客はまだ来ませんが、蓋は開けておきます
秋の初めに、博士のチームが山へ入った。
封鎖区域の柵は一部が開いて、中で人が働くようになっていた。山道には新しい轍があった。
森林公園の十四人は、まだ茂みのままだった。移された先で、水をやる係がついていた。窪地の縁に白いトラックが二台停まって、機材が下ろされていた。
円盤は、窪地の底にあった。
金の色はどこにもなかった。土の色に戻って、縁の欠けも元のままだった。外周の草は倒れて、倒れた向きが渦を巻いていた。
ドウジとカイが案内に立った。博士は縁の上から長く円盤を見ていた。見てから、降りた。
扉は一つだけあった。開いていた。
◇
中の廊下は暗かった。研究者の灯りが壁を滑った。壁に、埃はなかった。
奥に、部屋があった。
部屋には机と椅子があった。机の上に、伏せた湯呑みが並んでいた。床は掃かれていた。窓のない部屋の中だけ、空気が動いていた。
足音がした。
白い人形が、奥の戸口から出てきた。燕尾の服。塗りの剥げた顔。人形は一同の前を横切って、部屋のさらに奥の扉を開けた。誰もいない奥へ向かって、頭を下げた。
「ドウジ様と、カイ様がお見えです」
奥の部屋は暗かった。誰の返事もない暗さだった。人形は扉を開けたまま数を数えるほど立って、それから、扉を閉めた。
椅子が引かれた。二人が座らされた。湯呑みが返されて、茶が注がれた。注ぎ口は震えなかった。湯の量は、二つとも同じ高さだった。
ドウジは湯呑みを両手で包んだ。包んだまま、飲まなかった。しばらくして立って、廊下へ出ていった。
カイは、飲み干した。湯呑みを両手で、人形に返した。
「……変わらん味だ」
人形は湯呑みを受け取って、頭を下げた。それきりだった。
研究者の一人が名乗って、何かを尋ねた。人形は浅く頭を下げた。下げただけだった。湯呑みが一つ、その研究者の前に置かれた。
「お客様がお見えです」
人形は奥の暗い扉へそう告げて、茶を注いだ。
◇
博士が、部屋の入口に立った。
人形が向き直った。頭を下げた。
「博士様が、お見えです」
奥の扉へ告げる声は、事務的で、正確だった。人形は椅子を引いた。博士は座らなかった。立ったまま、湯呑みを受け取った。両手で、持ち替えた。
それから博士は、人形に、頭を下げた。
長かった。人形は次の湯呑みを伏せ直していた。博士の頭は、まだ下がっていた。研究者たちが顔を見合わせた。
博士は頭を上げて、茶を飲んだ。飲み終わるまで、部屋の中で立っていた。
◇
園の朝礼は、続いていた。
広場に列ができて、伝達が読み上げられた。園路の変わった分だけ、掃除の割り当てが増えていた。相馬が袖をまくって箒を持っていた。腕の跡は、朝の光の中で薄かった。
中央通りの、広場に面した側で、射的の屋台の雨戸が開いていた。
棚の奥に白いうさぎが座っていた。その前に、門番が立っていた。固まった口角のまま、布でうさぎを拭いていた。拭いて、置き直して、また拭いた。通りかかる職員は、誰も足を止めなかった。この園では、これが日常である。
リラは、園路の途中に立っていた。箒を持っていた。掃いては、いなかった。
真上で、ゴンドラが一つ揺れた。風は、なかった。
ユキが隣に来て、自分の箒で掃き始めた。
「今日、いい天気ですね」
「そうね」
リラも掃き始めた。掃き方は、下手だった。
「ねえ。……あの、座ってた人みたいになるの」
「ならないわ」
リラの箒は、止まらなかった。
「ここの蓋は、開けておく作りだもの。掃いて、開けて、客を待つ」
「そっか」
ユキはまた掃き始めた。二人の箒の音は、揃わないまま、続いた。
◇
昼、研究室で博士が書類を綴じていた。
凛が茶を取りに入ってきた。博士が手を止めた。
「凛。お前の家系のことだがな。調べがつき始めておる」
凛は急須を持ったまま、立っていた。
「聞くか」
「……あー」
凛は湯呑みに茶を注いだ。注ぎ終わってから、答えた。
「追々でいいや」
「そうか」
「うん。追々で」
凛は茶を持って出ていった。
入れ替わりに、相馬が入ってきた。
「腕はどうだ」
「遅くなりましたよ。バスが精一杯ってとこですかね」
「進行は止まっておる。増幅と引き換えだ」
「安い買い物ですよ」
「空のあれは、どうなんです」
「観測は続けておる。あれきり、影も見せん」
「出てきたら、また呼んでください。道路管理の管轄なんで」
「……済まんとは、言わんぞ」
「聞いてません」
相馬は湯呑みを取って、出ていった。
博士は書類を綴じ直した。綴じた背を棚に戻した。棚には、同じ厚さの綴じが並んでいた。一番新しい一冊だけ、背の字がまだ黒かった。
◇
夕方、窪地に少年が来た。
トラックはもう引き上げたあとだった。縁から降りる道に、彼の足跡だけがついた。扉は、開いていた。
廊下を抜けると、部屋に灯りが一つ点いていた。
人形が出てきた。少年の前で止まった。頭を下げた。奥の暗い扉を開けて、告げた。
「お客様が、お見えです」
椅子が引かれた。少年は立っていた。長く、立っていた。それから、座った。
茶が注がれた。注ぎ口は震えなかった。湯呑みが少年の前に置かれた。湯気が上がった。
少年は湯呑みを両手で持った。持ったまま、動かなかった。湯気が細くなるまで、持っていた。それから、飲んだ。
人形は机の脇に立っていた。次の湯呑みを伏せ直して、また立った。
部屋の灯りは、点いたままだった。
◇
夜、園が動いた。
軸が低く鳴って、敷石が持ち上がり、別の向きに嵌まった。売店の庇が回った。池の面が一度波立って、収まった。新しい道の口が、食堂の脇に開いた。
寮の窓から灯りがいくつか出て、また引っ込んだ。
朝礼の広場に、六人がいた。相馬が新しい道の口を見た。首を回した。
「明日、掃くとこ増えてるからな」
誰も笑わなかった。凛が割り当ての紙に線を一本足した。ドウジが箒を担いだ。カイが屋根の上で羽を畳んだ。ユキが自分の箒を選び直した。
ドウジが、耳を澄ませた。
「……鳴らねえな」
「鳴らないわ」
リラが言った。「蓋の上に、座る者が決まったもの」
リラが、新しい道の口の前に立った。
道の先はまだ暗かった。夜明けの色が、敷石の継ぎ目に薄く入り始めていた。
「行くわよ」
リラが歩き出した。箒は、肩に担いでいた。
五人が、続いた。




