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泣き虫皇子は仲間を集めて初代天皇になる!―神代の終焉と神武東征―  作者: 月見
二章 神武東征

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十六話 吉野の山路

挿絵(By みてみん)


 東征軍は進軍を開始した。目指すは、三輪山の麓にある纏向の宮である。熊野から北へ向かう道には険しい山々が連なっており、日臣と大久米が率いる先鋒部隊が先行し、その後を磐余彦率いる本隊が続いていたのだが――。


「きつい……たけぇー、うらぁー、休憩しよ……」


 すっかり疲れ切った磐余彦が、情けない声を漏らした。


「何を情けないこと言っているのですか。ほら、しっかりしなさい」


 竹が呆れながら叱咤すると、浦は楽しそうに磐余彦の顔を覗き込んだ。


「もう、こんなところは昔と変わらないのね~。かわいい」


「そんなこと言っても、私達は山育ちではないから辛いってばぁ」


「浦、主人をからかわないの」


「可愛いんだから仕方ないじゃない」


「なんでこんなに山が険しいんだよぉー。山を越えても次の山があるし、無限地獄じゃないかぁ」


 どれだけ登っても、目の前には次の山が立ちはだかる。うんざりした磐余彦が嘆くと、竹は容赦なく言い返した。


「磐余彦様が命じたことですよ」


「自分でお決めになったことだし、しょうがないですね」


「うう……撤回したい」


 山岳進軍は避けて通れない道であった。熊野の先には険しい山々が連なっており、三輪山へ向かうためにはどうしてもそこを越えなければならない。それでも椎根津彦が事前に周辺を調べ、できる限り進軍しやすい道を探して選んでいた。


 しかし、その椎根津彦も日臣、大久米と共に先鋒軍に加わっているため、本隊は磐余彦が直接率いるしかなかった。さらに本隊は大量の兵糧や武具をはじめとする物資の運搬まで担っており、どうしても進軍速度は遅くなる。


 道と呼ぶにはあまりにも細い獣道しかない斜面を進み、雨に濡れて滑る岩を慎重に踏み越え、道を塞ぐ倒木を迂回していく。荷車など使える場所ではなく、兵糧や物資はすべて兵たちが背負わなければならなかった。谷底には急流が流れ、橋のない場所では縄を張り、兵たちが一本ずつそれを掴みながら渡っていく。


 吉野の山々は、磐余彦たちが想像していた以上に過酷であった。


「ほら兵達に見られますよ。弱音吐かないで凛々しい姿を見せてください」


「凛々しいって言われても……もうヘトヘトなんだよ」


「体はヘトヘトで顔だけ凛々しくしている姿も笑っちゃいそう」


 浦が楽しそうに言うと、思わず竹も吹き出してしまった。


「やっぱり東に向かって海路で向かえばよかった」


「東に向かっても結局、山々が待ち構えてますよ」


「ええー……山道は辛いよ」


「ほらほら、足が止まっているよ進んで進んで~」


挿絵(By みてみん)


 浦に背中を押され、竹にも支えられながら、磐余彦は重い足をどうにか前へと運んでいく。そうして双子に励まされ、ときにはからかわれながら、磐余彦は兵たちと共に一つ、また一つと吉野の険しい山々を越えていくのだった。




 一方、日臣率いる先鋒軍の進軍には常に緊張が付きまとっていた。険しい山々を越えた先には東吉野、さらにその先には宇陀があり、その一帯には数多くの豪族が点在している。彼らの誰もが東征軍に恭順の意思を示しているわけではなく、熊野で結ばれた和平の話も、まだこの地まで十分に広まってはいなかった。たとえ話が伝わっていたとしても、突然現れた余所者の軍勢に大人しく従うとは考えにくい。この時代、地方を治める豪族たちの権威は強く、自らの土地へ踏み込んできた者を簡単に受け入れることなどなかったのである。


 それでも、日臣たちが進む道中で目立った抵抗は起こらなかった。だが、ときおり山道の向こうや木々の隙間に現地の者らしき姿を見つけても、こちらに気づいた途端、声をかける間もなく逃げ去ってしまう。


 襲ってくるわけでもなければ、近づいて話をしようとするわけでもない。ただ遠巻きにこちらの様子を窺っている。その姿は、まるで東征軍の人数や進軍状況を探る偵察のようにも見えた。


「あいつらなんなんだ。様子見ばかりで挨拶もなしかい」


 日臣が周囲の山々を見回しながら不満そうに呟く。


「はぁ、はぁ……あー、宇陀も近いですからね。警戒していた方がよいかもです」


 隣を歩く椎根津彦は、険しい山道にすっかり体力を奪われていた。肩で大きく息をしながら、それでもどうにか日臣へ答える。


「その調子では、いざという時に役に立たないな。大久米!」


 日臣は呆れたように椎根津彦を見たあと、前方を歩く大男へ声を張り上げた。


 大久米が日臣の方に顔を向けると、日臣はすぐに命じた。


「久米部の部隊だけを率いて先にむかってくれ、ただし戦闘は避けろ。様子見優先だ」


 東征軍の中では最近、大久米が率いる日向から共に進んできた兵たちを久米部と呼ぶようになっていた。大久米は頷くと片手を挙げ、その久米部を率いて先行していった。


挿絵(By みてみん)


 大久米は日向の兵たちにとって特別な存在であった。初陣で敵陣へ単身特攻した武勇は有名であり、今では大倭壱国の猛将とまで言われるようになっている。先の白肩津の戦いでも真っ先に敵へ向かっただけでなく、危機に瀕した主君を救い、巨漢の猛将・長髄彦を力で押しのけた。東征軍随一の長身を誇る大男でもあり、今や東征軍最強の武人として認識され、日向の者たちにとって誇りとも言える存在になっていた。


 そして何より、大久米の顔芸を理解できるのが日向の兵たちだけだったことも、久米部が彼の直属となった大きな理由であった。


 熊野に駐屯していた頃には、その表情だけで命令を伝えるための強化訓練まで行われていた。大久米の目が真っ直ぐ先を見通していれば前進、少し顎を引けば全軍停止、眉間に皺が寄れば警戒。そして目がくるりと泳げば回れ右である。


 その様子を見ていた日臣が、すかさず声を上げた。


「その回れ右はいらねーだろ」


 そんな久米部が大久米と共に先行していくのを見届けると、日臣は残った兵たちへ声をかけた。


「少しだけ休憩して大久米の後を追うぞ」


「助かります。はぁはぁ……」


 椎根津彦は肩で大きく息をしながら答えた。その時、上空から那岐が舞い降り、近くの木の枝に止まった。


「大丈夫、椎根津彦? 息があがっているよ」


「鴉殿……空を飛び回っているようで……今だけは羨ましいです。私も飛んで先を進みたいものです」


 疲れ切った椎根津彦が恨めしそうに見上げると、那岐は楽しそうに笑った。


「あはは、まあ先に向って交渉しないといけないからね。山道がんばれー」


 そう言い残すと、那岐はまるで他人事のように再び空へ舞い上がり、その場から去っていった。


「からかいに来ただけですか……」


 遠ざかっていく那岐を見送りながら、椎根津彦は深く肩を落とした。まだ先が長いという現実が、疲れ切った身体に辛く重く伸し掛かるのだった。




 大久米率いる久米部は東吉野の地を越えて宇陀へ入ると、いったん進軍を止めて周辺の警戒にあたった。宇陀には大小さまざまな豪族が点在しているものの、彼らが東征軍に対してどのような態度を取るのかはまだ分からず、いつ襲撃を受けてもおかしくはなかった。


 しかし、敵が姿を現すことも戦闘が起きることもなく、それがかえって大久米に不気味さを感じさせていた。姿を見せない何者かに遠くからじっと様子を窺われているような感覚があり、何事も起きていないはずなのに、胸の奥に引っかかるものが消えない。


 一方、先行して宇陀へ入っていた那岐は、集落の一角で多くの人々が慌ただしく建物を造っていることに気づいた。どうやら大きな館を建てているらしく、木材が次々と運び込まれ、作業もかなり急がされているように見える。


 東征軍を歓迎するために館を建てているのであれば問題はないのだが、那岐はどうしても妙な違和感を拭うことができなかった。余所からやって来る軍勢を迎えるためだけに、これほど急いで新しい館を建てるものなのだろうか。


「……何のために造っているんだろう」


 もちろん東征軍とは何の関係もなく、偶然この時期に建設が重なっただけという可能性もある。それなら何も心配する必要はないのだが、それでも那岐の胸には小さな不安が残り続けていた。


 やがて吉野の険しい山々に苦しめられながら進んでいた日臣の部隊と、磐余彦率いる本隊も宇陀の近くまで到達した。大久米は本隊の到着を待つだけではなく、久米部を率いてさらに先へ進み、宇陀の様子を探ることにした。


 しばらく進んだところで大久米の足が止まり、その眉間に深い皺が寄った。


 その表情を見た瞬間、久米部の兵たちは誰に命じられるまでもなく周囲へ視線を走らせ、それぞれが武器に手を添えて警戒を強めた。長く大久米と行動を共にしてきた彼らにとって、眉間に皺を寄せたその顔は明確な警戒の合図になっていたのである。


 大久米は何も言わず、ただじっと前方を見つめていた。


 敵兵の姿は見えず、武器の音も聞こえない。それでも白肩津をはじめ幾度も死線を越えてきた大久米の身体は、はっきりと何かを感じ取っていた。


 何かがいるのか、それとも何かが起ころうとしているのか。


 大久米自身にも、それが何なのかまでは分からない。ただ、この地に漂う不気味な空気と危険な気配だけは、戦士として培ってきた感覚が確かに捉えていた。


 静かすぎる。


 その静けさの奥に潜む何かを、大久米は肌で感じ取っていた。

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