戦いは終わりましたが、名前を聞いていません
葉の積もった大通りは、静かだった。
夕方の光が低くなって、通りの葉を斜めに照らしていた。積もりは足首まであった。踏まれていないところは、まだ形のいい葉のままだった。
甲羅が順に土へ戻っていった。沈む音が、間を置いて続いた。壁の消えた通りの先に、片膝の少年がいた。枝はほどけて人の形に戻っていたが、袖口や襟から、細い名残が出たままだった。
相馬が、上着の内側に手を入れた。
畳んだ紙が出てきた。折り目が白く擦れていた。角が丸くなっていた。園の下から出た束から、抜いてきた一枚だった。
相馬が、歩き出した。
武器は持っていなかった。紙だけ持って、葉を踏んで、まっすぐ歩いた。
凛の横を通った。凛は指を組んだまま、ほどかなかった。ドウジの横を通った。ドウジが半歩出かけて、止まった。車の陰のリラとユキの横を通った。二人とも動かなかった。通りの端を、カイの影が付かず離れず流れた。
足音のたびに、葉が鳴った。鳴る音だけが、通りを進んでいった。
少年が、顔を上げた。相馬を見た。紙を見た。
相馬は、少年の三歩手前で止まった。
「なあ。名前、聞いてなかったよな」
◇
少年は答えなかった。相馬は紙を開いた。
行が並んでいた。手書きの字だった。住所と名前と、横に小さな欄。相馬の指が上から辿って、途中で止まった。名前の横の欄に、古い判が一つ押してあった。済、とあった。相馬の指は、その行に置かれたままだった。
「……高瀬」
指が、動かなかった。
「高瀬、ゆう」
風が通りを抜けた。葉が少し流れた。
「…………はるか」
少年の、声だった。小さかった。
「はるか、だよ」
相馬が紙を見た。それから、少年を見た。
「……高瀬はるか」
「うん」
声は、さっきより小さかった。
「……言えたの、初めて」
少年の袖口から、枝の名残がひとつ剥がれて落ちた。襟のところのも落ちた。落ちた名残は、葉に紛れて分からなくなった。
相馬が紙を畳んだ。畳む音が、静かな通りに立った。
◇
名を読む声は、車の屋根まで届いていた。
カイは、焼けた葉の積もった車の上にいた。人の形だった。膝に肘を置いて、通りを見ていた。
「……我の名は、とうに無い」
声は低くて、葉の上で消えた。
カイは屋根から降りた。降りて、通りの端を歩き出した。歩きながら、積もった葉を一枚拾った。指の間で回して、捨てた。
◇
紙の畳まれる音がしたとき、リラはまだ片膝だった。
ユキが、その前に立っていた。
リラが顔を上げた。ユキを見た。唇が動きかけて、止まった。動きかけて、また止まった。
「……アヤ?」
ユキの膝が、崩れた。
崩れるユキへ、考えるより先に、手が出ていた。
リラの手はユキの前に差し出されていた。片膝のまま、そこだけが動いていた。
ユキは膝をついたまま、その手を見ていた。息が肩で上下していた。自分の手は、膝の上に置いたままだった。
出さなかった。
リラの手が、下りた。
「……なんでもないわ」
リラが立ち上がった。膝の葉を払った。ユキはまだ膝をついていた。それから、自分で立った。二人の間に、葉が一枚落ちた。
◇
区域の方で、音が変わった。
葉の揺れが、揃わなくなった。
一枚ごとにばらばらに揺れて、ただの風の揺れになった。庭先に立っていた人の形が、膝から崩れて座り込んだ。座り込んだまま、空を見なくなった。
空の高いところで、雲が丸く割れた。
割れて、閉じた。
それきりだった。稲妻も、渦も、縞も、どこにもなかった。夕方の色が、普通の速さで濃くなっていった。
遠くでサイレンが鳴り始めた。一つではなかった。区域の口の方から、白いトラックの列が入ってきた。荷台から人が降りて、座り込んだ人のところへ散っていった。毛布が配られていた。長机が下ろされて、脚が立てられた。誰かが拡声器で何かを言っていた。言葉までは、届かなかった。
少年が、立ち上がった。
トラックの列を見た。長机を見た。それから、空を見た。長く見た。見るのを、やめた。
背を向けて、歩き出した。葉の上に足跡が続いた。誰の方も振り返らなかった。通りの先の角を曲がって、見えなくなった。足跡だけが、残った。
相馬は紙を上着の内側に戻した。戻した手を、上からもう一度、押さえた。
◇
ドウジが首を回した。骨の鳴る音がした。
「終わりか」
「知らね」
凛が組んでいた指をほどいた。地面の下で太いものが遠ざかっていった。ユキが膜を仕舞った。膜は小さくなって、掌に消えた。
「帰るぞ」
「歩き?」
「バスはもう無え」
通りの端に、開いたままのバスの残骸があった。乗降口が三つ、全部開いていた。凛が端末を向けた。
「録んな」
「経費の報告に要るでしょ」
「壊したの俺だぞ」
「だから要るんじゃない」
六人は葉を踏んで歩いた。踏まれた葉の音が、通りの奥まで続いた。街灯が一つずつ点き始めた。点いた光の下で、降り積もった葉は、もう緑には見えなかった。




