話は三つだけですが、四つ目が出ます
研究室の窓が開いていた。夜の風が入ってくる。まだ、草の匂いがした。
相馬の靴に土がついていた。床にも同じ土が落ちていた。誰も片付けなかった。机の上に紙が広がったままで、端が汚れていた。
机の端の新聞に、機体の写真が出ていた。奇跡の不時着、とあった。誰も読み返さなかった。ムササビ忍者の目撃談がどう処理されたのかは、怖くて誰も調べていない。
博士が棚を開けた。湯呑みを出して机に並べた。六つで、棚が空になった。
「足りん」
「俺は立って飲む」
凛が短く笑った。
ドウジが机の湯呑みを片手で取り上げた。
湯呑みが手から手へ渡った。ユキが両手で受けた。凛が机の端に腰をかけた。カイが窓際に寄った。相馬は壁に背をつけていた。
「飲めよ」
「熱いのは後だ」
外で虫が鳴いていた。湯気が上がった。博士が茶を一口飲んだ。
リラが机の前に出た。全員を、見回した。
「話すわ。三つだけ」
「短いな」
「長くしても同じだもの」
「一つ。あれは病気じゃない。作り変えてる」
「二つ。作り変えた先は決まってる。人をやめて、向こうに寄る」
「三つ。誰でもいいわけじゃない。選んでる」
ユキが湯呑みを下ろした。凛が目だけ上げた。相馬が壁から背を離した。
リラが続けた。
◇
リラが窓の方へ半歩動いた。
「向こうの数は減ってない。こっちが減った分だけ――」
「――実は、我々も知っていた」
リラが口を閉じた。博士が湯呑みを机に置いた。机の上の湯呑みが、二つ空になっていた。
机の紙が風で持ち上がった。ユキが端を押さえた。
「何をだ」
「うちは仏舎利の守り手だ。代々そうしてきた」
相馬が壁から一歩出た。
「彼女を盤に乗せたのは、我々だ」
ユキが紙から手を離した。
「早くから知っていた。黙っていた」
凛が机の端から下りた。床が鳴った。
「いつからだ」
「君たちが来るより、前からだ」
博士が茶を飲んだ。湯気が薄くなっていた。
「そうかよ」
相馬が床の土を踏んだ。
リラは湯呑みを両手で持っていた。
「盤に乗った覚えはあるわ」
「当たり前みたいに言うな」
「当たり前だもの」
リラが茶を飲んだ。
相馬の顎が動いた。ユキが湯呑みを握り直した。凛が博士から目を離さなかった。
カイが窓を少し閉めた。紙が動かなくなった。
ドウジが湯呑みを机に戻した。
「てめえらの飼い主、うちの姫と同類じゃねえか」
「姫っつうかよ」凛が言った。「王女なら、王がいるんだろ。誰なんだよ」
リラは答えなかった。目を伏せもしなかった。
外で虫が鳴いていた。相馬が凛を見た。凛が相馬を見た。相馬が息を吐いた。
博士が空の湯呑みを持ち上げた。そのまま置いた。椅子を後ろへ引いた。
博士が、三人の方を向いた。
◇
博士が椅子から立った。椅子が床で鳴った。
「君たちには、才能の芽があった。押せば咲く芽だ」
窓の外で虫が途切れた。また鳴いた。
相馬の目に、給水の列が戻った。タンクを二つ提げた少年の顔が浮かんだ。相馬は口を開いた。閉じた。
「芽は勝手には咲かん。押す者がいる」
ユキがポケットに手を入れた。何も出さずに抜いた。
「道路の依頼も、動物園の夜も、給水の列も。順番はわしが組んだ」
凛が机から一歩離れた。
「……偶然じゃなかったってことかよ」
「偶然に見える形で押した。それだけだ」
博士が湯呑みを盆に重ねた。そこで、手が止まった。
「押した先は、行った先だ。戻る道はない」
相馬が博士を見た。
◇
博士が机を回って、相馬の正面に立った。
「あと一つ。君の体のことだ」
相馬が博士を見た。
「覚醒は、進行の上に咲いている」
窓の外で虫が鳴いていた。
「早まるぞ」
部屋が静まった。虫の声だけが残った。
相馬が机から離れた。
「知ってるさ」
相馬が戸口の方へ体を向けた。
「その間にやっつけりゃいい」
椅子がいくつも鳴った。全員が立った。机の周りが動きだした。
凛が続いた。ユキが続いた。残りの椅子も動いた。足音が重なった。
博士が戸口を空けた。
相馬が先に立って廊下へ出た。凛とユキが続いた。残りも続いた。廊下に足音が散っていった。
研究室に、博士が残った。灯りがついたままだった。
◇
屋上に夜風が渡っていた。
眼下に街が沈んでいた。街の灯りは、ほとんど消えていた。
真下の窓に、研究室の灯りが一つだけ点いていた。
博士が縁の近くに立っていた。
「ずいぶん、えげつない事させるのね」
声は、博士の隣からした。
「荒療治ですよ。解ってて言ってますよね」
夜風がまた渡った。
返事はなかった。
博士の隣が、真下の灯りを見下ろしていた。
◇
夜だった。ユキは布団の中で目を開けていた。
天井が暗かった。外で虫が鳴いていた。
窓の外は暗いままだった。
寝返りを打った。それでも、眠れなかった。
ユキが胸の内で、誰かに手を伸ばした。
何も、返ってこなかった。
「……まぁいっか」
◇
夜が明けていた。研究室に朝の光が入っていた。光が床まで届いていた。
窓の外が白んでいた。空に雲がなかった。外で鳥が鳴きはじめていた。
三人が博士のところへ来ていた。相馬が先だった。凛とユキが続いた。
博士は窓の外を見ていた。
遠くで、鐘が鳴っていた。前より、大きかった。
「仏舎利は、もう抑えきれん」
鐘がまた鳴った。鳥の声に重なった。
相馬が博士の横に立った。
「栓が駄目なら、元栓だろ」
「元栓なら――」
博士が窓の外を示した。
「――すぐそこだ」
窓の外に、園があった。
開園前だった。園に人の姿はなかった。
朝の光が差していた。いつもの、景色だった。
◇
閉園後だった。園は暗かった。空は暗く沈んでいた。
三人が歩いていた。足音が並んでいた。
裏手の管理区画を抜けた。照明は消えていた。コンテナが黒く並び、台車が壁際に寄せてあった。シャッターが下りていた。足元だけが薄く見えた。
毎日通っている道だった。暗くても、迷わない道だった。
ユキが二人の少し後ろを歩いていた。
夜気が冷えていた。三人の息が白かった。
事務所の脇を通った。窓は暗かった。ベンチが夜露で濡れていた。自販機は暗かった。
相馬が前を見たまま、口を開いた。
「なあ。前に訊きかけたやつ」
「途中でやめたやつだ」
「いつだったか、忘れたけどな」
凛も前を見ていた。
「ああ」
静かな池の横を通った。
遊具の影が地面に落ちていた。
しばらく、足音だけが続いた。
凛が、少しだけ話した。
「最初に出したの、犬みたいなやつでな」
「小さかった。すぐ消えた」
「うちの家系、たまに変なのが生まれるんだと」
「それだけだ」
玉が一度、かちりと鳴った。指で、鳴らした。
三人は前を見たまま歩き続けた。誰も顔を合わせなかった。
足音がまた並んだ。
道が広くなった。
中央広場に出た。
観覧車の下を通った。




