四話 二つの大和
女王日巫女が亡くなると、それまで彼女の存在によってまとまっていた大倭壱国連合は急速に不安定となった。各地の男王たちが主導権を巡って争い始め、やがて連合全体が内乱状態へと陥っていく。
一方、すでに大倭国の国王として即位していた磐余彦は、その争いに加わろうとはしなかった。
磐余彦にとって優先すべきは、東征によって新たに傘下へ入った周辺豪族の統治を安定させること、そして戦によって傷ついた東国の国々との関係を修復することである。大倭壱国連合の内部抗争へ首を突っ込む余裕もなければ、その意思もなかった。
そのため大倭国は、大倭壱国連合とは一定の距離を保ち、事実上の独立国家として歩み始めていた。
長く続いた大倭壱国連合の内乱は、やがて一人の少女を新たな女王として迎えることで、ひとまずの決着を見ることになる。
選ばれたのは、伊予国にいた月読の子孫であり、巫女として育てられていた伊予姫であった。彼女は宇佐の宮へと招かれ、十三歳という若さで大倭壱国連合の女王として即位したのである。
大倭国としても、新たな女王の即位を無視するわけにはいかない。そこで磐余彦は祝いの使者として椎根津彦を宇佐へ派遣し、同時に大倭壱国連合の内情を探らせることにした。
宇佐へ入った椎根津彦は、祝いの役目を果たしながら慎重に情報を集めていった。
そこで分かったのは、伊予が日巫女とはまったく異なる女王であるということだった。
彼女には妖術の力もなく、不老長寿の性質もない。聡明な少女ではあったものの、幼い頃から巫女として育てられてきたため政治には疎く、国を治めるための知識や経験もほとんど持っていなかった。
そもそも伊予自身が王位を望んだわけではない。
長引く内乱を終わらせるため、月読の血を引く巫女という出自を利用され、有力豪族たちによって女王へと担ぎ上げられた可能性が高かった。
ただし、伊予本人が抱いている願いだけは明確であった。
争いのない、平和な世の中にしたい。
幼い女王は戦そのものを嫌っており、それを自らの治世の方針として掲げていた。そのため、少なくとも伊予自身の意思によって大倭国へ戦を仕掛けてくる可能性は低いと、椎根津彦は判断した。
だが、それだけで安心することもできなかった。
実際に政務を動かしているのは伊予ではなく、その周囲を固める有力豪族や重臣たちだったからである。彼らは女王の掲げる「争いのない世」を表向きの旗印として利用しながら、離反した国々に対して大倭壱国連合への帰順を求めて回っていた。
その一方で、連合そのものの力は大きく衰えていた。
出雲や吉備をはじめとする有力国の多くがすでに連合から離脱しており、参加する国の数は日巫女の時代と比べて半分以下にまで減少していた。日巫女という絶対的な求心力を失い、その直後に内乱まで起きたことが決定打となったのである。
かつて掲げていた倭国統一どころではなかった。
さらに筑紫南部では奴狗国との紛争も絶えることがなく、その対応にも兵と物資を割かなければならない。内では豪族同士の利害を調整し、外では敵対国との争いを抱える。日巫女が健在だった頃の大倭壱国とは、もはやまったく別の国へと変わっていた。
椎根津彦は祝いの使者としての役目を終えた後も、すぐには宇佐を離れなかった。
表面だけを見て帰国しては、大倭国の今後を判断する材料として不十分である。そう考えた彼は滞在期間を延ばし、各国の使者や商人、宇佐に出入りする者たちからさらに情報を集め、大倭壱国連合の実情を慎重に分析していった。
そして十分な情報が揃ったところで、ようやく大倭国への帰路についた。
帰国後にまとめられた椎根津彦の最終報告は、明快なものであった。
大倭壱国連合は、すでに勢力を半分以下にまで低下させており、大規模な戦を長期間続けられるだけの力を失っている。加えて、女王伊予自身が掲げる理念は争いのない世であり、積極的な対外戦争を望んでいる様子もない。
もちろん、大倭国が連合へ帰順しないことを問題視する者はいるだろう。
しかし、問題視したところで、それを武力によって改めさせるだけの余力は現在の大倭壱国連合には存在しない。
ゆえに当面は、女王伊予と大倭壱国連合に対して最低限の礼節を保ちつつ、交易だけの関係に留めても大きな問題にはならない。
それが、宇佐で大倭壱国連合の内情を見届けた椎根津彦の結論であった。
橿原の宮。
宇佐へ赴いていた椎根津彦が、大倭壱国連合の内情を探る役目を終え、磐余彦王のもとへ戻ってきた。
その日の朝議には、宇摩志麻遅を筆頭に、道臣、高倉下、大久米、弟宇迦斯ら重臣のほか、周辺の豪族たちも顔を揃えていた。また、ちょうど挨拶のため橿原の宮を訪れていた吉備冠者も席に加わっている。
王座に座る磐余彦の左右後方には、護衛として竹と浦が静かに控えていた。
磐余彦は手元の報告書から顔を上げ、帰還したばかりの椎根津彦へ目を向ける。
「報告書は読ませてもらった。まずは、ご苦労だったな、椎根津彦」
「お言葉、ありがとうございます」
椎根津彦が深く頭を下げると、磐余彦は報告書を脇へ置いた。
「それで、これから余はどのような方針を取ればよいと思う? 報告書には、大倭壱国連合とは交易のみの付き合いでよいと記されていたが、本当にそれで問題にはならぬのか?」
「問題にはなるでしょう」
椎根津彦は迷うことなく答えた。
「我らが帰順しない以上、向こうがそれを快く思うはずはありません。ただし、問題にしたところで、今の大倭壱国連合には我らに対して何かを実行するだけの力がございません」
その言葉に、弟宇迦斯が腕を組んだ。
「なるほど。命令を出すことはできても、それを実行する手足が揃っていないということか」
「内乱の影響は、我らが考えていた以上に大きかったようですな」
宇摩志麻遅も静かに頷く。
磐余彦はしばらく考え込んだあと、集まった者たちを見渡した。
「ならば決まりだ。わが国はこれまでどおり、大倭壱国連合とは距離を置く。このまま独自の道を進むことにしよう」
「その件ですが、やはりまずは、天照大御神という贈名をお贈りした日巫女様の存在を最大限に利用すべきでしょう」
高倉下の言葉に、磐余彦は意図を察して小さく頷いた。
「余が神の子孫である、ということにするのだな」
「はい。最高神たる天照大御神の子孫が治める国――それを広く示していけば、我が大倭国こそが山門の正当な後継国家であると主張できます」
宇摩志麻遅が続けると、磐余彦はしばらく考えてから一同を見渡した。
「余も、山門の権威そのものは、これまで以上に利用していこうと考えておる。神託によって政を決めるつもりはないが、天照大御神の名と、その血を受け継ぐ者としての立場まで捨てる理由はない。皆はどう思う?」
「我らは、まだ国を興して間もない新興国でございます。国をまとめるために利用できるものがあるのであれば、何であろうと取り入れるべきかと存じます」
椎根津彦の答えに、磐余彦も異論はなかった。
「ならば、天照大御神を祀る社も増やしていかねばならぬな。各地に建て、我が国が何を受け継ぐ国なのかを目に見える形で示していこう」
「承知いたしました」
道臣が頭を下げる。その返事を聞いた磐余彦は頷いたが、すぐに別の問題へと話を移した。
「うむ。それと、銅鏡や剣の件だ。各地の豪族へ贈る品として考えてはいるが、やはり交易だけでは必要な数を揃えきれぬ」
「交易品だけに頼っていては、数にも限りがございます。いっそのこと、我が国で作られてはいかがでしょう」
「余も同じことを考えておってな。すでに製造のできる職人がいないか、各地を当たらせておる」
磐余彦の言葉を受け、宇摩志麻遅が静かに口を開いた。
「実は、椎根津彦殿が宇佐へ向かわれている間にも、その話は進めておりました。各地から腕の立つ者を集めておりますので、近いうちに必要な職人の数にも目途が立つかと存じます」
「それだけではないぞ。足りぬ技術を補うため、大陸からも職人を招いているところだ。こちらが何年もかけて手探りで技術を積み上げるより、知っている者から直接学んだ方が早いからな」
道臣の説明を聞き、椎根津彦は納得したように頷いた。
「たしかに。それならば話は早いでしょう。技術を持つ者から直接教えを受けられるのであれば、製造を軌道に乗せるまでの時間も大きく縮められます」
「さらに、職人たちを各地に散らすのではなく、工房を集めた専属の地域を作れないかとも考えております。必要な材料と人を一か所に集めれば、技術の伝承もしやすく、量産にも繋げられるでしょう」
宇摩志麻遅の構想に、朝議の場では次第に、交易に頼るだけではなく、大倭国そのものが必要な品を作り出していくための具体的な道筋が形を取り始めていた。
「陛下は、その品々をどのように活用されるおつもりなのでしょう?」
弟宇迦斯の問いに、磐余彦は少しだけ視線を落とした。脳裏に浮かんだのは、まだ自分が幼かった頃に目にした、海の向こうの大国の姿だった。
「実は余は幼き頃、魏への朝貢に参加したことがあってな」
「覚えておりますとも」
道臣がすぐさま応じる。
「あの城壁も、兵の数も、武具も凄まじいものでした」
「整えられた街並みだけではありません。役人たちが国を動かす仕組みも、実によく出来ておりました」
椎根津彦が続けると、大久米も無言のまま深く頷いた。あの時に魏を訪れた者たちにとって、その光景は今なお鮮明に記憶へ残っている。
磐余彦は集まった者たちを見渡してから口を開いた。
「余はな、この倭国にも小さな朝貢の仕組みを作り、それを国の制度として定着させたいと考えておる」
「交易ではなく、朝貢でございますか?」
高倉下が尋ねると、弟宇迦斯も首を傾げた。
「その二つは、どう違うのでしょう?」
答えたのは椎根津彦だった。
「交易と朝貢は、品を互いにやり取りするという点だけを見れば似ております。しかし、大きく異なるものがございます。朝貢では従う側が貢物を献上し、それを受けた側が返礼として品を下賜する。その下賜によって、現地を治める者の支配を認めるのです」
「つまり、そこには明確な上下関係が生まれるということだ」
道臣の言葉に、磐余彦が頷いた。
「余はその仕組みを倭国中へ広げたい。力ずくで国を従わせるのではなく、可能な限り戦を避けながら倭国を一つにまとめていく。そのための仕組みとしてな」
宇摩志麻遅はしばし考えたあと、納得したように口を開いた。
「各地の豪族にとっても、自らの土地を治める権利を大倭国から認められることになります。従う代わりに統治の安定を得られるのであれば、双方に利のある方策と言えましょう」
「なるほど。そのための銅鏡や剣というわけですな」
高倉下の言葉に、磐余彦は再び頷く。
「うむ。すべて銅製で構わぬ。戦に使うものではなく、権威を示すための儀式の品だからな」
「実は、そのことでございますが」
宇摩志麻遅がそう告げると、控えていた者へ合図を送り、数枚の銅鏡を運ばせた。そのうち一枚を手に取って磐余彦の前まで進み出ると、傍らに控えていた竹が受け取り、恭しく王へ差し出す。
磐余彦は銅鏡を両手で持ち、光を受けて輝く表面や縁に施された細かな意匠を確かめた。
「おお……良い出来ではないか」
「ありがとうございます。この銅鏡を、三角縁神獣鏡と申します」
宇摩志麻遅の言葉を聞き、道臣も鏡を覗き込む。
「これほどの品であれば、陛下のお考えになる政策も十分に進められましょうな」
磐余彦は鏡を見つめながら、しばらく黙っていた。やがて考えをまとめるように一度息を吐くと、ゆっくりと口を開く。
「まずは東の諸国を確実にまとめる。だが、それだけで終えるつもりはない。西にも我が国の影響を広げていくつもりだ。もともと大倭壱国連合へ加わっていなかった阿波のような国々、そして連合を離れた吉備や出雲にもな。そのためにも……」
「承知いたしました」
磐余彦が言い終えるより早く、椎根津彦が意図を察して頭を下げた。
「製造を担う場所を定め、宇摩志麻遅殿とともに量産出来る仕組みを整えてご覧に入れます」
「宇摩志麻遅。そちには今さら必要のないことかもしれぬが、最初にやってもらいたいことがある」
磐余彦王に名を呼ばれ、宇摩志麻遅は静かに頭を下げた。
「何なりとお申し付けください」
「最初に、そなたから余へ朝貢をしてもらいたい」
それは、これから大倭国が築こうとしている新たな仕組みの最初の一歩を、宇摩志麻遅に担ってほしいという意味でもあった。宇摩志麻遅はその意図をすぐに察し、迷うことなく深く一礼する。
「朝貢を最初に行える栄誉、ありがたく受けさせていただきます。準備が整い次第、ただちに」
「うむ。次に道臣、大久米、椎根津彦、高倉下、弟宇迦斯。そなたたちにも順次、朝貢を行ってもらう」
「承知いたしました」
名を挙げられた者たちが一斉に頭を下げる。その返答を確認した磐余彦王は、今度は少し離れたところに座していた吉備冠者へと視線を向けた。
「そして吉備冠者。そなたにも頼みたい。どうかな?」
朝議には参加しているものの、吉備冠者はこれまで磐余彦王の政権に対し、明確な臣従というよりは、どちらかといえば友好的に寄り添う立場を取っていた。
だが、当の吉備冠者は磐余彦王の問いかけに困った様子も見せず、むしろ当然のことを確認されたかのように笑みを浮かべた。
「私は陛下の即位式にも参加しております。つまり、その時点ですでに陛下への臣下の礼は済ませておりますので、朝貢の一つや二つ、喜んでさせていただきます」
「うむ」
磐余彦王は満足そうに頷いた。
こうして大倭国は、外へ領土を広げることよりも、まず国内を充実させることを優先して政策を進めていくことになった。
磐余彦は、自らの大倭国こそが山門の正統な後継国家であることを示すため、日巫女に贈った神名である天照大御神を最高神として祀り、その社を各地に建てていった。
ただし、かつての大倭壱国のような神託による政治へ戻るつもりはない。政治はあくまで人が話し合い、人の手で決める。その原則を崩すことなく、天照大御神の持つ権威だけを国家の象徴として利用する道を選んだのである。
同時に進められたのが、銅鏡や剣などの国産化であった。
これまで交易によって得ていた品々だけでは、各地へ配るだけの数を揃えることができない。そこで大倭国は職人を集め、大陸からも技術を取り入れながら国内での生産を推し進めた。
その代表となったのが三角縁神獣鏡であり、ほかにも儀礼に用いる銅製の剣などが作られていった。
それらは単なる宝物ではない。
大倭国へ貢物を献上し、その支配を認めた豪族に対し、磐余彦王が土地を治める正当性を認める証として銅鏡や剣を下賜するのである。豪族にとっては自らの地位を大倭国によって保証され、大倭国にとっては戦をせずとも各地へ影響力を広げることができる。
それは、磐余彦が幼い頃に目にした魏の朝貢制度を、倭国の実情に合わせて作り替えた仕組みともいえた。
各地の豪族が大倭国へ朝貢し、大倭国はその豪族による地域支配を認める品を下賜する。力だけで従わせるのではなく、互いに利益を得られる関係を作りながら、その上に大倭国という大きな枠組みを築いていくのである。
この政策はすぐに倭国全体へ広がったわけではない。しかし長い年月をかけて工房が整備され、職人が育ち、生産量が増えていくにつれて、三角縁神獣鏡は各地へと渡っていった。
やがてその数は数千枚にも達し、大倭国から遠く離れた土地にまで広がっていく。
豪族たちは、それを自らの地位と支配を認められた証として受け取り、同時に大倭国との結びつきを深めていった。鏡一枚、剣一本が、時には何百もの兵を送り込むよりも大きな意味を持ったのである。
幼き日に魏へ渡った経験は、磐余彦の統治に思いもよらぬ形で影響を残していた。
もっとも、磐余彦はただ争いを嫌うだけの善良な王ではなかった。
必要とあれば天照大御神の権威を政治に利用し、話し合いでは収まらない豪族が周囲へ害を及ぼすのであれば、軍を送り討伐することもためらわなかった。
相手を受け入れる柔軟さを持ちながら、守るべき秩序のためには力を振るう。その両方を使い分けることのできる調整力と、大きな器を持つ君主へと成長していったのである。
一方で、大倭壱国に対しては最後まで戦を望まなかった。
女王伊予に対して王としての礼節を失うことはなく、使者や贈り物を交わしながらも、政治的には一定の距離を保つ。両国の関係は交易を中心としたものに留まり、大倭国が再び大倭壱国連合の中へ戻ることはなかった。
伊予自身も、最後まで強い政治的影響力を持つ女王とはならなかった。それでも、争いを望まぬ十三歳の少女が女王として存在することそのものが、長く続いた内乱を終わらせる象徴となった。
西の大倭壱国と、東の大倭国。
同じ「やまと」の名を受け継ぎながら、異なる道を選んだ二つの国は、少なくとも磐余彦と伊予が生きた時代に刃を交えることはなかった。
――そして後日。
三角縁神獣鏡を各地の豪族へ下賜するという話を、竹と浦が何気なく五十鈴媛と吾平津媛へ話してしまった。
「各地の豪族には鏡を贈られるのですね」
五十鈴媛が静かに口にすると、吾平津媛も笑顔のまま磐余彦を見つめた。
「では当然、妃である私たちにもあるのでしょうね?」
磐余彦は言葉を失った。
しかも隣では、話を持ち出した張本人である浦まで期待に満ちた目を向け、竹も当然のような顔をしている。
こうして各地の豪族へ権威の証として配るはずだった三角縁神獣鏡は、まず磐余彦王の四人の妃全員へ一枚ずつ贈らなければならなくなったのであった。




