九話 教えて月読先生!
宇佐に到着した伊邪那岐は、主祭殿の二階で月読と対面した。
しきたりが変わってから久しく、三階にいる日巫女とは直接会えないことを那岐も承知していた。それでも、久しぶりに娘の顔を見たいという思いはあったのだろう。那岐はふと天井を見上げ、三階へと続く階段にも目を向けた。
いつか、また会える時もあるだろう。急ぐことはない。
そう自分に言い聞かせるように、那岐は最愛の娘との対面を自重した。
その那岐のやや斜め後ろには狭野が控え、さらに那岐の後ろには竹と浦が並んでいた。そして狭野の後方には、日臣、大久米、椎根津彦の三人が控えている。
「父上、随分と大勢でこられましたな」
月読がそう言うと、那岐は少し困ったように笑った。
「教え子が増えてね。連れて行かないと色々と……ね」
月読は那岐の後ろに控える一同へ視線を向け、その中に竹と浦の姿を見つけた。
「竹、浦。どうだ。ちゃんと護衛は出来ておるか?」
「はい、ひいおじい様。護衛として日々仕えております」
「大丈夫です。ちゃんとやってますわ」
二人の元気な返事を聞き、月読は柔らかく笑った。何よりも、曾孫たちが無事に過ごしていることが嬉しかったのである。
「そなたらも朝貢にいくのか?」
「護衛の任務として当然です」
「任せて! ちゃんと護衛やりとげますわ」
竹は胸を張り、浦も嬉しそうに答えた。
月読には、二人が護衛の任務を口実にして大陸へ行きたいだけなのが透けて見えていた。それでも周囲の子供たちを見る限り、大陸へ行きたいという気持ちは二人だけではないらしい。月読は那岐の表情を見て、だいたいの事情を察した。
今回、月読が那岐へ頼みたかったのは、使節長である難升米の後見として朝貢使節に同行してもらうことだった。那岐には一行の実質的なまとめ役となってもらい、魏の都・洛陽へ向かい、皇帝曹叡への謁見と朝貢を無事に終えてもらいたいのである。
しかし、話を聞いている子供たちの顔を見ると、どうやら今回の朝貢が持つ政治的な意味までは理解できていないらしい。
そこで那岐は月読へ顔を向けた。
「月読、良かったら今回の朝貢の意味や、政治的な意味、それに今の情勢について、子供たちに少し教える時間を作ってくれないかな。私は政治や情勢に疎いからね。やってくれると助かるのだけど」
それから那岐は子供たちへ振り返った。
「ほら、みんなからも月読先生にお願いしなさい」
子供たちは顔を見合わせると、一斉に頭を下げた。
「月読先生、よろしくお願いします!」
見事に声が揃った。
月読はしばらく黙って子供たちを見つめた。竹と浦を那岐に引き取ってもらっている手前、これでは断ることもできない。
「……分かりました。せっかくの機会です。私でよければ教えましょう」
こうして月読は、子供たちのためにひと時だけ先生役を引き受けることになった。
場所を変え、一行は月読の館へ向かった。広間に子供たちを座らせると、月読はその前に腰を下ろし、授業を始めた。
「まず、私から話す前に、君たちは何を知りたいですか?」
月読が問いかけると、真っ先に手を挙げたのは椎根津彦だった。
「朝貢を行うことの意味を知りたくあります」
「私は、そもそも朝貢って何なのか知りたいです」
続いて浦が口を開いた。大陸まで付いていくと言い出した本人でありながら、朝貢そのものについてはよく分かっていなかったらしい。
狭野も少し考えてから尋ねる。
「朝貢とは関係ないかもしれないけど、どうして山門から宇佐に宮を移したのですか?」
「俺は魏の国がどのくらい強いのか知りたいです」
日臣がそう続けると、最後に竹が静かに口を開いた。
「私は、大倭壱国がこれから何を目指しているのか、その方針に興味があります」
月読はすぐには答えず、ほかに質問がないか確かめるように子供たちを見回した。誰からも新しい質問が出ないことを確認してから、ゆっくりと口を開く。
「よろしい。実をいうと、今出た質問はすべて、一つの大きな目標へ繋がっておる」
椎根津彦が身を乗り出した。
「目標とは?」
月読は子供たち一人一人へ視線を向けてから答えた。
「倭国のすべてを守るためだ」
あまりにも大きな答えだった。狭野たちは顔を見合わせる。朝貢の話をしていたはずなのに、それがどうして倭国すべてを守ることへ繋がるのか。
子供たちには、まだ月読の言葉の意味が理解できなかった。
月読は子供たちを見回しながら、ゆっくりと話し始めた。
「まず、大陸には数多くの国がある。その中には、倭国の国々をすべて合わせても及ばぬほどの大国がいくつも存在しておる」
「倭国すべてでもですか……」
竹が驚いたように尋ねると、月読は静かに頷いた。
「うむ。魏も大陸にある国の一つに過ぎぬが、それでも周辺の国々の中では最も大きな力を持ち、その影響も非常に強い」
「影響って、交易品とかですか?」
浦の問いに、月読は再び頷く。
「そうだな。交易品だけではない。文化や鉄器をはじめ、倭国は昔から大陸の影響を強く受けておる」
そこで月読は一度言葉を切ると、子供たちの顔を順番に見渡した。
「さて、倭国には百を超える小国があり、いまだ一つにはまとまっておらぬ。竹、そこの日臣を軽くでいいから殴りなさい」
「はい、喜んで」
竹は迷うことなく日臣の頭を殴った。
「いってーな! 軽くって言われただろうに!」
日臣が頭を押さえて抗議したが、竹はまるで何事もなかったかのように無視し、そのまま静かに座り直した。
「日臣、何故殴られたのだ?」
月読に問われ、日臣は叩かれた頭を押さえながら首を傾げた。
「はい? それは月読様が命じたからです」
「そう。支配者が命じれば、本来は殴る気のない者であっても殴るのです。では、大陸に侵略を好む国家が現れ、その支配者が倭国を攻めよと命じたら、どうなると思いますか?」
子供たちは黙り込み、月読の話に耳を傾けた。
「日臣、あなたは私と殴り合いの喧嘩をして勝てますか?」
突然自分に話を戻され、日臣は月読の姿を見ながら少し考えた。
「勝てません。悔しいですが、今の俺では八歳だし……」
「そう。日臣、あなたは今の倭国そのものです」
「小国だからですか?」
狭野が尋ねると、月読は頷いた。
「今の大倭壱国連合など、大陸の国家が本気になって攻めてくれば、簡単に滅ぼされるでしょう。だからこそ、大倭壱国は倭国統一を目指しているのです。我らが考えているのは今だけではない。百年先、いや、千年先の倭国まで見越して行動しているのだ」
「それが、山門から宇佐に引っ越したことと関係するのですか?」
「そうです。大倭壱国は、もともと山門の地から興った国です。山門は豊かで人口も多く、大陸にも近いため交易品も集まりやすい。現在の大倭壱国連合を支える中心地としてなら、何も問題はありません」
そこで月読は一度言葉を止め、座っている子供たちの顔を順に見回した。
「だが、倭国全体から見れば山門は西に偏りすぎている。倭国全体を治める都とするなら、もっと東へ進まなければならないのです」
「それで宇佐に都を置いたのですね」
「宇佐も仮の都に過ぎません」
「といいますと?」
椎根津彦が身を乗り出した。
「宇佐は瀬戸内へ進出する入口としては良い場所です。しかし、あくまで東へ勢力を伸ばすための都に過ぎない。大倭壱国が倭国全体を治めようとするなら、さらに東へ進み、新たな都を築く必要があります」
「遠いと逆らう奴がいるからですか?」
日臣の率直な質問に、月読は迷うことなく頷いた。
「うむ、その通りです。どれほど強い国であっても、支配する土地が遠くなれば命令は届きにくくなり、その地の様子も分からなくなる。そうなれば統治は行き届かず、中央の言うことを聞かない者も出てくるでしょう。倭国全体を統べるのであれば、その中心に近い場所へ都を置く必要があるのです」
「途方もない話ですわ」
浦が思わず呟くと、月読は再び日臣へ視線を向けた。
「日臣、先ほど竹に殴られた時、なぜ私に仕返しをしなかったのですか」
「悔しいですが、勝てないからです」
「では、大人になって力を持ったらどうしますか?」
「殴り返します」
日臣が迷いなく答えると、月読は静かに頷いた。
「それでよい。それが朝貢の目的にも繋がります」
竹は眉を寄せた。
「意味がわかりません。その……朝貢と喧嘩が、どう繋がるのでしょう」
「もちろん、喧嘩をするために朝貢するのではありません。強い相手の影響力を利用するのです。我ら自身が十分な力を持つ、その時までね。それが朝貢を行う目的の一つです」
月読は子供たちを見回しながら、さらに言葉を続けた。
「女王日巫女様は、この大きな目標を掲げた時、父上である那岐様から家督を受け継ぎました。そして山門で初めて王として即位され、山門壱国を大倭壱国と改め、新たな国を興したのです」
月読は子供達の様子を確かめてから、再び話を続けた。
「そして朝貢についてだが、交易に似てはいるものの、ただの交易ではない。国と国との間で行う大きな取り引きのようなものだ。ただし、そこには明確な上下関係がある。あくまで上に立つのは魏であり、我ら大倭壱国はその下となる」
「交易なら、色々な品物が手に入りそうですね」
浦が興味を示すと、月読は小さく頷いた。
「もちろん、それもある。だが我らが本当に欲しいものは品物ではない。称号と、魏という大国の後ろ盾だ」
「称号とは一体?」
椎根津彦の問いに、月読は端的に答えた。
「倭王の称号だ」
「倭の国の王……」
狭野が、その言葉を確かめるように呟いた。
「そうだ。大倭壱国は朝貢によって倭王の称号を得て、魏の後ろ盾を利用しながら倭国の統一を目指す。そして、いつの日か大陸の国々とも肩を並べられるほどの力を持つ国を作る。それが女王日巫女様の目指しておられるものだ」
子供達には、まだ話が大きすぎた。倭国の統一も、大陸と肩を並べる国というものも、今の彼らには遠い世界の話にしか思えない。
それでも、この日に月読から聞いた言葉は、後の彼らの人生に少なからず影響を残すことになる。
しばらく皆が黙って考え込む中、それまでほとんど口を開かなかった大久米が、ぽつりと尋ねた。
「……飯は美味いのですか?」
一瞬の沈黙の後、広間に笑い声が広がった。




