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腕は光っていますが、芝は刈りません

報告から一夜明けて、応接室の空気は生ぬるかった。

 凛はソファに沈んで天井を見ていた。ユキは窓際でカーテンの裾を指で押さえていた。二人とも、一時間以上そこにいた顔をしている。テーブルに博士の湯呑みが残っていた。誰も片づけていない。

「博士はまだ何も話すなと言ってたけど」

 相馬は袖の位置を直した。

「別に大した話じゃないしな。庭にでも行こうか」

 ガラス戸を開けると草の匂いがした。庭は雑草が膝の下まで伸びている。ガレージの脇に芝刈り機が置いてあった。刃には去年の草が乾いてこびりついている。凛が靴の踵を踏んだまま出てきた。

「この腕な。力だけは増幅したんだよなぁ」

 相馬が手を向けた。芝刈り機が浮き上がって四つに割れて、また組み直る。倍以上の背丈のロボットが、庭の真ん中に立った。ハンドルが片腕になっている。首の位置に集草袋が乗っている。それは一歩も動かなかった。哀愁があった。

「すご。今だったらブランコとかも変形させられるんじゃね?」

「アホか」相馬は手を下ろした。「まぁ、大きさや精密さの向上かな。遠隔距離もか……」

 ロボットが縮んで芝刈り機に戻った。相馬は物置の前の自転車に手をかざす。サドルが持ち上がって頭の位置に来て、ペダルが手足のように回りだした。

「おお」

「これは前もできた」

 凛が物置の裏からリヤカーを引っぱり出してきた。相馬が手をかざした。リヤカーはカタカタ鳴った。それだけだった。もう一度かざした。もう一度カタカタ鳴った。

「……」

「もう一回」

「やってる」

 リヤカーは鳴りもしなくなった。凛が荷台を蹴った。車輪が半周だけ回って止まった。

「木だからか」

「知らん」

 力が増幅してもリヤカーには勝てない。世界を救う能力の限界がここにある。

 凛が石段に座り直した。ユキは自転車が元に戻るのを見ていた。

「でも、ヤバいんだろ、その腕」

「博士も、ほんとに分かってる感じでもなさそうなんだけど」

「あの人いつもそうじゃん」

「まぁ、異星人の仕業らしい。いまさら驚かんけど」

「あ〜ベタな展開だ」凛が足を伸ばした。「でも、今までとは違うな。ここにいても、そんな脅威なんて聞かされたことなかった」

「実際、博士たちも無理筋らしいよ。昔から知ってたみたいだけど」

「治るのか」

「さぁねえ……なんか色々なんだって。公園の奴みたいに植物だけになるのとか、逆に超人になるのも?」

「ジジイのことだから、どこまでが本当なんだか」

 凛の足元にボールが転がってきた。蹴飛ばした先で、それは丸いカニになって庭を横切っていった。甲羅にボールの縫い目が残っている。そのまま物置の下へ潜り込んだ。誰も追わなかった。この庭ではよくあることである。

「ただ」

 相馬が袖を下ろした。

「人類緑化計画を、おやりになるらしいよ」

「こっちで対処できないならヤバいじゃん」

「いや……他に、やれる奴らがいるんだって」

 ユキが草の中に立ったまま、動かなくなった。日が雲に入って、庭の色が一段落ちた。

「あの少女たち……」

「お前のその雰囲気が怖いけど」

「うん、怖い」

「バカなの?」

 凛が言った。

 芝刈り機は庭の真ん中に置いたままだった。誰も、芝を刈らなかった。

 ――ところ変わって、こちらは(しもべ)サイドである。

 道は途中で消えていた。

 木の間を登り続けると、崩れた石段が現れた。段の間から草が伸びている。人が踏んだ跡はどこにもない。石段の上に洋館が立っていた。窓の硝子は一枚も割れていない。蔦が壁の半分まで来ている。屋根の風見だけが北を向いたまま錆びていた。

「人の来る場所じゃねぇな」

 ドウジが袖を払った。リラは答えずに扉を押した。鍵は、かかっていなかった。防犯意識の話ではあるまい。かける必要がないのだ。

 広間には、人形が座っていた。

 長椅子に三体。階段の途中に二体。暖炉の前の絨毯には四体が輪になって座っている。服は古い。丈も色もばらばらで、揃えて作られたものではないと分かる。柱の脇には鎧騎士。どれも、埃をかぶっていなかった。

 ドウジが一体の前で足を止めた。人形の目がゆっくり動いて、ドウジを見た。

「おい」

「進んで」

 リラは歩調を変えなかった。慣れというものは恐ろしい。カイもドウジも、出会って数日で「王女の行く先に説明はない」ことにはもう慣れた。人形の目が動くことには、まだ慣れていない。

 部屋の奥に台があった。台の上に、巨大な体が横たわっている。腕は片方だけ繋がっていた。肩の継ぎ目から細いものが何本も出て、宙の途中で止まっている。もう片方の腕は台の脇に置かれていた。指の数は、合っている。

 ドウジが顔をしかめた。人の形をしているものが大きすぎるだけで、目のやり場が分からなくなるものらしい。

 背後で、椅子が鳴った。

 人形が一体、床に降りた。また一体降りた。鎧騎士が兜を回した。

 カイの指先が伸びる。ドウジが半歩前に出る。

 リラは、振り返りもしなかった。

「そろそろ完成かしら? フラン。時間が無くなってきてるけど」

 声が、返った。

「もうすぐでございます。お嬢様」

 人形の口は動いていない。声は広間の別々の場所から、少しずつずれて重なって届いた。

「今は思念が割れております故、お話は完成後に」

 ドウジが天井を見上げた。それから壁を見た。どこにも口はなかった。あきらめて口を閉じた。賢明である。

 台の上で、光が走った。

 巨大な体の胸から腕へ、青白いものが抜ける。指が一本ずつ閉じていく。同時に、広間の人形が倒れた。長椅子の三体が前のめりに落ち、階段の二体が段を転がり、鎧騎士は膝から崩れて兜が絨毯の上を滑った。埃が上がった。

 ドウジが倒れた人形を爪先で転がした。中身は空だった。目はもう動かない。広間で動いているものは、一つになっていた。

 割れていたものが、一つに戻っただけだ。

「オイ姫さんよ。何なんだよこれは」

 ドウジが台のほうを顎で示した。

「何にも話してくれねぇ」

 リラは台を見ていた。答えなかった。いつものことである。カイも、知らされていないことは同じだった。それでも何も言わない。見届けて、ついていく。今はそれだけに専念する――そう決めたのはカイ自身なので、文句の持って行き場もない。

 台の上の体が、身を起こした。

 背丈は天井に届きかけていた。腕は二本とも繋がっている。顔は人のものだったが、目の下に継ぎ目が一本走っていた。台の脚が、体重で軋む。

「お待たせしました。王女」

 声は、もう一つだった。

「では、参りましょう」

 フランと呼ばれた巨体は、扉のほうへ手を差し伸べた。指の動きは、執事のそれのように丁寧だった。ドウジが人形の残骸を跨ぐ。埃が舞い上がって、また落ちた。

 カイは出がけに、鎧騎士を見た。

 兜は、もう動かなかった。


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