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17/26

職場は遊園地ですが、城でした

開園前だった。空が高かった。広場に朝の光が差していた。

 朝の空気が冷えていた。

 相馬がもぎり台についた。バーに手をかけた。手が先に、位置を覚えていた。押すと、いつもの重さで回った。金具が同じ音で鳴った。

 屋根の影が台の半分に落ちていた。縁の位置はいつもと同じだった。相馬は影の内側に立った。

 台の下から半券の箱を出した。いつもの場所に置いた。

 台の脇に案内ロボが立っていた。笑顔のまま、止まっていた。

 凛が広場を横切ってきた。ユキが少し後ろにいた。ユキは台の横のベンチに座った。

 博士が正門の方から歩いてきた。リラとドウジとカイも来ていた。

 券売所は閉じていた。中央通りの露店はほとんど閉まっていた。射的の屋台にシートがかかっていた。

 客は、いなかった。

 相馬がバーを一度回した。

「今日も客ゼロだな」

 凛が売店の棚の前で足を止めた。棚に土産物が並んでいた。

「来たら来たで面倒だろ」

「それもそうだ」

 風が通った。屋根の影が少し動いた。

 相馬はバーに手を置いたままだった。

 博士が中央広場で足を止めた。観覧車の下だった。

 博士が乗り場の柱を示した。

「ここに手を当てる」

「それだけでいい」

 相馬が柱を見た。塗装が剥げていた。根元に錆が浮いていた。

 リラが観覧車を見上げていた。

 ゴンドラは止まっていた。支柱が朝の光の中に立っていた。

 博士が柱に手を当てた。そのまま、動かなかった。何も起きなかった。

 博士が手を離した。位置を変えて、もう一度当てた。指の腹を押しつけた。何も起きなかった。

 博士が手を下ろした。

「……手順は合っている」

「機械の再起動みたいに言わないでください」

 相馬が言った。誰も笑わなかった。笑える空気では、なくなりつつあった。

 ドウジが柱の前に立っていた。カイが空を見ていた。

「仏舎利というのは、骨のことではない」

 博士が柱の根元の錆を見ていた。

「器だ。人の念は溜まる。千年溜まると、場所そのものが器になる。溢れれば、土地ごと呑まれる。だから、栓をする」

「栓」

「西の海の向こうには、鐘で栓をした国があるそうだ。この国では」

 博士が広場を見回した。もぎり台。閉じた券売所。止まった観覧車。

「楽しい場所で、栓をした。浅くて、温い念だ。深く恨む者も、本気で祈る者もおらん。その上澄みで、濃いものを薄め続ける。この園は、蓋だ」

「客ゼロの蓋だけどな」

 相馬が言った。

「蓋は、開いてさえいればいい」

 凛が観覧車を見上げた。

「で、鍵は」

 博士は答えなかった。

 リラが前に出た。柱に、手を当てた。

 音が、変わった。

 広場の音が引いた。風の音が遠くなった。鳥の声が消えた。

 影が動いた。日は動いていない。影だけが、向きを変えた。

 空気が重くなった。耳の奥が詰まった。

 相馬が券売所の方を見た。看板が出ていた。文字が並んでいた。

 読めなかった。

 形は文字だった。意味だけが、入ってこなかった。

 中央通りの売店の値札も、同じだった。

 観覧車はそのままだった。ゴンドラの色も支柱の錆も朝の光も、変わらなかった。

 凛が広場を見回した。

「……看板、読めねえな」

 ユキが広場を見た。

「……音が、減った」

 相馬がもぎり台の方を見た。屋根の影が伸びていた。

「……俺たちの職場、城だったのかよ」

 リラが柱から手を離した。

 博士が周りを見ていた。

「始まった」

 園内放送が鳴った。

 声が流れた。意味は、入ってこなかった。

 観覧車が回りはじめた。はじめは遅かった。すぐに速くなった。ゴンドラが下で風を切った。

「離れろ」

 相馬が博士を引いた。ゴンドラが乗り場の柵をこすった。鉄が鳴った。柵が曲がった。

 広場の右手でも音がした。コーヒーカップが台の上で回っていた。回りながら、台から外れた。地面を滑ってきた。

 遊具の反乱である。日頃、客を乗せられない鬱憤でも溜まっていたか――と軽口を叩ける者は、もういなかった。

 ドウジが前に出た。正面で受け止めた。靴が地面を削った。カップが止まった。

「行け」

 相馬たちが走った。博士が続いた。

 中央通りに入った。売店の棚が倒れた。土産物が転がった。射的の屋台が横に倒れた。

 背後でまた音がした。カップを回す腕が伸びていた。中央通りの上を越えてきた。先が地面を叩いた。石が跳ねた。

 かちりと鳴った。

 凛の前に怪獣が出た。四つ足だった。伸びてきた先に噛みついた。腕が止まった。

「長くは持たねえぞ」

 凛が走りながら言った。

 カイが散った。黒い群れが露店の屋根を越えた。先の方で群れが集まった。カイが戻ってきた。

「正門が閉じた」

「戻れない」

 観覧車がまだ速くなっていた。ゴンドラが支柱から外れた。中央通りへ転がってきた。

 ユキが膜を広げた。膜がゴンドラを包んで、畳んだ。掌に戻った。跡は残らなかった。

 地面がまだ鳴っていた。腕が怪獣を引きずっていた。怪獣が消えた。

「相馬」

 凛の声が飛んだ。

 相馬が広場の柵に手を当てた。柵が形を変えた。低い坂になった。坂の先が向こう側へ下りていた。

「こっちだ」

 ドウジが博士を先に行かせた。カイが上から回った。リラが歩いて坂を越えた。この状況でも、リラは走らなかった。

 腕がもう一度伸びてきた。ドウジが受けた。腕が撓んだ。ドウジの足が下がった。

「まだか」

「越えた」

 ドウジが手を離して走った。腕が屋台の残りを潰した。

 全員が坂を越えた。

 右手に木馬の屋根が見えた。メリーゴーラウンドは止まっていた。

 後ろで音が続いていた。観覧車は回り続けていた。

「あそこだ」

 相馬が走った。

 メリーゴーラウンドの下に入った。屋根が外の音を切った。放送が遠くなった。

 木馬が並んでいた。二列だった。止まったままだった。

 塗装が古かった。鬣の金が剥げていた。目の白だけが残っていた。

 ドウジが入口を塞いだ。カイが柱の陰から外を見た。博士が柱に寄りかかった。

 相馬が近くの木馬に手をついた。そのまま、動かなかった。

 木が、温かかった。

「……あったかいぞ、これ」

 凛が隣の木馬に触れた。同じだった。

 木馬の中に、何かがいた。動かなかった。死んでも、いなかった。

 外で音がした。屋根の上を何かが滑っていった。

 カイが木馬の列を見た。

「起きては、いない」

 それだけだった。カイはまた外を見た。

 凛が木馬から離れた。列の間を見ていた。

 ユキが列の間に立っていた。何も言わなかった。

 リラが木馬の間を歩いていた。歩き方が、変わらなかった。木馬の一つの前で足を止めた。それから、また歩いた。

 博士が壁際で息をついた。

「……ここは通り道だ」

「奥へ行く」

 相馬が木馬を見ていた。手はもう離していた。

「乗り物だぞ、これ」

 凛が答えなかった。変形させるのか、という問いは、口にする前に消えていた。中に何かがいるものは、乗り物ではない。

 外の音が近くなっていた。

 ドウジが入口から下がった。

「回ってきた」

 カイが柱の陰を出た。

「南が開いている」

「池の方だ」

 リラが列から出てきた。何も言わなかった。

 相馬が出口の方を見た。木馬は止まったままだった。

「行くか」

 柵の切れ目を抜けた。遊具の裏に、池があった。

 水は動いていなかった。手前の岸から、餌やり用の短い桟橋が水の上に張り出している。渡るための橋は別にあった。古い鉄の橋だ。錆びた手すり、黒ずんだ踏み板。手前にロープが一本張ってあった。向こう岸へ道が続いていて、池を回る道はなかった。

 後ろで音が続いていた。

 ドウジがロープを外して、先に渡った。板が鳴り、橋が揺れた。続いてカイ、相馬、凛が渡りきった。

 ユキだけが、桟橋で足を止めていた。水面に影が動いた。橙と白が寄ってきて、並んだ。ユキはしばらく見ていた。それから、橋を渡った。リラが続いた。

 博士が橋の手前に立った。板に足を乗せた。そこで、止まった。前へ出なかった。

 もう一度足を乗せた。同じだった。博士は足を引いて、手すりから手を離した。

「わしはここまでだ」

「先は、行けん」

 凛が少し嫌な顔をした。誰も見ていなかった。

 相馬が橋の上で向きを変えかけた。博士が向こう岸を指した。

「戻らんでいい。奥は一本道だ。まっすぐ行け」

「……わかった」

 カイが空を見た。屋根の上に、何かが並んでいた。

「来る」

 ドウジが道へ出た。ユキが続いた。リラが歩き出した。相馬たちが道へ入った。

 博士は、橋の手前に立っていた。

 池は静かだった。鯉が、桟橋の下に残っていた。

 遊具の裏から中央通りへ回り込んだ。倒れた棚を跨いだ。踏まれた土産物が割れていた。

 後ろの音は続いていた。屋根の上を滑る音と、地面を叩く音が、間を置いて交互に鳴った。

 中央通りを抜けた。

 広場に出た。

 日が傾いていた。売店の庇の影が長く伸びていた。露店は閉まったままだった。

 広場の向こうに、もぎり台の屋根。

 相馬が、足を緩めた。

 屋根の影が台の向こう側へ伸びていた。台に、人がいた。

 影の中に、リラ。

 バーの手前に立っていた。片手をバーに置いていた。半券の箱が、台の上に出ていた。

 相馬が台の前で止まった。息が上がっていた。しばらく、声が出なかった。

「……そこ、俺の場所なんだけどな」

 リラが相馬を見た。それから広場の方へ目を戻した。バーを一度だけ回した。金具が、同じ音で鳴った。

 凛が広場の入口を見ていた。ドウジが道の方へ体を向けていた。カイが屋根に上がった。

 ユキが少し離れて立っていた。

 ユキが口を開いた。

 名を、呼んだ。

 声は小さかった。

 リラがユキを見た。しばらく何も言わなかった。バーから手を離しもしなかった。

 風が通った。屋根の下で埃が少し動いた。遠くで金属が軋んでいた。

「……ここは、そういう場所よ」

 それだけだった。

 ユキは何も言わなかった。凛はまだ入口を見ていた。相馬は台を見ていた。

 屋根の上でカイが動いた。

「来た」

 広場の向こうで音が鳴った。観覧車がまた回りはじめていた。ゴンドラが下で風を切った。地面が細かく震えた。

 ドウジが前に出た。

 リラが台から離れた。歩き方は、変わらなかった。

 相馬がバーに手をかけた。押した。いつもの重さで回った。相馬は台の内側を通って、そのまま向こう側へ抜けた。

「行くぞ」

 凛が続いた。ユキが続いた。

 半券の箱が、台の上に残った。

 音が、引いた。

 観覧車が速度を落とした。ゴンドラが一度揺れて、そのまま止まった。伸びていた腕が地面へ下りた。放送が切れた。

 広場が静かになった。夕方の光が地面を低く走っていた。

 ドウジが足を止めた。カイが屋根から下りた。凛が息を整えていた。

 事務所の先の暗がりに、影。

 足音がした。一つだけだった。速さが、変わらなかった。

 出てきたものは、人の形をしていた。背が高かった。歩くたびに関節が鳴った。剥げた塗装。

 広場の真ん中で、止まった。

 誰も動かなかった。

 リラは目を伏せなかった。ドウジが前へ出ようとして、そこで止まった。

 門番が相馬たちを見た。それから、もぎり台の方へ首を向けた。首が、ゆっくり戻った。

 門番が、口を開いた。

「……よく来た」

 風が通った。

 誰も、答えなかった。


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