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泣き虫皇子は仲間を集めて初代天皇になる!―神代の終焉と神武東征―  作者: 月見
一章 神武

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二十二話 襲撃

挿絵(By みてみん)


 このたびの勝利を受け、日向の地を治める鵜葺(うがや)は、ようやく曾於族との和議に道が開けるかもしれないと期待していた。


 磐余彦(いわれひこ)の父である鵜葺は、もともと戦を好む人物ではなく、豪族たちとの交渉や利害の調整を重ねることで、日向の地を治めてきた人物である。


 今回ばかりは曾於族が突然侵攻してきたため、話し合いの機会すら得られなかったが、戦況が変わった今ならば、相手も交渉の席につくのではないかと考えていた。


 もっとも、曾於族が完全に撤退したわけではなく、その軍勢は南へ数里ほど後退しただけで、依然として軍を維持していた。


 戦が終わったとは到底いえない状況ではあったが、鵜葺はこれ以上の犠牲を出さずに争いを収める道を探りたいと考え、軍議の席で二人の息子に和議の話を持ち出した。


 彦五瀬(ひこいつせ)は、いまだ軍を維持している相手が素直に交渉に応じるものだろうかと懐疑的であったが、鵜葺は、たとえ最初は相手に拒まれたとしても、粘り強く交渉を重ねていけば、いずれ互いに受け入れられる道が見えてくるはずだと考えていた。


 一方、磐余彦は父の考えに賛成しており、これ以上戦を続けるよりも、話し合いによって争いを収めることを望んでいた。


「今回の戦は、おそらく今年の海の幸の不漁が原因の一つであろう。曾於族は食糧を求めて北上してきたのだ。ならば、食糧を得られぬまま国へ帰ることもできまい」


 鵜葺の言葉に、彦五瀬は険しい表情を浮かべた。


「まさか父上は、勝っている我らが奴らに食糧を与えようというのですか?」


 彦五瀬は真っ直ぐな人物であった。武人としての気質が強く、交渉や搦め手を好まない。ましてや、こちらから攻め込んできた相手に食糧を与えるなど、簡単には納得できる話ではなかった。


 磐余彦は兄の言葉を聞いてから、父へ視線を向けた。


「父上は、曾於族にどの程度の譲歩を考えておられるのでしょうか?」


「うむ、そこが思案のしどころだのう……。我らとて無尽蔵に食糧があるわけではない。どこまで譲れるかは、今後の交渉次第かもしれんな」


 鵜葺も、食糧を与えさえすれば戦が終わるとは考えていなかった。日向の民の暮らしを守ることが第一であり、こちらの蓄えを損なってまで相手の要求に応じるわけにはいかない。それでも、曾於族が軍を退くための条件を探る必要があった。


「しかし父上、一度食糧を与えれば、飢えるたびに攻めてくるのではありませんか。こちらが譲歩すると知れば、今後も同じことを繰り返すやもしれません」


「彦五瀬の言うことはもっともだ。その危険は確かにある。だがな、それは考え方次第でもあるのだよ。ここで恩を与えておき、互いに交易できる関係を築ければ、次に食糧が不足した時には、戦ではなく交渉によって解決する道も開けよう」


 鵜葺は穏やかに答えた。食糧を奪い合うばかりでは、いずれ双方の民が疲弊してしまう。今回の戦を終わらせるだけでなく、再び争わずに済む関係を築くことも、日向を治める者として考えておきたかった。


「確かにそうですが……そううまくいくでしょうか?」


 彦五瀬はなおも懐疑的であったが、父の考えを頭から否定することもできなかった。敵軍が食糧を求めているのであれば、そこに交渉の余地があることも理解できたからである。


「ま、やってみるしかあるまい。まずは使者を送り、相手の考えを聞いてみよう。互いの条件がまとまり始めたならば、私も直接交渉の場へ出向くことにするよ」


 鵜葺はそう告げ、曾於族との和議に向けて動き出すことを決めた。




 それから数日、双方の使者が陣を行き来し、和議に向けた交渉が続けられた。しかし、互いに不信感が強く、最初から高い条件を提示して相手の譲歩を引き出そうとするため、話し合いは思うように進まなかった。


 さらに数日が経過すると、鵜葺は停滞した交渉を少しでも前に進めようと、自ら曾於族の陣へ出向くことを決めた。留守の間は彦五瀬に全軍の指揮権を預け、磐余彦を伴って直接交渉に臨むことにしたのである。


 ところが、曾於族が提示した条件は、日向側にとって到底受け入れられるものではなかった。曾於族は南の村々の支配権に加え、その周辺の漁場を利用する権利まで要求してきたのである。


 戦によって奪われたわけでもなく、曾於族が占領しているわけでもない土地や漁場を譲り渡すことなど、鵜葺といえども承諾できるはずがなかった。


 鵜葺は相手の事情にも耳を傾けながら、別の条件で折り合いをつけられないかと粘り強く話し合いを続けたものの、双方の要求には依然として大きな隔たりがあり、和議がまとまる気配は見えなかった。


 その交渉の席で、磐余彦は曾於族の兵数名から険しい視線を向けられていることに気がついた。兵たちは磐余彦の姿を見るなり表情をこわばらせ、憎しみを隠そうともせず睨みつけていた。どうやら先の戦で、曾於族の本隊を後方から攻撃した際に、磐余彦の姿を見ていた者たちらしかった。




 交渉を終えて陣屋に戻った磐余彦は、ようやく肩の力を抜き、深いため息をついた。相手の要求を思い返すだけでも気が重く、腰を下ろしたまましばらく黙り込んでいると、その様子に気づいた竹が心配そうに声をかけた。


「お疲れだったわね。ずいぶん長引いたのでしょう」


「はい、お茶をどうぞ。少しは落ち着くと思うわ」


 浦が差し出した茶碗を受け取ると、磐余彦は小さく礼を言い、ゆっくりと茶を口に含んだ。いつもなら二人に笑顔を向けるところだが、今日はその余裕もないようだった。


「その様子では、交渉は上手くいかなかったのですか?」


 日臣が尋ねると、磐余彦は茶碗を置き、困ったように眉を下げた。


「交渉は続けるよ。父上がここで諦めることはないはずだけど、相手の要求がなかなか厳しくてね……」


「相手は、どのような条件を出してきたのでしょうか?」


 椎根津彦の問いに、磐余彦は再びため息をついた。


「南の村々と漁業権をよこせだって。まだ占領もしていない土地まで譲れと言われても、こちらとしては簡単に承諾できないよ」


「なんてがめつい奴らだ。負けているくせに、よくもそんな要求ができるな!」


 日臣は腹立たしそうに声を上げたが、磐余彦は苦笑しながら首を横に振った。


「まあ、交渉というのは最初から互いに譲れる条件を出すものではないらしいよ。父上も、初めは高い条件を出し合い、時間をかけて少しずつ譲歩を引き出していくものだとおっしゃっていたし、きっとなんとかしてくださると思う」


 そう言いながらも、磐余彦の表情は晴れなかった。父が交渉をまとめてくれると信じてはいるものの、双方の主張には大きな隔たりがあり、いつになれば兵を退かせられるのか、見通しも立たないのである。


 竹と浦は顔を見合わせた。交渉から戻ってきた磐余彦は、いつもより明らかに疲れており、これ以上あれこれ尋ねるよりも、今は休ませてあげた方がよさそうだった。


「今日はもう横になって。交渉のことは、少し休んでから考えればいいでしょう」


「そうそう、今はゆっくり疲れを取りましょ。何かあったら私たちが起こしてあげるから」


 二人に促され、磐余彦はようやく表情を緩めた。


「そうだね、そうするよ。竹も浦もありがとう」


 磐余彦は二人に微笑みかけると、残っていた茶を飲み干し、寝所へ向かった。




 磐余彦の寝所では、竹と浦、大久米の三人が交代で警護に当たっていた。磐余彦が安心して眠れるよう、身辺を守るのは幼い頃から共に過ごしてきた、信頼できる者だけに限っていたのである。


 夜も更けた頃、寝所の入口で警護を続けていた大久米のもとへ、竹が交代にやってきた。


「大久米、交代の時間よ。少しでも寝ていなさい」


 大久米は黙って頷くと、傍らに置いていた槍を手に立ち上がり、自分の寝所へと向かった。竹はその背中を見送ってから寝所へ入り、静かに座を正して周囲の気配に耳を澄ませた。


 寝所の奥では磐余彦が眠っており、その少し離れた場所では浦も横になっていた。竹は時折、二人の様子を確かめながら、夜の静けさの中で警護を続けていた。


 しばらくすると、眠っていたはずの浦が、もぞもぞと寝具から起き上がった。まだ半分ほど夢の中にいるらしく、ぼんやりとした顔のまま磐余彦の寝床へ向かっていく。


 どうやら、いつものように磐余彦の隣で眠ろうとしているらしい。


 その様子に気づいた竹は、すかさず浦の袖を掴んで引き止めた。


「こら、浦。何をしているの?」


「ふにゃ……え? なにって……?」


 浦は寝ぼけた顔で姉を振り返ったものの、自分がどうして起き上がったのか、よく分かっていないようだった。


「あなたの布団はここでしょ。勝手に移動しないの」


「えー……うん、そうだね。あれ、なんで私、動いているの?」


 自分でも不思議になったのか、浦は首を傾げながら元の寝具へ戻ろうとした。竹はそんな妹に呆れつつも、昔から変わらない寝ぼけ癖に、思わず小さなため息をついた。


「まったく、まだ夜は長いんだから、ちゃんと寝てなさ……」


 言いかけた竹の声が、不意に途切れた。


 同時に、浦の表情からも眠気が消え失せ、つい先ほどまで寝ぼけていたとは思えないほど鋭い眼差しで、寝所の外へと視線を向けた。


 二人は互いに顔を見合わせ、声を出さずに周囲の気配を探り始めた。夜風に揺れる草木の音に紛れて、何者かが草を踏みしめる微かな音が聞こえてくる。それも一人ではなく、複数の足音が、こちらへ向かって少しずつ近づいているようだった。


 竹は傍らの槍へ静かに手を伸ばし、浦も身を起こして剣を手元へ引き寄せた。二人とも、すでに眠っている磐余彦を守るための態勢に入っていた。


挿絵(By みてみん)


 まだ姿は見えない。それでも、長年の鍛錬で培った感覚が、二人に迫りつつある異変を知らせていた。


 その時だった。陣屋の外から数十人の男たちが一斉に姿を現し、武器を手に磐余彦の寝所へ向かって駆け込んできた。


「敵襲! 全員起きて!」


「みんな起きて! 夜襲よ!」


 竹と浦の叫び声が夜の陣屋に響き渡った。和平交渉が続いていることもあり、双方とも軍を後退させていたため、陣屋の警戒は普段よりも緩んでいた。まさか交渉の最中に襲撃を受けるとは、竹も考えていなかったのである。


 竹は自分の判断の甘さを悔やんだ。和平交渉中だからこそ、不測の事態に備えて警戒を強めるべきだったのだ。せめて日臣に相談し、陣屋の警備を増やしておけばよかった。しかし、今さら悔やんでいる暇はない。


「浦、奥へは絶対に通さないわよ!」


「わかってる!」


 竹は長槍を構え、浦は腰の剣を抜き放つと、迫ってきた敵を迎え撃った。先頭の男が竹に斬りかかろうとした瞬間、鋭く突き出された槍がその胸を貫いた。竹が槍を引き抜く間にも別の男が脇を駆け抜けようとしたが、浦が素早く踏み込んで剣を振るい、その進路を塞いだ。


 一人、二人、三人と敵を倒しても、後続の男たちは怯むことなく押し寄せてきた。しかも、襲撃者たちは竹と浦を倒すことに固執せず、二人の攻撃をかわしながら、ひたすら陣屋の奥へ進もうとしている。


「こいつら、磐余彦を狙っているのよ!」


「奥には行かせない!」


 浦は叫ぶなり、竹の脇をすり抜けようとした男へ斬りかかった。だが、その隙に別の男が二人の間を突破し、寝所へ続く通路に飛び込んでしまった。


 竹が振り返った時には、すでに男の背中が遠ざかり始めていた。追いかけようにも、目の前には新たな敵が迫っており、持ち場を離れるわけにはいかなかった。


 ところが、男が通路を駆け抜けようとした瞬間、横合いから長槍が突き出され、その進路を塞いだ。男は避けきれずに槍を受け、その場に倒れ込んだ。


 槍を構えていたのは大久米だった。騒ぎを聞きつけて駆け戻った彼は、竹と浦の間を抜けた敵を見つけると、迷うことなくその行く手に立ちはだかったのである。


「助かったわ、ありがとう!」


「まだ来るわよ、油断しないで!」


 大久米は竹の言葉に黙って頷くと、長槍を握り直して敵の集団へ踏み込んだ。恵まれた体格から繰り出される槍は力強く、正面から迫っていた男を押し返し、続く敵も近づけさせなかった。


 しかし、襲撃者たちの目的はあくまで磐余彦であり、大久米や双子と正面から戦うつもりはなかった。三人を足止めする者がいる一方で、その脇を抜けて奥へ走ろうとする者が次々と現れた。


 竹は長槍で敵を牽制し、浦は素早い身のこなしで突破を図る男たちを斬り伏せた。大久米も通路を塞ぐように立ちはだかり、迫る敵を力任せに押し返していたが、三人だけで数十人を相手にしながら、すべての侵入を防ぎ続けるのは容易ではなかった。


 そして、ついに一人の男が大久米の槍をかわし、竹と浦の間をすり抜けた。


「あっ! 待ちなさい!」


 浦が追いかけようとしたが、別の男に行く手を塞がれ、竹も迫ってきた敵への対処に追われていた。大久米が振り返った時には、すでに男は寝所の入口へ駆け込んでいた。


 男は磐余彦の姿を見つけると、剣を振り上げて一直線に襲いかかった。


 だが、磐余彦もすでに起き上がり、槍を手にしていた。迫ってくる男の姿を認めた瞬間、反射的に槍を構え、そのまま正面から突き出したのである。


 槍の穂先は男の胸を深く貫いた。男は振り上げた剣を取り落とし、磐余彦の目の前で崩れ落ちると、そのまま動かなくなった。


 磐余彦は槍を握りしめたまま、倒れた男を見つめていた。自分の身を守るためとはいえ、今、自分の手で一人の人間を殺めたのだった。


 その時、陣屋の外から怒号と足音が響き、日臣が兵たちを率いて駆けつけてきた。外郭の兵舎で休んでいた日臣は、敵襲の知らせを受けるなり兵を叩き起こし、武器を手に取らせて磐余彦の寝所へ急行したのである。


「押し返せ! 磐余彦様に近づけるな!」


 日臣の号令とともに兵たちがなだれ込み、竹と浦、大久米の三人で辛うじて食い止めていた襲撃者たちを押し返し始めた。ようやく援軍が到着したことで、双子も幾分か余裕を取り戻したが、竹は日臣の姿を見るなり声を荒らげた。


「遅いわよ! 何していたの!」


「でも、助かったわ。もう限界だったから」


「すまない! だが、もう一人たりとも近づけさせん!」


 日臣は謝りながらも兵たちへ次々と指示を飛ばし、崩れかけていた防衛の態勢を立て直していった。さらに騒ぎを聞きつけた椎根津彦も槍を携えて姿を現し、磐余彦の傍へ駆け寄ると、周囲の状況を素早く確認した。


「磐余彦様、一人でもよいです。捕らえられないでしょうか?」


 襲撃者たちの目的は明らかであったが、誰の命令によって動いたのかまでは分からない。椎根津彦の意図を察した磐余彦は黙って頷き、兵たちに向かって声を張り上げた。


「一人は生かして捕らえなさい!」


 その命令が伝わる頃には、襲撃者たちも暗殺の失敗を悟っていた。日臣の率いる兵たちに押し返され、これ以上の戦闘は不利と判断したのか、生き残った者たちは次々と陣屋の外へ逃げ出していった。


「追え! 逃がすなぁ!」


 日臣は兵たちを率いて追撃に移り、大久米はそれを見届けると、すぐに磐余彦の元へ戻って周囲の警戒に当たった。竹と浦も武器を手放さず、再び襲撃者が現れても対応できるよう、磐余彦の傍から離れようとはしなかった。


 磐余彦は、そんな仲間たちの様子を眺めながら、手にしていた槍へ静かに視線を落とした。穂先には、先ほど自分が突き刺した男の血が付着していた。初陣では自らの命令によって多くの敵兵が死んだことを知り、胸を痛めていたが、今度は自分自身の手で一人の命を奪ったのである。


 あの男が自分に向かってきた時、迷っている余裕などなかった。身を守るために槍を突き出し、相手が倒れるまでのことは覚えている。それでも、槍を通して伝わってきた感触と、目の前で男が息絶えた光景は、いつまでも頭から離れなかった。


 仲間たちの前では平静を装っていたものの、磐余彦は自分の手で人を殺めたという事実に、内心では怯えていた。




 半刻ほどして、日臣が兵を引き連れて戻ってきた。追撃の末、逃げ遅れた襲撃者を一人捕らえることに成功したのである。命じられたとおり、生きたまま連れ帰った捕虜を見て、磐余彦は日臣を労った。


「ご苦労、日臣。よくやったよ」


「取り逃がした敵もおりました。申し訳ありません」


「いや、十分だよ。一人でも捕らえられたのだからね」


 磐余彦の言葉に日臣は一礼すると、捕虜を椎根津彦の前へ連れていった。椎根津彦は兵に取り押さえられた男の様子を確かめてから、その正面に立って静かに問いかけた。


「これは誰の命令だ。お主たちはどこの部隊に属している?」


 捕虜は答えようとしなかった。椎根津彦が問いを重ねても口を閉ざしたまま、ただ磐余彦を睨みつけていたが、やがて怒りを抑えきれなくなったのか、突然声を荒らげた。


「誰の命令でもない! 俺たちが決めたことだ! 貴様が卑怯にも本隊を後ろから襲わなければ、我らは勝っていたのだ!」


 男は磐余彦に向かって身を乗り出そうとしたが、すぐさま大久米が槍を突きつけ、その動きを制した。日臣も一歩前へ進み、なおも暴れようとする男を厳しく叱りつけた。


「暴れるな! 大人しくしていれば命まで取らん。余計な真似をするな!」


「ふん、命など、お前らに助けられたいとは思わん!」


 捕虜はなおも抵抗を続け、兵に押さえられながらも身体を激しくよじった。大久米は男が磐余彦へ飛びかからないよう、槍の穂先を首元へ近づけて動きを封じようとしたが、その瞬間、男は自ら穂先に向かって勢いよく身を投げ出した。


 大久米が異変に気づいて槍を引こうとした時には、すでに間に合わなかった。男は喉を深く貫かれ、そのまま崩れ落ちた。大久米は慌てて槍を引き抜いたものの、男はほどなく息絶えてしまった。


 思いもよらない結末に、周囲の兵たちは言葉を失った。大久米も槍を握ったまま動かず、自ら死を選んだ男を見下ろしていた。


「……死なせてしまったか」


 椎根津彦は捕虜の亡骸を見つめ、残念そうに呟いた。誰が襲撃を命じたのか、曾於族の指揮官がどこまで関与しているのか、確かめなければならないことはまだ多かったが、もはや本人から話を聞くことはできない。


「しかし、今の言葉を聞く限り、今回の襲撃は曾於族の一部が独断で行った可能性がありますね。少なくとも、この男は自分たちで決めたと申しておりました」


 磐余彦は黙って頷いたものの、すぐには言葉を返せなかった。和平を求めて双方の使者が行き来し、父の鵜葺も交渉を続けている最中に、自分の命を狙った襲撃が起きたのである。


「うん……でも、これで交渉はどうなるのだろう」


 襲撃者が勝手に行ったことなのか、それとも曾於族の誰かが命じたことなのか、今の磐余彦には判断できなかった。捕虜が死んでしまった以上、真相を確かめることも容易ではない。


 父が進めてきた和平交渉に、今回の襲撃がどのような影響を及ぼすのか。磐余彦には、その後始末をどのようにすればよいのか、まだ分からなかった。

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