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領収書は出ませんが、果物はタダです

朝、港に入った。

 桟橋は石でできていた。古かったが、崩れてはいなかった。舫い杭は木で、上の方だけ新しかった。漁の船が三艘並んでいた。網が干してあった。

 老人が一人、杭の脇に座っていた。船が着くまで動かなかった。着いてから、立った。舫いを受け取って、杭に二回りさせた。

「泊めるか」

「あ、はい。いくらですか」

「向こうの箱に入れとけ」

 杭の根元に木の箱が釘で打ちつけてあった。蓋に細い口が切ってある。金額は、書いていなかった。

 凛が箱の前でしゃがんだ。口の中を覗いた。暗かった。

「相場が分かんない」

「多めに入れとけよ」

「多めっていくら」

 老人はもう桟橋を戻っていた。坂の上に街があった。屋根が段になって重なって、一番上に塔が立っていた。朝の光が、塔の先に当たっていた。

 坂の途中に市場があった。屋台が両側に並んで、間の道は人が二人すれ違える幅だった。

 魚が並んでいた。見たことのない形が交じっていた。ドウジが平たい魚の前で止まった。

「焼くとうまい」

「焼いてもらえ」

 屋台の奥で炭が熾きていた。魚が網に載った。ドウジは立ったまま待った。焼けた。立ったまま食った。骨が、残らなかった。

「もう一枚」

「まだ食うの」

 相馬が財布から紙幣を出した。屋台の女が受け取って、前掛けに入れた。

「領収書もらえます?」

「りょうしゅうしょ?」

「あー……いいです」

 経費精算の道は、海を越えると途絶える。

 果物の屋台の前で、リラが足を止めた。屋台の男が一番上の一つを取って、拭いて、リラに渡した。リラは受け取った。歩き出した。

「え、お金は」

「いらんいらん」

「なんであんたはタダなのよ」

 リラは果物を齧っていた。王族の徳か、単に顔か。世界のどこへ行っても、王女は王女であるらしい。

 カラスが屋台の庇に降りた。干物の屋台の婆が小魚を一匹投げた。カラスは咥えた。婆がもう一匹投げた。カラスは咥えたまま受け損ねて、落とした。拾って、屋根の上へ逃げた。

「今の録った?」

「録った」

 千年物の吸血鬼の失態は、こうして端末に保存された。

 市場を抜けると道が細くなった。石畳が坂なりに曲がって、家の壁が両側から寄った。

 壁の途中に、窪みがあった。

 人の座る深さだった。中に、人の形が座っていた。石の色をしていた。膝を揃えて、手を膝に置いて、頭を少し下げていた。表面は摩り減って、顔の造作は残っていなかった。足元に湯呑みが一つ置いてあった。水が、入っていた。

 前を歩いていた男が、通りすがりに窪みの縁へ指を触れた。触れて、そのまま行った。子どもが二人、駆け下りてきて、同じところに触れて、駆けていった。

 道は先で右へ折れていた。折れた先に、塔が近くなっていた。

「でっか」

 凛が塔を見上げた。首が反った。一行は坂を上った。

 塔の下は広場だった。石が敷き詰めてあって、正面に聖堂の扉があった。扉は閉まっていた。木が黒くなるまで、古かった。

 扉の脇に小屋があった。窓口が開いていて、灰色の服の男が座っていた。机に、紙の束と判子。

「拝観ですか」

「え、あ、はい」

「本日の拝観は終了しました」

「まだ午前ですけど」

「本日の受付が終了しました。明朝九時にお越しください。こちらの用紙にご記入を」

 紙が窓口から出てきた。名前の欄が、六つあった。

 人数まで、合っていた。

 凛が書いた。相馬が横から覗いた。

「代表者、お前でいいのか」

「俺が一番字がきれい」

 係の男は判子を紙の隅に押した。押してから、六人を順に見た。リラのところで、目が一拍長く止まった。それから紙を綴じた。

「明朝九時。鐘が鳴っている間は、お越しにならないように」

「鐘?」

 窓口が、閉まった。

 説明を最後まで言わない係員は、万国共通である。

 宿は広場の裏の通りにあった。三階建てで、二階から上が傾いて見えた。

「六人。二部屋で」

「一部屋しか空いてない」

「六人ですよ」

「布団は六つある」

 部屋は屋根裏だった。天井が斜めで、奥へ行くほど低くなった。ドウジが一番奥に座った。梁が軋んだ。宿の主人が階段の下から何か言った。ドウジが手前に座り直した。

 窓が一つあった。塔が、正面に見えた。

 ユキが窓辺に布団を敷いた。凛がその隣に敷いた。相馬は入口の脇に敷いた。カイは窓枠に腰を掛けた。布団は使わなかった。

 リラの布団は、真ん中に敷かれた。誰が敷いたのかは分からなかった。一番厚い布団だった。

「なんであんたのが一番厚いのよ」

 リラはもう布団の上に座っていた。

 ユキは窓辺の布団の上に座っていた。ポケットから、小さな木彫りを出した。掌に載る大きさだった。魚の形をしていた。尾の削りが浅くて、途中でやめた形のままだった。

「それ、いつも持ってるよね」

 凛が隣から覗いた。

「アヤが彫ったやつ。……途中までだけど」

 ユキは魚を仕舞った。

「アヤって」凛が言った。「園の子だろ。前に、いなくなった」

「うん」

 ユキはそれだけ返した。

 凛はそれ以上、訊かなかった。

 日が落ちる前に、鐘が鳴り始めた。

 通りの音が変わった。戸が順に閉まっていった。雨戸が嵌まる音が、坂の下から上へ続いた。宿の主人が階下で窓を閉めて回っていた。部屋の窓には、来なかった。

 凛とユキが窓に付いた。相馬が後ろから覗いた。

 通りに、人が出ていた。

 七、八人だった。灰色の布を肩から掛けて、坂を上っていった。歩幅が揃っていた。急がなかった。列の一番後ろに、係の男が付いていた。薄い板に紙を挟んで持っていた。列は広場の方へ折れて、見えなくなった。

 鐘は鳴り続けていた。同じ間隔で、重く、坂の街の上に落ちた。

 カイが窓枠から通りを見下ろしていた。

「薄いな、この街」

「なにが」

「念だ。人の数より、ずっと薄い」

 鐘が止んだ。通りは空だった。戸はどこも閉まったままだった。しばらくして、一軒ずつ灯が戻り始めた。

 夜、相馬と凛が船へ下りた。明日の分の水を取りに行った。

 港に灯はなかった。月で足りた。船は桟橋で静かだった。舫いはそのままだった。

 甲板に上がって、凛が止まった。

 木箱の蓋が、外れていた。

 蓋は甲板に立てかけてあった。箱の中は、空だった。底に布が一枚、畳んで敷いてあった。布の上には、何もなかった。

「……開けた?」

「開けてねえよ」

 相馬が箱の縁に手を掛けた。中を覗いた。布の畳み目は、崩れていなかった。

 二人は水の箱を担いで、桟橋へ降りた。相馬が坂の上を見た。

 街は暗かった。

 塔にだけ、高いところに灯が一つ、点いていた。


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