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泣き虫皇子は仲間を集めて初代天皇になる!―神代の終焉と神武東征―  作者: 月見
二章 神武東征

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十九話 忍坂の八十建

 宇陀の地を得た磐余彦(いわれひこ)率いる東征軍は、兵たちに休息を取らせながら、次なる進軍路を模索していた。


 連日の警戒と前線での任務によって兵の疲労も蓄積している。とりわけ久米部はこれまで幾度も危険な任務を担ってきたため、磐余彦はしばらく彼らを休ませることにした。その代わり、日臣(ひのおみ)に他の部隊を預け、宇陀の西へ向けて偵察と斥候を送り出していた。


 ところが、送り出した斥候のほとんどが戻ってこなかった。何が起きているのかさえ分からない状況に苛立った日臣は、ついに自ら先鋒軍を率いて西の山へと入った。だが、山の奥深くまで進んだところで、突然、木々の間から矢が降り注いだ。


 日臣たちはすぐさま敵のいる方角へ向き直り、迎撃態勢を整えようとした。ところが、その頃には先ほどまで矢が飛んできていた場所から攻撃は止み、今度はまったく別の方角から矢が射かけられた。


 敵影を追えば、また別の場所から襲われる。


 反撃しようにも敵は木々や岩陰に紛れ、ほとんど姿を見せない。先鋒軍は山中を引き回されるように翻弄され、まともに敵を捉えることすらできないまま被害だけを増やし、ついには撤退を余儀なくされた。


挿絵(By みてみん)


 報告を受けた磐余彦は、今後の進軍について話し合うため軍議を開くことにした。そこには東征軍の将たちだけでなく、新たに宇陀の統治を任された弟宇迦斯(おとうかし)も加わっていた。


「すまねぇ。一方的にやられてしまって面目ない」


 軍議の席で、日臣は悔しげに頭を下げた。


「気にしないでいいよ。敗戦というような被害でもない」


 磐余彦は責めることなく答えた。


 その横では、日臣からの報告を聞いていた椎根津彦(しいねつひこ)が難しい顔をしていた。


「山を巧みに使った遊撃戦ですか……厄介ですね」


「ああ。斥候の情報と、自分で味わった経験から言わせてもらえば、敵はほとんど姿を見せねぇんだ。しかも、いつの間にか矢が飛んでくる。そっちを追ったと思えば、今度は別の方角から襲われる。対応が難しかった」


 そこへ、それまで話を聞いていた弟宇迦斯が口を開いた。


「それは間違いなく、八十建(やそたける)の連中かと」


「八十建?」


 聞き慣れない名に、磐余彦が首を傾げる。


「はい。忍坂から国見丘までの平地と、その南部に広がる山々を領域としている連中です」


「聞いたことがない豪族だな。どんな奴なんだ?」


 日臣が尋ねると、弟宇迦斯は小さく首を横に振った。


「人名ではありません。奴らは集落や小さな村を単位とした集団の集合体です。それぞれの集団には長がいますが、全体を統べる一人の長がいるわけではありません。そうした連中をまとめて、八十建と呼んでいるのです」


「集合体?」


「つまり、複数の集団をまとめた呼び名として八十建と呼ばれているのですね」


 磐余彦の疑問を、椎根津彦が噛み砕くように言葉にした。


「その通りです。正しくは『数多くの勇者』という意味になります」


「複数の集団の集合体かぁ。面倒だな」


 日臣が露骨に顔をしかめる。


「彼らは数十人から百人前後の集団をいくつも形成し、それぞれが独自に動いています。俺も以前、奴らと揉めたことがありますが、あれには随分と手こずりました」


「その彼らは、なぜ私たちに敵対するのです?」


 磐余彦が尋ねると、弟宇迦斯は少し考えてから答えた。


「余所者だからでしょう。かつて邇芸速日様も、八十建を従属させるのには苦労したと聞いたことがあります。そもそも奴らは大きな軍として動かず、それぞれが勝手に動きます。そのうえ、主な戦場に選ぶのは山の中です」


「山の中じゃ、こっちの数の利も働きにくいぜ。戦いにくすぎる」


 日臣は先ほどの戦いを思い返したのか、苦々しそうに吐き捨てた。


 その時、椎根津彦は磐余彦の後ろに控えている浦へと視線を向けた。


 先ほどから、浦は何か言いたそうな顔をしている。しかし、自分はあくまで磐余彦の護衛であり、軍議の場で余計な口を挟むべきではないと思っているのだろう。口を開きかけては閉じ、どこか落ち着かない様子でもじもじしていた。


「浦、何か言いたそうですが、何か考えがあるのですか?」


 椎根津彦に突然声をかけられ、浦は驚いたように目を瞬かせた。


「え? あ、でも私は護衛だし……会議で発言なんて……」


「いいよ。対応策に困っているし、考えがあるのなら聞きたい」


 磐余彦から許しを得ると、浦は少し迷いながらも口を開いた。


「あのね。私の意見が会議の役に立つかわからないのだけど……」


「構いませんよ。是非、考えを教えてください」


 椎根津彦に促され、浦は自分の考えを整理するように話し始めた。


「私の得意な武器は剣と短剣と弓よ。竹の得意な武器は槍と弓。弓同士なら互角だけど、槍と剣では、やり合う場所によって結果が違うの」


 その言葉に、一同の視線が浦へ集まった。


「みんなは知らないかもだけど、障害物のないところで竹と鍛錬すると、剣を使う私は槍の竹に間合いの差でどうしても分が悪いの。でもね、狭い部屋とか、木がたくさん生えているような障害物の多い場所だと、今度は槍の長さそのものが邪魔になる。そうなると、剣を使う私のほうに分があるの」


 浦はそこまで話すと、皆の顔を見回した。


「今の話を聞いていて思ったの。私たちが苦戦しているのって、敵が強いからというだけじゃなくて、敵が一番戦いやすい場所で戦っているからなんじゃないかなって。だから……」


「そうか!」


 浦が最後まで言い終えるより先に、椎根津彦が声を上げた。


「その通りですね、浦! 流石です。そうか、何も敵の有利な戦場で戦う必要などなかったのだ」


 竹は護衛として控えている以上、許可もなく軍議へ口を挟むことはしなかった。それでも妹の発言を聞いたその顔には、はっきりと「よく言った」と書いてあった。


 磐余彦はしばらく考え込んだ後、弟宇迦斯へ視線を向けた。


「弟宇迦斯殿は普段、纏向(まきむく)の宮にどの道を使われておられるのですか?」


「宇陀から纏向までに道には山が無く、細い平野が通っている道がございます。そこを通るのが一番早く安全です」


 弟宇迦斯の答えを聞いた椎根津彦は、さらに確かめるように問いかけた。


「八十建の者たちは山だけで暮らしているのですか?」


「いや。忍坂から国見丘にかけての平地にも田畑や集落がある。山は狩場でもあり、逃げ場でもあるが、食糧のすべてを山で得ているわけではない」


 その言葉を聞いた途端、椎根津彦の顔に不敵な笑みが浮かび、それを目にした磐余彦、日臣、大久米の三人は揃って悪寒を覚えた。


『絶対、辛辣なことを考えている』


挿絵(By みてみん)


「磐余彦様、策を申してもよいでしょうか」


「う、うん。頼む」


 怖いほど不気味な笑みを浮かべる椎根津彦を見ながら、磐余彦は思わず少し身を引きつつ返事をした。




 翌日、東征軍は弟宇迦斯が普段使っている道を選び、周囲を警戒しながら宇陀を発って西へと進軍した。その道は決して広いものではなかったが、山中ではなく細長く平地が続いており、八十建にとっては奇襲を仕掛けにくい地形だった。東征軍はあえて敵の得意とする山を避け、平野を進む道を選んだのである。


 やがて軍勢は忍坂へと入った。そこはすでに八十建の勢力圏の只中であり、いつ周囲から襲撃を受けてもおかしくない危険な土地だった。


 忍坂へ到着すると、磐余彦は改めて全軍に軍法を厳守するよう命じた。


 磐余彦は、民に対する乱暴狼藉を固く禁じていた。それは熊野で正式に軍の指揮権を引き継いだ時から、宇陀に至るまで一貫して兵たちへ言い渡してきたことである。


 民の家へ勝手に立ち入ってはならない。田畑を荒らしてはならない。食糧を求める場合には必ず対価を支払うこと。女を犯してはならない。民の物を奪ってはならない。そして戦以外で人に危害を加えてはならない。


 これらを破った者は、極刑をもって処断する。


 ただでさえ東征軍は、この地の者たちから見れば外から押し寄せてきた侵略者に等しい。だからこそ、規律を失えば瞬く間に民の反感を買い、八十建へ味方する者を増やすことになる。


 そして、それ以上に磐余彦自身が、力を持つ者が弱い者から好き勝手に奪うことを決して望んでいなかった。


 だが、そんな中で数名の兵士が軍法を破り、忍坂の民から物を奪ったばかりか、女性に暴行まで働いた。報告を受けた磐余彦はただちに彼らの拘束を命じ、取り調べを行わせた。被害を受けた者や目撃者から話を聞き、乱暴狼藉が事実であることが確認されると、磐余彦は彼らを忍坂の中央で公開処刑にすると決めた。


 磐余彦には、どうしても許すことのできないものがあった。それは、人の気持ちを踏みにじる行いである。幼い頃の磐余彦は、兄たちから逃げるように山へ入り、泣いていた弱い子供だった。そんな自分を伊邪那岐は導いてくれた。そして成長してからも、身分では自分より下にあたる者たちから幾度となく叱られてきた。


 日臣も、大久米も、椎根津彦も、竹も浦も、磐余彦が間違えれば遠慮なく言葉をぶつけてきた。だが、それを侮辱だと思ったことはなかった。彼らが自分を軽んじていたわけではないと分かっていたからだ。そこにはいつも磐余彦を思う気持ちがあり、彼らなりの考えと正しさがあった。


 だからこそ、今回の行いはまるで違った。戦に勝った側の兵が、敗れた側の民から好き勝手に物を奪い、力で女性を犯す。そこには相手を思う心など欠片もなく、ただ己の欲望を満たすために、弱い立場の者を踏みにじっただけである。まして、それは磐余彦が明確に禁じていた行為だった。


 忍坂の中央には罪人たちが引き出され、その周囲には東征軍の兵だけでなく、遠巻きに多くの民も集まっていた。磐余彦は罪人たちの前へ進み出ると、彼らを見据えた。


「私はこの地を荒らすつもりも、食糧を奪う気も、まして女を犯す気もない! それを禁じていたのに、破った者がいる。断じて許すわけにはいかない。この罪に対して、死をもって償ってもらう」


 磐余彦は腰に佩いていた布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)を抜いた。抜き放たれた刀身から赤い妖気がゆらりと立ち昇り、罪人たちの顔が青ざめていく。その前で磐余彦は自ら布都御魂を振るい、赤い妖気が閃くとともに罪人たちの首を斬り落とした。


 周囲が静まり返る中、磐余彦は血の付いた布都御魂を手にしたまま東征軍の兵たちを見渡し、続いて、その向こうで成り行きを見守っていた忍坂の民へ視線を向けた。


「よいか! 軍法を破った者は必ず報いを受けさせる! 忍坂の民よ! 我らは決して土地を荒らす者ではない! この罪人の首を証とする!」


 それは兵たちへの警告であると同時に、忍坂の民への宣言でもあった。自分たちは戦をしに来た。だが、勝った者が何をしても許されるとは考えていない。少なくとも磐余彦は、この土地へ無法を働く侵略者として入るつもりはなかった。その意思を、彼は言葉だけではなく、自らの手を血で汚すことで示したのである。


 少し離れた場所からその姿を見守っていた竹と浦は、胸の奥がすっとするような感覚を覚えていた。厳しい処断ではあったが、二人に迷いはない。これこそ、自分たちが命を懸けて守ると決めた人なのだ。そして――誰よりも恋しい人でもあった。


 さらに遠くから、その光景を静かに見つめる者がいた。伊邪那岐(いざなぎ)である。


 那岐の瞳には、目の前に立つ磐余彦とは別の若者の姿が重なっていた。遥かな昔、まだ大年(おおとし)と名乗っていた若かった邇芸速日(にぎはやひ)もまた、軍規を正すため、自らの手を血で汚したことがあった。しかもそれは彼にとって初陣であり、生まれて初めて人を殺した時でもあった。


 最初に手へ掛けた相手は敵ではなく、軍規を破り、民を傷つけた味方の兵だった。処断しなければならないと理解しながら、それでも人を斬った事実に苦しみ、自分の決断は正しかったのかと悩み続けていた若き日の邇芸速日。その姿が、今の磐余彦と重なって見えた。


挿絵(By みてみん)


 那岐は何も言わず、ただ磐余彦を見つめていた。時代も立場も違う。それでも、人の上に立つ者が背負わなければならないものは、どこか似ている。磐余彦が握る布都御魂から漂う赤い妖気を眺めながら、那岐は遠い日の孫の姿を静かに思い出していた。


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