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泣き虫皇子は仲間を集めて初代天皇になる!―神代の終焉と神武東征―  作者: 月見
一章 神武

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六話 春の田植え

挿絵(By みてみん)


 西暦二百三十八年。那岐が狭野(さの)や子供たちと暮らし始めてから、二年の月日が流れていた。竹と浦は十歳、椎根津彦(しいねつひこ)は九歳、狭野、日臣(ひのおみ)、大久米(おおくめ)は八歳になっている。


 この時代、稲作を営む人々にとって、豊穣を願う祈りはとても大切なものだった。稲の実りは天候に大きく左右される。どれほど不可思議な妖術を操る那岐であっても、雨を自在に降らせたり、日照りを止めたりすることまではできない。自然や天候とは、それほど人の手が届かないものだった。


 だからこそ、人々は田植えを始める前に神へ祈り、今年も無事に稲が実ることを願ったのである。


 しかし、日向の地はまだ辺境といってよく、立派な社も少なければ、祭祀を執り行う巫女が常駐している土地でもなかった。


「今年は田植え前の豊穣祈願をしてくれる巫女が、この地には来ないんだって……」


 朝食を取りながら、那岐は見るからにしょんぼりしていた。


「那岐様、豊穣祈願ってそんなに大切なのですか?」


 狭野が尋ねると、竹がすぐさま呆れたように口を挟んだ。


「あんた、この前の座学で習ったでしょ。ちゃんと聞いていたの?」


「天候ばかりは人にはどうにもできません。だからこそ、田植えの前には皆で豊穣を願うのです」


 椎根津彦が補足すると、日臣は食事を続けながら言った。


「けど、巫女が来ないんじゃ仕方ないだろ」


 そんな話をしている間も、大久米だけは会話を聞き流し、黙々と食べることに専念していた。かつて飢えて行き倒れた経験のある大久米にとって、食事は神聖なものに近いらしく、何よりも食べることを優先している。


「まあ、巫女がいない時は村長やその地の長が代わりに儀式を行うのだけどね。やっぱり巫女による儀式のほうが、ありがたみがあるよ」


「巫女が綺麗だからとか?」


 浦が面白そうに尋ねると、那岐は苦笑した。


「ちゃんと神様にお祈りしてないと、不作だったら困るじゃない。だから儀式に手抜きはしたくないなぁ」


「どこかに巫女いないかなぁ」


「来てくれないのはしょうがないじゃない」


 狭野が残念そうに呟くと、竹が現実的に返した。


「この時期はどこも豊穣祈願で忙しいですからね。手が回らないのでしょう」


 椎根津彦の言葉に、浦がぱっと顔を上げた。


「じゃあ、私達が巫女になって儀式やろうよ」


「何言っているのよ。儀式の作法も知らないじゃない」


「お前らが儀式やったら、神様に怒られるだけだしな」


 日臣が茶化した瞬間、竹の拳がその頭へ落ちた。


「いってぇーなぁ! 本当のことだろうがよぉ!」


 頭を押さえて抗議する日臣を横目に、那岐はふと何かを思い出したように声を上げた。


「あー、そっか。私が儀式すればいいじゃないかぁ」


 一同は思わず手を止めた。食べることに専念していた大久米でさえ、箸を止めて那岐を見る。


「え? 那岐様が巫女に?」


 椎根津彦が目を丸くすると、那岐は思い出したように笑った。


「いやぁ、すっかり忘れていたよ。近年はずっと山門にいたからね。あそこには巫女が常駐していたし、私が儀式をすることもなくなっていたんだ。でも昔は山門にも巫女がいなくてね。その頃は私が巫女舞を覚えて、代わりに奉納していたものだよ」


「すごい……」


 竹が感心したように呟く。その隣では、浦が那岐の姿を想像したのか楽しそうに笑った。


「那岐様の巫女姿……似合いそうですわ」


「それなら豊穣祈願の儀式もできそうだね」


 狭野も嬉しそうに声を上げた。




 食事を終えると、那岐は狭野たちに武芸の稽古をしているよう言いつけ、そのまま姿を消した。


 戻ってきたのは夕方になってからだった。那岐の手には三着の巫女服と、儀式に使う木鈴などが抱えられている。


 子供たちには知らせていなかったが、那岐は妖術を使って奴国まで一気に赴き、必要な品を探して手に入れてきたのである。


 ただし、用意できた巫女服はいずれも成人女性用だった。そのままでは那岐にも竹と浦にも大きく、儀式までに手直しをする必要があった。




 夕食の席では、皆の視線が持ち帰られた巫女服や木鈴へ何度も向いていた。普段目にすることのない珍しい品だからである。


「竹、浦。明日から急いで手伝ってほしいことがあるんだ」


 那岐に声を掛けられ、竹が箸を止めた。


「なんでしょうか?」


「巫女服の大きさが合わないから、手直しをしないといけないんだ。二人にも手伝ってもらうからね」


「えええええ……やっと針の傷が治ったばかりなのに……」


 浦は露骨に嫌そうな顔をした。少し前、那岐から罰として散々裁縫をやらされ、慣れない針仕事で指を何度も刺してしまったのである。


「だって、竹も浦も巫女服を着るんだし、仕方ないじゃないか」


「え?」


 今度は竹が驚いて那岐を見た。


「私達も着るのですか? でも、作法を知りません」


「着ていいの?」


 対照的に浦は一気に表情を明るくする。


「大丈夫だよ。二人は私の傍で控えているだけでいいから。儀式は私がやるよ」


「やったー! こんな綺麗な服、一度は着てみたかったのよね!」


 先ほどまで裁縫を嫌がっていたことなど忘れたように、浦は嬉しそうに巫女服を眺めた。


「遊びじゃないのよ、浦」


 竹がすぐに窘める。


 そう言う竹自身も、巫女服へちらりと目を向けていた。表情には出さないようにしていたが、どこか嬉しそうでもある。


「わかってるってー」


 浦は笑いながら答えた。




 数日後、豊穣祈願の儀式が行われた。


 中央の祭壇には巫女装束をまとった那岐が立ち、その左右には竹と浦が静かに控えていた。二人が傍らに並ぶことで、祭壇の儀式はいっそう格式のあるものに見えた。


 しゃらーん。


 那岐が手にした木鈴が澄んだ音を響かせる。それを合図にするように、ゆっくりと巫女舞が始まった。


 袖を翻し、一歩、土を踏む。再び木鈴を鳴らしながら体を巡らせ、静かに腕を伸ばしていく。その一つ一つの動きは美しく、それでいて丁寧だった。木鈴を鳴らす間合いも、足の運びも、指先まで意識された手の動きも淀みがない。


挿絵(By みてみん)


 しゃらーん。


 木鈴が一度鳴るたび、それまで騒がしかった人々の声が少しずつ消えていった。


 普段の那岐を知っている子供たちにも、昨日今日で身につけた舞ではないことくらいは分かった。長い年月の中で何度も繰り返してきたのだろう。迷いのない足取りと滑らかな身のこなしは、いつも一緒に暮らしている那岐とはまるで別人のようだった。


 左右に控えていた竹と浦も、思わず那岐の舞へ見入ってしまう。


『なんて美しい……』


 二人の胸に、同じ思いが浮かんでいた。


 しゃらーん。


 澄んだ音が再び祭壇の周囲へ広がる。


 村人たちは静かに頭を垂れ、豊穣を願いながら儀式をありがたく見守っていた。


 ただ、その中でも若い女たちだけは少し様子が違った。那岐が舞を始めて間もなく、あちらこちらから小さな囁き声が聞こえ始めたのである。


「ねえ……那岐様って、綺麗すぎじゃない?」


「いつも見ている時もお綺麗だとは思ってたけど……これはもう……」


「男の方なんでしょう?」


「そう聞いているけれど……あれはずるいわ」


 年頃の娘が頬を赤らめながら祭壇を見つめる。その隣にいた女性も呆れたように笑っていたが、結局は同じように那岐から目を離すことができなかった。


「お嫁さんに欲しいくらいね」


「逆でしょう。那岐様は男なんだから」


「でも、あんなに綺麗ならどっちでもいいじゃない」


 そんな囁きが交わされていることなど気づいているのかいないのか、那岐は何事もないように舞を続けていた。


 しゃらーん。


 再び木鈴の音が響くと、女たちの囁きも自然と止まる。


 人々の視線が集まる祭壇の中央で、那岐はただ豊穣を願い、美しい巫女舞を奉納し続けていた。


 狭野も日臣も大久米も椎根津彦も、那岐と竹、浦の三人が見せる美しい儀式にすっかり見入っていた。


「那岐様って、こんなにも美しい方だったのですね」


 椎根津彦が感嘆すると、日臣も祭壇から目を離せないまま呟いた。


「あれで男だなんてなぁ……何か間違ってないか?」


 その隣では、大久米も何も言わず、ただ三人の姿をじっと見つめている。


「みんな綺麗だね~」


 狭野も素直に声を漏らしたが、その視線は「みんな」と言いながらも、いつの間にか竹と浦の二人へばかり向けられていた。普段から一緒にいる二人なのに、巫女装束をまとった姿はいつもとはまるで違って見え、本当に綺麗だと思ったのだ。


 そんな狭野の視線に気づいた浦は、嬉しそうに微笑みを返した。


 一方の竹も狭野に見つめられていることに気づいたが、なぜか少し落ち着かなくなり、頬をわずかに赤らめながら、つい俯いてしまうのだった。




 儀式を終えて数日後、いよいよ田植えが始まった。


 田に入った狭野たちは、朝から腰をかがめ、泥に足を取られながら苗を一本ずつ植えていく。慣れない姿勢での作業が長く続き、しばらくすると狭野は早くも弱音を吐いた。


「もう腰が痛いよぉ~」


「もうちょっと頑張ろうね」


 隣で苗を植えていた那岐が、優しく励ます。


「若様、みんなの食べる物です。がんばりましょう」


 日臣も額の汗を拭いながら声を掛けた。その横では、大久米が何も言わず黙々と苗を植え続けている。飢えて倒れた経験があるだけに、食べ物を作る仕事には誰よりも真剣だった。


「とはいえ、本当に腰が痛いですよ……大変です」


 椎根津彦まで腰を押さえて顔をしかめる。


「情けないわね、弱音を吐かない」


 竹はそう叱りながら、自分も休むことなく苗を植えていた。


 そんな中、浦だけが少しずつ皆から距離を取り始めていた。腰を伸ばし、何食わぬ顔で田の端へ向かおうとする。


「こら、浦! てめー逃げんじゃねー!」


 すぐに日臣に見つかった。


「あはは、ちゃんとやるよー」


 浦は笑って誤魔化しながら、仕方なく皆のところへ戻ってくる。


 泥だらけになりながら働く子供たちを見回し、那岐は楽しそうに笑った。


「みんなで田植えの歌でも歌ってがんばろうね」


 それから田には、子供たちの歌声と笑い声が響くようになった。


 腰の痛みに悲鳴を上げ、時には泥の中で足を滑らせ、浦が隙を見て逃げようとしては日臣に連れ戻される。それでも皆で苗を植え続けた。


挿絵(By みてみん)


 そうして数日にわたった田植えは、無事に終わったのである。

※本作は『【新説古事記】邪馬台国叙事詩―神代建国譚―』の神武編を、神武天皇を主人公として再構成・再執筆した独立作品です。本作単独でお読みいただけます。

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