遊具は乗り物ではありませんが、怪獣にはなります
林を抜けると遊具場に出た。回転ジャングルジムと滑り台があって、その奥が砂場だった。柵はない。朝の九時で、子供は一人もいなかった。
ユキが先に止まった。相馬と凛が追いついて、同じほうを見た。
茂みが、動いていた。
風ではない。遊具場を囲む低木が一つずつ向きを変えて、こちらへ体を送り出してくる。枝の先が地面を掻いて、土がめくれた。数は、数えられない。
「ちっ、罠かよ」
「な? フラグって言った瞬間これだよ」
「今その話いる?」
「遊具は乗り物じゃないのか、相馬」
「さすがに無理だわ」相馬は滑り台を見た。「あれは子供が乗るもんだ。動かすもんじゃない」
「軽トラは」
「駐車場だ。取りに行って二分」
「二分もつかな俺ら」
凛が舌を鳴らして、回転ジャングルジムに手をかざした。
「じゃあアレは俺が使う!」
「子供が乗るもんだって言ったそばから!」
鉄の骨組みが軋んで、内側へ寄っていく。丸くなる。卵の形になる。表面に筋が走り、割れ目から黒い毛が押し出されてきた。腕が出る。もう一対出る。三対目が出た。六本腕の熊が四つ足のまま立ち上がって、鼻から湯気を吐く。足元の砂に笹が生えて、笹の間から羽虫が上がった。
熊が腕を振った。六本が順に走って、前列の茂みが宙に飛ぶ。木の裂ける音はしない。飛んだ茂みは地面に落ちて――また、起き上がった。
「起きるのかよ」
二列目はもう来ていた。熊の足の間を抜けて、まっすぐユキへ向かう。
ユキは目を細めて色を拾った。滑り台の赤、ベンチの青、砂場の白、木陰の黒、茂みの緑、注意看板の黄、枝の間から差す朝日の橙。七つ。
茂みがユキの背後へ回り込む。凛が足元を探した。砂場の隅にサッカーボールが転がっている。空気の抜けかけたやつだ。誰かが忘れていったんだろう。手をかざすと、ボールが膨らんで縫い目から裂けた。白と黒が混ざりながら伸びていく。太い蛇が草を鳴らして走り、茂みの胴に巻きついた。
「ナイス忘れ物!」
ユキは掌を開いた。七つの色が縒り合わさって、虹の形になる。
手をかざす。
――指が、閉じなかった。
茂みの奥に何かがある。枝と葉のあいだに、動きの癖のようなものが混ざっている。ユキはそれを、人間だと感じた。感じただけで、言葉にはならなかった。
その一瞬で、足りた。
横から触手が来た。
相馬が間に入った。背中でユキを押して、伸びてきた枝を腕で払う。二本目が肩に巻きつき、三本目が足に来た。踏ん張って引き剥がす。剥がしたそばから次が絡んだ。
「ユキ、下がれ」
「相馬」
「いいから下がれ」
熊が向きを変えたが、間に合う距離ではなかった。
――上から、影が落ちてきた。
黒い上下の男が茂みの塊の真ん中に降りて、下から順に薙いだ。腕の一振りで五つが浮いて、浮いたまま林の縁まで飛んでいく。裂けたものは、一つもない。
「なんで俺がこんなことを」
背の高い男は言いながら、相馬に巻きついた枝を掴んで外した。掴んで、放った。潰しは、しなかった。
「口を閉じなさい」
少女が遊具場の入口に立っていた。動物園の夜と、同じ立ち方だった。
ユキは投げられた茂みが起き上がるのを見ていた。起き方が、揃っていない。膝から立つものがあり、腰から先に上がるものがある。葉の下に肩がある。腕がある。
数えると、十四あった。
「……人だ」
誰も、返さなかった。
少女が手をかざした。茂みの塊が一度に浮いて、押されるように森の奥へ滑っていく。木の間を抜けて、下生えの向こうで止まった。
ユキは掌を見た。色はまだ残っていた。
指を、閉じた。
虹が飛んで、塊に届く。光が散って、動きが止まった。
茂みの、ままだった。
◇
下生えの向こうで、茂みの塊は動かなくなっていた。
十四のかたまりが、等間隔ではない場所に立っている。葉は揺れているが、枝はもうこちらを向いていない。相馬が一歩入って、足を止めた。地面の土が、まだ柔らかい。
「私たちの敵はこれよ」
少女が言った。塊のほうを、見てはいなかった。
「もとには、戻せないの」
ユキが訊いた。少女は答えなかった。目を伏せもしない。ただ、次の言葉を出す気がないことだけが分かる形で、立っていた。
「聞いてる」
「聞こえてるだろ」凛が言った。「答える気がないだけだ」
相馬は塊と少女を交互に見ていた。九世帯十四人。写真には洗濯物も買い物袋も写っていた。数が合ってしまっている以上、報告書に書ける行は一つもない。
「あんたら、あそこの住人を知ってるのか」
少女は相馬のほうを見た。それだけだった。
そのとき、二人の男が同時に足を止めた。
二人とも、直前まで別のことをしていた。黒い上下の男は林の縁へ歩きかけていた。背の高い男は袖についた葉を払っていた。その二つが、同じ拍で止まった。
相馬には、何も聞こえない。
風の音がある。遠くで車が一台通っている。子供のいない遊具場から、回転しないジャングルジムの軋みがときどき届く。それだけだ。
凛が耳の後ろを掻いた。
「なんだよ。何かあんの」
誰も答えない。
黒い上下の男が顎を上げた。空を見たのではない。音の来るほうを探して、探しあてられずにいる顔だった。
「……何だ、この音は」
「鐘の音よ」
少女はそれだけ言った。
「鐘なんて鳴ってねえよ」凛が周りを見た。「寺なら向こうの山だけど、こんな時間に鳴らさねえ」
少女は凛を見なかった。背の高い男が、払いかけた葉を指から落とした。落ちる音が、やけに大きかった。
ユキは三人を見ていた。二人の男の止まり方が同じだ。同じものが、二人の同じ場所に届いている。自分には、届いていない。手を上げてみたが、掌には何も残っていなかった。色は、さっき使い切っている。
「ねえ。それって――」
少女が背を向けた。
「行くわよ」
「まだ聞いてない」
「聞いていいことなら答えてるわ」
黒い上下の男が動いた。背の高い男が一度だけ相馬のほうを向いて、頭を下げかけて、やめた。三人は下生えを踏んで木の間へ入っていく。相馬は追わなかった。追う理由も、追っていい根拠も、今度も見つからなかった。
林が、元の音に戻った。
風と、遠い車と、軋むジャングルジム。
ユキは足元の茂みを見下ろした。膝から立ったほうの一つが、まだ少しだけ傾いたままだった。
◇
凛が遊具場へ引き返した。熊が縮んで鉄に戻り、回転ジャングルジムが元の高さで組み上がっていく。錆の位置まで同じだった。蛇はサッカーボールになって砂場の隅に転がった。空気は抜けたままだ。笹だけが、砂に残っている。
三人は遊具場の真ん中で合流した。
「調査だけって言ってたよな」
「言ってた」
「言ってたね」
凛がパチンコ玉を出したが、鳴らさずにポケットへ戻した。
相馬が袖をまくって、腕の土を払った。
肘から先の内側が、うっすらと緑に光っていた。
凛が覗き込んだ。
「……なにそれ」
「知らん」
ユキが手を伸ばしかけて、途中で止めた。
「触るなよ」
「触らねえよ」
相馬は袖を下ろした。
「とにかく、まずは博士のところに戻ろう」




