領収書は出ませんが、果物はタダです
朝、港に入った。
桟橋は石でできていた。古かったが、崩れてはいなかった。舫い杭は木で、上の方だけ新しかった。漁の船が三艘並んでいた。網が干してあった。
老人が一人、杭の脇に座っていた。船が着くまで動かなかった。着いてから、立った。舫いを受け取って、杭に二回りさせた。
「泊めるか」
「あ、はい。いくらですか」
「向こうの箱に入れとけ」
杭の根元に木の箱が釘で打ちつけてあった。蓋に細い口が切ってある。金額は、書いていなかった。
凛が箱の前でしゃがんだ。口の中を覗いた。暗かった。
「相場が分かんない」
「多めに入れとけよ」
「多めっていくら」
老人はもう桟橋を戻っていた。坂の上に街があった。屋根が段になって重なって、一番上に塔が立っていた。朝の光が、塔の先に当たっていた。
◇
坂の途中に市場があった。屋台が両側に並んで、間の道は人が二人すれ違える幅だった。
魚が並んでいた。見たことのない形が交じっていた。ドウジが平たい魚の前で止まった。
「焼くとうまい」
「焼いてもらえ」
屋台の奥で炭が熾きていた。魚が網に載った。ドウジは立ったまま待った。焼けた。立ったまま食った。骨が、残らなかった。
「もう一枚」
「まだ食うの」
相馬が財布から紙幣を出した。屋台の女が受け取って、前掛けに入れた。
「領収書もらえます?」
「りょうしゅうしょ?」
「あー……いいです」
経費精算の道は、海を越えると途絶える。
果物の屋台の前で、リラが足を止めた。屋台の男が一番上の一つを取って、拭いて、リラに渡した。リラは受け取った。歩き出した。
「え、お金は」
「いらんいらん」
「なんであんたはタダなのよ」
リラは果物を齧っていた。王族の徳か、単に顔か。世界のどこへ行っても、王女は王女であるらしい。
カラスが屋台の庇に降りた。干物の屋台の婆が小魚を一匹投げた。カラスは咥えた。婆がもう一匹投げた。カラスは咥えたまま受け損ねて、落とした。拾って、屋根の上へ逃げた。
「今の録った?」
「録った」
千年物の吸血鬼の失態は、こうして端末に保存された。
◇
市場を抜けると道が細くなった。石畳が坂なりに曲がって、家の壁が両側から寄った。
壁の途中に、窪みがあった。
人の座る深さだった。中に、人の形が座っていた。石の色をしていた。膝を揃えて、手を膝に置いて、頭を少し下げていた。表面は摩り減って、顔の造作は残っていなかった。足元に湯呑みが一つ置いてあった。水が、入っていた。
前を歩いていた男が、通りすがりに窪みの縁へ指を触れた。触れて、そのまま行った。子どもが二人、駆け下りてきて、同じところに触れて、駆けていった。
道は先で右へ折れていた。折れた先に、塔が近くなっていた。
「でっか」
凛が塔を見上げた。首が反った。一行は坂を上った。
◇
塔の下は広場だった。石が敷き詰めてあって、正面に聖堂の扉があった。扉は閉まっていた。木が黒くなるまで、古かった。
扉の脇に小屋があった。窓口が開いていて、灰色の服の男が座っていた。机に、紙の束と判子。
「拝観ですか」
「え、あ、はい」
「本日の拝観は終了しました」
「まだ午前ですけど」
「本日の受付が終了しました。明朝九時にお越しください。こちらの用紙にご記入を」
紙が窓口から出てきた。名前の欄が、六つあった。
人数まで、合っていた。
凛が書いた。相馬が横から覗いた。
「代表者、お前でいいのか」
「俺が一番字がきれい」
係の男は判子を紙の隅に押した。押してから、六人を順に見た。リラのところで、目が一拍長く止まった。それから紙を綴じた。
「明朝九時。鐘が鳴っている間は、お越しにならないように」
「鐘?」
窓口が、閉まった。
説明を最後まで言わない係員は、万国共通である。
◇
宿は広場の裏の通りにあった。三階建てで、二階から上が傾いて見えた。
「六人。二部屋で」
「一部屋しか空いてない」
「六人ですよ」
「布団は六つある」
部屋は屋根裏だった。天井が斜めで、奥へ行くほど低くなった。ドウジが一番奥に座った。梁が軋んだ。宿の主人が階段の下から何か言った。ドウジが手前に座り直した。
窓が一つあった。塔が、正面に見えた。
ユキが窓辺に布団を敷いた。凛がその隣に敷いた。相馬は入口の脇に敷いた。カイは窓枠に腰を掛けた。布団は使わなかった。
リラの布団は、真ん中に敷かれた。誰が敷いたのかは分からなかった。一番厚い布団だった。
「なんであんたのが一番厚いのよ」
リラはもう布団の上に座っていた。
ユキは窓辺の布団の上に座っていた。ポケットから、小さな木彫りを出した。掌に載る大きさだった。魚の形をしていた。尾の削りが浅くて、途中でやめた形のままだった。
「それ、いつも持ってるよね」
凛が隣から覗いた。
「アヤが彫ったやつ。……途中までだけど」
ユキは魚を仕舞った。
「アヤって」凛が言った。「園の子だろ。前に、いなくなった」
「うん」
ユキはそれだけ返した。
凛はそれ以上、訊かなかった。
◇
日が落ちる前に、鐘が鳴り始めた。
通りの音が変わった。戸が順に閉まっていった。雨戸が嵌まる音が、坂の下から上へ続いた。宿の主人が階下で窓を閉めて回っていた。部屋の窓には、来なかった。
凛とユキが窓に付いた。相馬が後ろから覗いた。
通りに、人が出ていた。
七、八人だった。灰色の布を肩から掛けて、坂を上っていった。歩幅が揃っていた。急がなかった。列の一番後ろに、係の男が付いていた。薄い板に紙を挟んで持っていた。列は広場の方へ折れて、見えなくなった。
鐘は鳴り続けていた。同じ間隔で、重く、坂の街の上に落ちた。
カイが窓枠から通りを見下ろしていた。
「薄いな、この街」
「なにが」
「念だ。人の数より、ずっと薄い」
鐘が止んだ。通りは空だった。戸はどこも閉まったままだった。しばらくして、一軒ずつ灯が戻り始めた。
◇
夜、相馬と凛が船へ下りた。明日の分の水を取りに行った。
港に灯はなかった。月で足りた。船は桟橋で静かだった。舫いはそのままだった。
甲板に上がって、凛が止まった。
木箱の蓋が、外れていた。
蓋は甲板に立てかけてあった。箱の中は、空だった。底に布が一枚、畳んで敷いてあった。布の上には、何もなかった。
「……開けた?」
「開けてねえよ」
相馬が箱の縁に手を掛けた。中を覗いた。布の畳み目は、崩れていなかった。
二人は水の箱を担いで、桟橋へ降りた。相馬が坂の上を見た。
街は暗かった。
塔にだけ、高いところに灯が一つ、点いていた。




