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第四話 宝玉館の守り神

宝玉館五代目当主良彦の一日は、神棚にお神酒をあげることから始まる。

かたく絞った布で神棚をきれいに拭き、お神酒を取り替え、榊の水を入れ替える。

二礼した後、柏手を二回打ち、一礼する。

ここからが、宝玉館流である。良彦は小さな声で歌う。


“かごめ かごめ かごのなかの とりは いついつであう よあけのばんに

つるとかめがすべった うしろのしょうめん だ~れ”


歌い終わると、良彦は一人ゆっくりとうなづきながら、

先代の父から、この宝玉館の言い伝えを聞いたあの日のことを思い出していた。


今から25年前、良彦が20歳の祝いをした時の事。


当時大学生で親元を離れていた良彦は、20歳の誕生日には必ず実家に帰ってくるよう、先代からしつこく言われていた。

そして誕生日の朝、この神棚の前で宝玉館の言い伝えを聞かされたのである。

良彦の父、四代目当主の和彦は穏やかだが、芯の通った無口な男だった。


「良彦、そこに座りなさい。」

和彦は神妙な顔でそう言い、良彦と向かい合うように座った。

「この宝玉館は初代弥彦から始まり、代々長男が家を継いできた。良彦、お前は長男だが五代目当主になる覚悟はあるか?」

良彦は、こくりと頷いた。何しろ、物心ついたころからずっと、お前は家の跡取り、次期当主、宝玉館の五代目、と言われ続けてきたのだから。他の未来を考えたこともなかった。

それに、何よりこの宝玉館が好きである。


「そうか。であれば、代々当主に受け継がれてきた言い伝えを、お前にも話すことにしよう。

いいか、これは当主だけに聞かされる、当主相伝だ。」

そう言うと、先代は厳かに話始めた。


今から約150年前、初代弥彦は薬種の行商人だった。

トウキ、センブリ、ドクダミなどの薬草を採っては、薬種を作り、薬種というのは、今でいう薬だな。それを近隣の村に売り歩いていたんだ。

ある日のこと、遠くの村まで薬種を売りに行った帰り、山道を歩いていたところ、突然山の中からイノシシが飛び出してきたそうな。飛び出してきたイノシシは一目散に弥彦めがけて向かってきた。

慌てた弥彦は、木に登ってやりすごそうと、くるっと方向転換したところ足元の大きな石につまづき、地面にたたきつけられた。薬種が入った大きなつづらを背負っているので、倒れて身動きがとれない。

そのままイノシシに突進され、足や背中を踏みつけられたが、イノシシはそのままどこかへ行ってしまった。

やれやれと起き上がってみると、右の足首に激痛が走った。転んだ時にひどく足をひねってしまったらしい。

つづらもイノシシがぶつかったせいで、穴が開いてしまった。が、こちらは何とかなりそうだ。困ったのは足の痛みだった。痛めた足首は少し地面に着いただけでも激痛が走る。

日があるうちには、何とか村にたどり着かなければならない。日が暮れればこの辺りは盗賊が出る。

弥彦は、痛い右足を引きずりながら山道を急いだ。

山道を降りきって、辺りがひらけたところに出た。腰掛けるのにちょうど良い切り株がある。

弥彦はそこに座って、一休みすることにした。

腰を下ろし、何とか日のあるうちに村にたどり着けるかと思案しながら辺りを眺めていた時、ふと、湯けむりを見つけた。

こんなところに湯けむり?と不思議に思い、草をかき分けて近づいてみると

大きな水たまりから湯気が出ている。よく見ると、水はきれいな乳白色だ。もしや、これは温泉か。

弥彦はさらに近づき、そっと乳白色のお湯に手を入れてみた。やや熱めだが人が入れないこともない温度。

弥彦は思いついて、痛めた足を入れてみることにした。

草鞋を脱ぎ、痛めた足を湯にそっと入れてみると、最初は痛めたところがジンジンしたが、そのうちには足がポカポカし始めて、何だか痛みが引いたような気がした。

しばらくたって、湯から足を出してみると、驚いたことに痛みがだいぶ良くなっている。草履をはいて、おっかなびっくり足をついてみると、多少の痛みはあるがだいぶましになっていた。これなら村まで歩いて帰れる。

弥彦はお湯の効能に驚くと同時に、いたく感謝した。お湯に向かって手を合わせると、村を目指して歩きだした。


無事村に戻った弥彦は、その後もあの温泉のことが頭から離れなかった。弥彦は薬種の行商をしているので、多くの人がケガや病気に苦労しているのを知っている。あの温泉を他の多くの人にも使わせてあげられたら。

何日も考えたあげく、弥彦はもう一度あのお湯を見に行くことにした。

記憶をたどって草をかき分けていくと、やはりそこには湯気が立ち登り、乳白色のお湯がこんこんと湧き出ているのだった。

しばらくその様子を見ていた弥彦は、決意をした。ここに温泉宿を造り、多くの人のケガや病を治す手助けをしようと。


しかし、それは困難の入口でもあった。

弥彦には温泉宿を造るようなお金はなかった。自分で温泉場を造り、宿を構えるしかないのである。

まず始めに、弥彦はお湯が沸いている辺りの草を刈った。毎日、毎日草を刈り草が刈り終わると、今度は泥を掻きだした。泥は重く、弥彦一人の力では

仕事もなかなかはかどらない。途方に暮れながら昼の握り飯を食べていると、後ろの方から子供の声が聞こえてきた。

振り返ると、そこに子供が2人いる。

おかっぱ頭の子供が二人、笑い声をあげながら遊んでいるのだった。

こんなところに子供が、親が近くにいるんだろう。そう思ったが、親の姿は

見当たらない。すると子供がこちらに近づいてきた。

弥彦の前に来ると、二人して弥彦の持つ握り飯をじっと見ている。

「お腹がすいているのか。」弥彦が聞くと

二人の子供は同時にこっくりうなづいた。

心優しい弥彦は、もう一つの握り飯を二つに分けて、それぞれの子供に分けてやった。子どもたちは握り飯をもらうと嬉しそうに微笑み、こっくりとお辞儀をした。

二人はたったまま、あっという間に握り飯を食べると、また遊びはじめ、いつの間にかいなくなっていた。

弥彦は二人の子供が無事親元に戻ったのか気になったが、知るすべもなくその日の作業は終わった。

次の日も、弥彦が泥を掻きだしていると、二人の子供が現れた。

また弥彦の握り飯を物欲しそうに見ているので、弥彦は分けてやった。

そんな日が5日も続き、弥彦はふと気が付いた。最近、泥掻きの進みが早い。

そのうえ、体の疲れ方が以前と違うのだ。泥掻きをすると、体のあちこちが痛くなるのだが、昼を過ぎると、体力が回復して、痛みも治まる。そうだ、あの二人の子供が来るようになってからだ。

不思議なこともあるものだと、弥彦は思った。


泥掻きが一通り終わり、湯の出る穴を広げ、今度は石積の作業が始まった。

これも骨の折れる作業であるが、弥彦が作業しているところを見かけた村人が一人、また一人と手伝いに来るようになった。皆のケガや病を良くしたいという弥彦の思いに共感した人達だ。

人数が増えれば、作業も進む。石積みが進み、中に白濁色の湯がこんこんと沸き、石積みの野湯が出来上がった。

弥彦は、手伝ってくれた村人、ケガや病の人にこの温泉に入ってもらった。皆温泉の治癒力にあやかり、温泉を大変ありがたがった。

その間も二人の子供は毎日顔を出しては、弥彦に握り飯をもらった。


ある日、弥彦が見ている目の前で、子供が野湯に着物のまま飛び込んだ。

慌てた弥彦は子供を助け出そうと、湯の中に飛び込んだが、そこには子供の姿はなく、あったのは二つの玉だった。湯の底に沈んだ二つの玉。ひとつはピンク、もう一つは水色のきれいな玉だ。

弥彦はその二つの玉を胸に押抱いた。あの二人はこの辺りに住む神様だったのか。

私が悪戦苦闘しているのを見かねて、私の体を癒したり、仲間を呼んでくれたりしたんだな。

神様の助けがなかったら、この温泉はでき上がらなかった。

なんとありがといことだろう。弥彦は手を合わせ、二つの玉を懐に入れた。


野湯は出来上がったのだが、まだ野ざらしの状態だ。雨が降ればお湯が薄まり、日中は入浴している者に容赦なく日があたり、やはり、温泉宿の体が必要である。そして、これが一番の難問でもあった。

宿、家を作るとなると今度こそ弥彦の力では、どうすることもできない。


そんなある日のこと、弥彦は夢をみた。

あの二人の子供が赤い糸の端を持って、弥彦の方に走ってくる。そして赤い糸の端を弥彦の小指に巻きつけた。辺りが明るくなり、そこで目が覚めた。

何とも不思議な夢だったな、と思い出しながら弥彦が野湯の周りの草刈りをしていると、向こうから旅の一行が通りかかった。

かっぷくの良いおじいさんと若い娘、それにお付きの者が3人ほどいる。

よく見ると、その娘は足を痛めているようで、足を引きずり苦しそうな顔である。

弥彦は急いでその一行に駆け寄った。

「お見かけしますに、娘さんが足を痛めているようですが。」

弥彦が声をかけると、おじいさんは困った様子で返した。

「おっしゃる通り、娘が旅の途中で足を痛めてしまって。かわいそうですが次の村まで急がないと日が暮れてしまいますから、休み休み歩いているところです。」

それを聞いた弥彦は、

「それならば、ぜひ、こちらの温泉に足を付けてみて下さい。私もこの温泉で足の痛みが良くなったことがあるんです。」

そう言って、旅の一行を野湯に案内した。


おじいさんと娘はたいそう喜んで、早速乳白色の温泉に足を入れた。

「他のお方も、疲れがとれますから、どうぞ足をお入れ下さい。」

弥彦が湯を進めると、おじいさんや連れの者も皆がお湯に足をつけた。

やや熱めの湯に足をつけると、娘の足は始めジンジンしていたが、その後はポカポカし、そのうちには痛みが引いていくのが分かった。

他の者も、足が軽くなったと口々に話している。

しばらくして娘がお湯から足を出すと、痛みはあるものの歩けるようになっていた。

おじいさんと娘はたいそう喜んだ。

「弥彦さん、この度は本当にありがとうございました。どんなに助かったことか。何かお礼をさせて下さい。」

おじいさんは、是非にもと言ってきかない。

「このお湯は、皆のケガや病気が良くなればと思って用意したものです。お礼なんて。」

と、言って弥彦は首を振った。

おじいさんは、ふと思いついたように

「弥彦さん、これは野湯ですが、宿を造るご予定は。」

「実は、宿を造って、もっと皆のためにこの湯を使いたいのですが、私には宿を造るだけの用意がないのでございます。」

弥彦がしょざい無げにそう言うと、おじいさんは手を打って

「それならば、ここに宿を造るためのお金を弥彦さんにお貸ししましょう。」

と、力強く言った。

「大変ありがたいお話ですが、貸していただいても、お返しできるかどうかわかりません。」

弥彦が正直に答えると、

「いや、ますます気に入った。弥彦さんのその実直さに痛み入りました。お貸しするお金は、宿を構えたうえで返せる範囲で結構です。ぜひそうして、皆にこのお湯を分け与えて下さい。そしてその手伝いを私にもさせて下さい。」

おじいさんはそう言って、娘と顔を合わせて笑った。

弥彦は、この申し出をありがたく受け入れ、晴れて“宝玉館”が出来上がった。

そしてこの時に出会った娘が、弥彦の妻になるお里だ。

後から分かったことだが、お里の夢枕にも、二人の子供が出てきて、赤い糸を小指に巻いていったそうだ。


「以上が、ここ“宝玉館”の成り立ちだ。きつねにつままれたような不思議な話だが、初代弥彦から語り継がれている嘘偽りない話だ。」

和彦は咳ばらいをし、さらに続けた。

「この話が本当である証拠に、我が家の神棚には当時弥彦が野湯から見つけたピンクと水色の玉が奉ってある。」

そう言うと、和彦は神棚に立てつけられている小さな扉を開いた。

そこには白い正絹で包まれた何かが置かれていた。和彦はうやうやしくその布を取り出し、良彦の前に置いた。

「良彦、布を開いてみろ。」

そう言われ、良彦は恐る恐る目の前の白い布を開いてみた。するとそこには、きれいなピンクの玉と水色の玉が入っていた。玉はピンポン玉くらいの大きさで、ピンクの玉は乳白を混ぜたような桃色に所々赤い筋のようなものが見られ、同じく乳白を混ぜたような水色にも青い筋が見られた。

「これが、弥彦おじいさんが見つけた玉か。」

思わず声が出た。話を聞くだけではおとぎ話の様だが、実物を目の前にすると現実味が出てくる。

玉は大きさといい色といい、何ともかわいらしく、しばらく眺めていられるような雰囲気を醸し出している。

「当主は代々この玉を譲り受け、大切に受け継いできた。まあ、まだしばらくは私の代だが、いずれは良彦、お前がこれを守る番になるんだぞ。」

そう言いながら、和彦はうやうやしく二つの玉を正絹に包、神棚の中に仕舞った。


あれから月日がたち、宝玉館は和彦から良彦へと代替わりした。そのしばらく後、和彦は天寿をまっとうし静かにこの世を去った。

そして現在、良彦は五代目当主としての役目を果たしているのである。


そんなある日のこと、調理場でボヤ騒ぎがあった。

朝食の後片付けが終わり、皆が調理場から席を外していたところ、たまたま忘れ物を取りにいった従業員が、鍋が黒焦げになって今にも燃え出しそうになっているところを見つけた。あわてて消化剤をかけて事なきを得た。不思議なことに、調理場の火はきちんと消したはずで、二重のチェックもした後のボヤ騒ぎであった。

その日の午後のこと、宿の駐車場でお客様同士の車の接触事故があり、警察が出動する事態となった。

幸いお客様にケガはなかったが、せっかくの楽しい旅の思い出が憂鬱なものになってしまい、宿側としてもどうすることもできず、やるせない思いだけが残った。

一日の内にこんなことが立て続けに起こるのは、宝玉館始まって以来である。良彦は、明日は神棚への神事を念入りにやろう、そう思いながら眠りについた。

そんな中、明け方に夢を見た。

夢の中で子供の泣き声がする。泣き声がするが姿は見えない。暗闇の中、どこから泣き声が聞こえるのか、耳を澄ませ開きにくい目を見開き、辺りを凝視していると、梅の木が見えた。梅の木が何本もあるその奥の方から泣き声がする。そこで目が覚めた。



良彦は目が覚めると一目散に神棚に向かった。

そっと神棚の扉を開け、正絹の布を取り出す。

布をめくってみると、そこには水色の玉しかない。ピンクの玉が消えてしまっていた。

「あの泣き声はピンクの玉、うちの守り神様の声だったんだ。」

そうつぶやくと、走って部屋に戻り上着を羽織った。急いでピンクの玉を探し出さなければ。

今朝がたの夢からすると、おそらくは梅林のあたりに落ちてしまったんだろう。

顔も洗わずに外に出ていく当主を怪訝に思い、女将や女中が声をかけたが、返事をしている暇はない。

もしも、玉が何かの拍子に割れてしまったらという悪い予感を打ち消しながら良彦は梅林に走った。


温川温泉は県道から細い道を入った所に位置し、その細い道の左右に6件の宿が軒を連ねている。

細い道は突き当りで90度右に曲がり、そのまま50mも進むと行き止まりになる。行き止まりには車2台分の駐車スペースがあって、その左側に30段ほどの木の階段がある。ここを登れば梅林にたどり着く。

良彦はゼエゼエと息を上げながら梅林へと走った。階段を上り梅林の奥へと進む。

梅林の奥は崖になっているが、今朝の夢で子供の泣き声はそちらの方から聞こえた。

足元に注意しながら崖の近くに歩み寄る。膝をついて四つん這いになり下を除くと、一瞬キラッと、何かが光ったような気がした。目を凝らし、光った辺りをよく見てみると、あった。

崖の途中に生えた細い木の枝に、ピンクの玉が引っかかっているではないか。

「見つけた。」

思わず声が出た。しかし、とてもじゃないが手は届かない。崖の上から玉まで2mはある。

どうとったらいいものか。もしうかつに手を出して、万が一玉が下に落ちてしまったら。玉が割れてしまったらと考えたら、気が気でない。

何も思いつかなかったが、とりあえず今度は下から見てみようと、今来た道を再び走った。

崖の下に行くには、一度旅館に戻り、車に乗って梅林の反対側にまわりこまないと行けない。

良彦は旅館に戻ると、車に飛び乗り、一目散に崖下に向かった。

道端に車を停め、崖の下に歩み寄る。下からもピンクの玉が木の枝に引っかかっているのが見えた。

見えたのは良いが、良彦のところから玉までは5~6mはある。玉をどう取ったらいいものか。

重機か何かを借りてくるにしても、ここを離れている間に玉が落ちたら…。

玉を見上げ、やきもきしながら考えていると、フッと風が吹いた。玉が引っかかっている枝が揺れ、

次の瞬間、玉がスルっと落ちてきた。落ちるではなく、正確には良彦に向かって飛んできたように見えた。

慌てた良彦が胸の前で両手を構えていると、ピンクの玉はすっぽりとそこに納まったのである。

玉を両手に受け止め、良彦はへなへなとその場に座り込んだ。

無事に玉を受け止めた安堵感以外、今は何も感じられなかった。

玉を両手で包み、しばらくその場で動けなかった。何しろ今日は目が覚めた瞬間からずっと不安に駆られ走っていた気がする。玉が無事で本当に良かった。そう思いながら大きく息を吐いた。

それにしても、どうして神棚の玉がこんなところの木に引っかかっていたんだろう。

二十歳の誕生日に聞いた言い伝えでは、この玉は宝玉館の守り神であり、おかっぱ頭の子供だとも言っていた。もしかしたら、玉が子供の姿になってこの辺りに遊びに来たはいいが、帰れなくなっていたのかもしれないな。そんなことを考えながら、良彦は玉を大事にポケットに入れ、宝玉館へと戻った。


宿の前では、女将が心配そうな顔をして良彦を待っていた。

「あなた、いったいこんな時間からどこへ行っていたんですか。」

良彦はしどろもどろに、

「いや、昨日、ちょっと忘れ物をしてしまって‥。」

宝玉館の守り神のことは当主直伝なので、女将にも本当のことを言う訳にはいかない。

女将は夫がはっきり答えないことにイライラした様子で、

「まあ、あなた、しかもパジャマのままじゃないですか。この朝の忙しい時に。これからお客様の朝食の時間ですよ。早く着替えて、身なりを整えて下さいな。」

そう言うと、慌ただしく調理場へと消えていった。


良彦は玉を持ったまま洗面所へと向かった。

木に引っかかっていた玉は、土ぼこりが付きうっすら汚れている。

硬く絞った布で汚れをきれいに拭きとると、玉はじんわりと光ったように見えた。同時に宿の空気が柔らかくなったようにも感じた。

そして神棚の正絹の中にそっと玉を戻した。


お客様のチェックアウトが一通り終わりお見送りが済むと、女将と当主の朝食の時間となる。

良彦は朝ごはんを食べながらも、まだ今朝のことを考えていた。

やはりあの玉はこの宿の守り神で、当主直伝の言い伝えは本当のことだったんだな。そんな思いにふけっていると、

「あなた、今朝は宝玉に何かあったんですよね。」

向かいの女将が鋭いことを言ってきた。宝玉とはもちろん守り神の玉のことである。

ん、女将は玉のことを知っているのか?何と答えようか困っている様子を見越して、

「知っていますからね。」

女将が念押しするように言った。

「えっ、何を知っているんだ?」

良彦の問いには答えず、女将は続ける。

「私だけじゃありませんよ。宝玉館の人間は皆、知っていますから。」

そう言うと、朝食を終え、そそくさと食器を抱えて出て行った。


後に残された良彦は思う。

当主直伝じゃなかったのか。

まあ、何にしても玉を守れて良かった。五代目の役目を果たしているってことだよな。


こうして守り神が住み着く宝玉館は、本日も安泰なのである。

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