あの巨体で無音である。執事教育とは恐ろしい。
ドウジが、途中で足を止めた。
「俺はただ、村を守ろうとして化け物に堕ちただけだ」
誰も振り返らない。
「それ以上は知らん。なぜお前の僕にならなきゃいかんのだ」
リラが止まった。
「お前もだろ。蝙蝠」
急に話を振るな、という顔で、カイは壁の燭台を見ていた。指で受け皿の埃を払う。
「ああ、我も堕ちた」
払った指を袖で拭いた。
「ただ……一度きりだ」
ドウジが口を開いて、閉じた。聞かなかったことにしてくれたらしい。存外、気の回る狼である。
どこかで木が軋んだ。廊下の先はまだ暗い。
「感情がきっかけで覚醒することはある」
リラが言った。ドウジが顔を上げた。
「あなたたちは、血族だった」
「わからねぇことばかり言うな」
リラはそれ以上言わなかった。歩き出しもしなかった。いつもの「聞いていいことなら答えてるわ」である。この王女の情報開示ポリシーは、千年物のカイをもってしても攻略の糸口が見えない。
フランが立ち止まった。振り返らずに、天井の梁を見上げている。
「それは人そのものの可能性なのか。精霊と呼ばれるものとの融合だったのか」
ドウジが眉を寄せた。
「あるいは、私のような亡霊の成れの果てなのか……」
カイは目を上げた。フランの背が動いて、こちらを向いた。
「私はどれでも構わないと思っております。ですが、お二人にとってはそうもいきますまい。だからこそ――」
◇
轟音が、言葉を潰した。
天井から埃が落ちた。梁が鳴って床が一度跳ねる。廊下の先でシャンデリアの鎖が切れた。落ちて二回跳ねて、横向きに止まった。
いいところだったのだが。
フランが首を巡らせた。
「立て続けで申し訳ありません。お二人も」
二度目の音が来た。今度は上からだった。壁の絵が斜めに滑って落ち、額がひとりでに割れた。
「さっそく、ここはもう危ない」
「やはりこちらを追ってきたわね」
リラは走らなかった。歩く速さだけを、上げた。危機感の表現として最小限すぎる。
「地下道に行きましょう。表よりはマシです」
フランが廊下の壁板を押した。板が横に滑って、下りの段が現れる。隠し通路である。築何年かは知れないが、防災設備だけは完璧だった。
ドウジが先に降りた。カイが続き、リラの後ろで、フランが体を折って入ってきた。肩が両側の石を擦っている。
坑道は狭かった。天井は低い。角材が等間隔で支えている。空気は乾いていた。
ドウジが先頭で走る。足元の枕木が湿って滑る。カイの爪が壁を掠って火花が散った。
背後で音がした。近い音ではない。地面から来る音だった。振動が上から下へ抜けて、石の粉が落ちる。
「今のは建物だろ」
リラは足を止めなかった。
振動は二度続いた。二度目は短かった。潰す音ではない。潰し終えた音だった。合掌。良い館だった。
角を三つ曲がると、前方が明るくなった。
出口の光の中に、揺らめきがあった。
スライムのようでもあり、泡のようでもある。輪郭が定まらない。それが出口の枠を内側から埋めていた。表面がゆっくり膨らんで、また凹む。音はしない。
ドウジが足を止めた。カイの指先が伸びる。
「さもありなん」
フランはそれだけ言った。それから、横を向いた。
出口の手前で立ち止まり、坑道の横壁に掌を当てる。指をそろえて、埃を払うように一度撫でた。
拳が、入った。
石が奥へ抜けた。二度目で壁が崩れた。土の匂いが流れ込んで、光が縦に入る。動作は最後まで丁寧だった。開いた穴は、三人が並んで通れる幅があった。
まるで、地中のルートをあらかじめ用意していたかのようだった。
「どうぞ」
執事は、非常口も自前である。
ドウジが舌打ちして潜った。カイが続き、リラが通り、最後にフランが肩から抜けた。
瓦礫を踏んで外に出ると、草原だった。
背の高い草が腰まである。風が渡って草が一斉に傾いた。斜面の上から煙が立ち上がっている。館のあった方角だった。リラは一度だけそちらを見た。それきりだった。
森へ入る道は一本しかない。草を分けて小道の入口まで来た。
そこに、岩の化け物が控えていた。
人の背丈の三倍はある。ばらばらの大きさの岩が寄り集まって、腕の形と胴の形を作っていた。継ぎ目に土が詰まっている。動かない。頭のあたりが、こちらへ向き直った。
ドウジが前に出た。
◇
空から、緑が落ちてきた。
草の穂の高さで止まる。速さの割に、音がしなかった。
塊が一度平たく広がった。スライムのように縁が垂れて、それから水になった。水は草に落ちずに宙で保たれている。次に霧になった。霧は小道の手前まで流れて、岩の化け物との間で止まった。
通ったあとの草は、倒れていない。焦げてもいない。
「翡翠の侵食……」
リラが言った。
霧が集まりだした。肩の高さができ、腕の位置ができる。顔にあたる面だけは、平らなままだった。
「お久しぶりです。王女」
声は、人の形の正面から出た。口はない。
「知らないわよ」
「忘れているだけでしょう」
初対面の挨拶が両者とも塩である。
ドウジが爪を出した。カイは動かない。フランは一歩下がって、両手を前で組んだ。
「あなたたちは思念で生まれ、引き継がれ、別れる」
人の形が、少しだけ傾いた。
「この世界の到達点だ」
「私たちに任せればいい。糧は管理できる」
「闇落ちと同じ獣になれと?」
「彼らが一番合理でしょう」
言葉と言葉の間が、一定だった。速くも遅くもならない。
「人間そのものを、家畜にすればいい」
ドウジが半歩出た。フランが袖を掴んで止めた。人の形は、ドウジのほうへ向き直りもしなかった。
「罪にこだわるのなら、罪人以外は我らと同化すればいい」
人の形が両手を開いた。開き方は、丁寧だった。
「全て、解決です」
「ふざけるな」
人の形は続きを待った。続きは、なかった。
「ひとつ、気づいてほしい事があります」
人の形が前に出た。足はない。位置だけが、変わった。
「私は、優しいのですよ」
声の高さは変わらなかった。
「しかし、アナタガソレヲオノゾミナラバ……」
人の形が、崩れた。
肩から先が枝分かれした。背丈が倍になった。腹の位置に穴が開いて、縁が細かく震えている。緑が濃くなり、輪郭が尖った。
小道で、岩がひとつ持ち上がった。
……優しさの賞味期限が短すぎる。




