給水は順調ですが、列が逆に進みます
封鎖区域の外縁に、給水所が出ていた。白いテントが二張り。タンク車が一台。道の先には柵が延びていた。柵の向こうの通りに、人影は無かった。列は柵に背を向けて、道路の端に沿って伸びていた。
三人はタンク車からテントへ、ポリタンクを運んでいた。凛は台車に四つ積んで柄を握った。
「台車は積み方だ。重心を後ろの軸に載せる。押す力が半分で済む」
相馬が両手に一つずつ提げて、凛の横を通り過ぎた。
「おい」
「積み方より脚力だろ」
「途中で腕が落ちるぞそれ」
「落ちる前に着く」
ユキが空のタンクを胸に抱えて、二人の間を歩いた。
「どっちも水こぼしてるじゃない」
テントの手前の段差で、台車が止まった。相馬が戻って台車の前を持ち上げた。凛は柄を握ったままだった。
「積み方だな」
「うるせえ」
列の人々は静かだった。列は進みが遅かった。それでも、離れる者はいなかった。順番が来ると容器を出して水を受け、受け取ると黙って離れた。声を張る者はいなかった。
テントの脇の掲示板に、張り紙が並んでいた。連絡先と名前が書いてある。「まだ元に戻れます」という文字も見えた。相馬は一瞥して、通り過ぎた。
列の途中に少年がいた。日に焼けた首に、空のタンクを二つ提げていた。順番が来ると、相馬の前に一つ目を置いた。
「これ、二本目もいい」
「いいよ。持てるか」
「持てる」
相馬が注ぎ口を支えた。
配り終える頃には、午後の陽が傾きかけていた。給水班の年配の女性がタンク車の脇で帳面を付けていた。相馬が片手を上げた。
「また来るわ」
三人は道路を戻った。
◇
給水所を離れてから、三人は柵の内へ入った。博士の名前で、通行の札が出ていた。
通りは無人だった。商店のシャッターは開いたままで、店先の籠に商品が残っている。舗道の割れ目から緑が伸びていた。一週間の丈では、なかった。
角の先で、金物の倒れる音がした。
それは、乾物屋の奥から出てきた。殻が通りの幅に近かった。歩くたびに、殻の継ぎ目が軋んだ。
「塞ぐぞ」
凛がポケットから玉を出して転がした。玉の先で怪獣が膨らんで、道を塞ぐ。殻が向きを変えた。変えた先で相馬の腕が光った。打った。音は殻の表で割れ、手応えも表で止まった。
「浅い」
「見えてる。次は右の前脚だ」
凛の読みどおりに殻は右へ出た。相馬が前脚を打った。殻は傾いた。傾いた、だけだった。
ユキが軒下から通りの奥を見ていた。
「他には動いてない」
通りの反対側に、影が二つあった。前に立つのはドウジだった。盾を提げている。後ろにもう一つ、影があった。
殻がそちらへ向いた。ドウジが盾を構えて、短く言った。
「カイ」
カイが屋根の上へ移った。移ってからは動かない。殻だけを見下ろしていた。突進はドウジの盾が受けて流した。
「あっちも同じ依頼かよ」
「知らねえ。手が足りてねえのは確かだな」
殻はまだ、通りの真ん中に立っていた。塞げば曲がった。打てば傾いた。倒れなかった。
◇
――カイは屋根の上に居場所を取った。陽は柵の側へ傾いている。そこから、殻を見ていた。
殻は倒れずにいた。塞ぐ者と打つ者が、交互に前へ出ている。読みで塞いでいる方――球体の男が、真下へ来た。
風は無かった。念だけが流れて、寄った。避けるほどのことでもない。舐める気も無かった。
触れただけで、舌が動いた。
覚えのある舌触りだった。妙に舌に残る。一度しか舐めたことのない質だ。一度きりの味を、舌は忘れない。舐め直す気は起きなかった。一度で、足りている。
――この気配……あの、棺の。
あれと、同じ念だ。
口を開くか。開くなら理由が要る。カイは探した。無かった。探すのを、やめた。
下では読みの声が続いていた。怪獣が道を塞ぎ直した。カイは殻に目を戻した。殻が向きを変え、継ぎ目が軋んだ。
◇
押し合いが続いていた。塞げば曲がり、打てば傾く殻は、傾くたびに立ち直った。殻が乾物屋の壁を崩した。粉の中で、殻は次の向きを探していた。
屋根から、声が降った。
「まだ、自我が残っている」
カイだった。殻を見下ろしたままだった。
「殻の話じゃねえな」
「中の話だ」
凛は殻から目を離さなかった。
「……信じるわけじゃねえ。使えるってだけだ。囲う」
ドウジが盾を下げた。何も言わずに、通りの端で見ていた。
怪獣が殻の周りを回って輪になった。輪は狭まる。殻は輪の内で暴れた。二度押した。輪は押されて、戻った。三度目は押さなかった。殻は輪の低い側を探した。探す先を、凛が読んだ。読んだ側で怪獣が厚くなる。暴れる幅が、減っていった。
「継ぎ目は、左の肩の下」
カイが屋根から示した。相馬が輪をくぐって内へ入った。腕が光る。継ぎ目に指を掛けた。
殻が、開いた。
開いたまま、固まった。奥に、人がいた。痩せて、震えていた。目は開いていなかった。相馬が両腕で抑えた。震えは、腕の中で小さくなっていった。
ユキが柵の外へ走った。殻は人を失って、路上で動かなくなった。
陽が屋根の高さまで落ちていた。博士のチームが担架を持って入ってきた。相馬が人を担架へ移し、毛布が掛けられた。引き渡しは、それで済んだ。
担架はまだ路上にあった。カイが屋根から降りてきて、担架のそばで目を細めた。
怪獣は凛の手の内へ戻っていた。凛が、見ていた。
「あんた、それ……食ってんのか」
「選んで、薄く。上澄みだけだ」
凛は返さなかった。ポケットで、玉が鳴った。
◇
引き渡しの後で、三人は区域の奥へ回った。見回りの残りだった。ドウジが通りの口で、盾を提げて立っていた。
緑は奥へ行くほど濃くなった。舗道が草で見えなくなり、街灯の根元に蔓が巻いていた。
その通りに、列があった。
人が、歩いていた。十人ほどが一列で、緑の濃い区画の方へ進んでいた。足取りは揃っていた。誰も喋らなかった。前の人の背を見て、歩いているだけだった。着ている物は普段着だった。買い物袋を提げたままの人もいた。年寄りがいた。若いのもいた。並びの決まりは、見えなかった。
ユキが一歩出た。
「あの……」
声はそこで途切れた。ユキは口を閉じた。
凛が怪獣を道へ出した。怪獣は列の前で長く伸びた。道は、塞がった。
先頭の人は、足を緩めなかった。片足を上げて、怪獣を跨いだ。次の人も跨いだ。買い物袋が、怪獣の背を掠めた。列は途切れずに進んだ。最後の一人が跨ぎ終えると、怪獣は道の上に残った。凛が怪獣を戻した。
区画の口に車止めが倒れていた。列は、車止めも同じ足で跨いだ。列は緑の濃い区画へ入っていった。草の丈が腰を越える辺りで、背中は見えなくなった。
カイが屋根の縁にいた。
「あの列は、もう漏れておらぬ」
誰も、問い返さなかった。
三人は来た道を戻り始めた。角を一つ曲がった。シャッターの商店の前を過ぎた。もう一つ曲がった。相馬が袋を提げ直した。凛が小石を蹴った。小石は側溝に落ちた。
「……蕎麦食って帰るか」
「お前が言うのかよ」
「一日置きの日だ」
「昨日も食べてたじゃない」
「だから今日の分だ」
◇
区域の口へ戻ると、柵の前にリラが立っていた。ドウジが半歩後ろに控え、カイは塀の上にいた。担架の車はもう出た後だった。殻の欠片は袋に詰めて、柵の内に積んであった。陽は柵の影を、道の半ばまで伸ばしていた。
「報告は聞いたわ。抑えて渡せたのが一件。歩いた列が十人」
リラは三人を順に見た。
「今は凪に酔いしれる事は許されない」
「凪ぃ? 船乗りかよ」
凛が言った。
リラは取り合わなかった。
「明日も同じ刻限にこの口で。給水の手伝いが先。見回りはその後。単独では、奥へ入らない事よ」
いつの間にか指揮系統ができている。誰も任命していないのだが、誰も異は唱えなかった。ドウジが柵の錠を確かめた。カイは塀の上から動かなかった。話は、それで終わった。
◇
帰りの道は用水路に沿っていた。鯉はいなかった。草だけが縁に伸びていた。見回りの札が電柱に括られている。柵は道の左に続いていた。
ドウジが先を歩いた。荷物を全部提げていた。相馬と凛は、空のポリタンクをどちらが給水所へ返しに行くかで言い合っていた。タンクは十二本あった。台車には八本しか載らない。残りの四本の運び方で、話は長くなっていた。ユキは列の後ろを歩いていた。
リラの足が、止まった。
「……なぜ、」
言いかけて、やめた。
「なんでもないわ」
リラは歩き出した。歩き出すのが、一拍遅れた。
ユキが、見ていた。
言い合いは相馬が勝った。返しに行くのは凛になった。凛は台車の理屈をまた始めた。道は用水路から離れて、商店街の方へ折れた。
◇
区域の口からの道を戻ると、先にテントの白が見えた。給水所の前を通って帰る道だった。夕方の風が出ていた。テントの布が鳴っている。テントには灯りが入っていた。列は昼より伸びていた。列の尻は道の角を折れて、先が見えなかった。並ぶ人の影が長く道に伸び、順番は静かに進んでいた。タンクを提げて帰る人と、何度もすれ違った。道の街灯が、一つずつ点いていった。
掲示板の張り紙は、一枚増えていた。
三人は列の脇を通り過ぎた。
「帰ったら風呂沸かしとけよ」
「順番はじゃんけんだろ」
「昨日負けた分があんだよ」
「持ち越しは無しでしょ」
「決めてねえ。保留だ」
「保留って何よ」
「次のじゃんけんに足すんだよ」




