二話 泣き虫皇子と双子の姉
西暦二百三十六年。
日向の地で暮らす伊邪那岐のもとへ、月読が二人の少女を連れて訪ねてきた。久しぶりに息子と顔を合わせた那岐は月読を歓迎し、連れてきた少女たちも客人として迎え、三人のために食事を用意して振る舞った。
狭野は突然現れた三人が何のためにやってきたのか分からず、食事をしながら黙って様子を窺っていた。
皆が落ち着いたところで、月読が二人の少女を紹介した。
二人は月読のひ孫にあたる八歳の双子で、姉を竹、妹を浦という。
竹と浦は、月読の孫である壱岐の当主と、その側室との間に生まれた双子であった。だが母は正室との確執によって立場を悪くし、双子の命まで危うくなったため、宇佐にいた月読の庇護を受けることになった。
幼いながらも命を狙われた経験をした竹と浦は、自分の身を自分で守れるようになりたいと望み、護身のために武芸を学ぶようになった。月読も二人の事情を考え、仕方なく自ら武芸を指南していた。
やがて母が亡くなると、月読は双子のひ孫の将来を案じるようになった。このまま武芸だけに傾倒させてよいものかと考えた末、日向で暮らしている父の伊邪那岐に預けることを決めたのである。ただ預けるだけでは二人も納得しないだろうと考え、伊邪那岐の護衛という任務を与え、その仕事のために日向へ連れてきたのだった。
月読に何か別の意図があることを那岐は察していたものの、その場で深く問いただすことはしなかった。まずは竹と浦の寝所を用意し、狭野も含めて子供たちを休ませることにした。
子供たちが寝静まったのを確認すると、那岐は寝所を出て月読のもとへ戻った。竹と浦を預かること自体に異存はない。ただ、わざわざ月読自身が日向まで二人を連れてきた以上、それだけではない何かがあるのだろう。
「あの子たちを預かるのはいいけど、どうして欲しいの?」
那岐が尋ねると、月読は少し困ったような表情を浮かべた。
「あの子たちは命を狙われた経験から、武芸にしか興味を示さなくなってしまいました。しかも女です。このまま育ってしまってよいものかと、将来が心配になりまして。今のうちに何とかしたく、父上にお願いしに参りました」
「武芸の鍛錬は私はあまり好まないし、そもそも月読とそんなに変わらないよ?」
「そこはどうでもよいのです。どうにか女の子らしく育ててもらえないものかと」
「んー……」
那岐は腕を組み、しばらく考え込んだ。だが、そもそも自分自身が「女の子らしく育てる」というものをよく理解しているわけでもない。
「とにかく普通に育ててみるよ。女の子らしくと言われても困るけど、私のやり方でいいのなら」
「助かります。時間と環境が、あの子たちの変化に繋がればよいのですが……」
「月読も苦労しているのだねー」
那岐が少し笑うと、月読も肩の力を抜いた。
「私も父上と同じく、そろそろ引退したいものです」
「ふふっ。それはなかなか難しそうだね」
その後は久しぶりに親子二人きりで酒も交えながら、昔の出来事や離れていた間の話をして過ごした。政治や戦から少し離れた穏やかな時間の中、二人は夜が更けるまで笑いながら昔話を楽しむのだった。
翌日、双子は那岐と狭野の前に座していた。
「いいかい。ここにいる者は、学びを受けないといけません」
那岐が穏やかに告げると、竹はすぐに反論した。
「私に学びは必要ありません。那岐様への護衛という任務があります!」
八歳とは思えないほど、はっきりとした意思を持った言葉だった。那岐は感心しながら竹を見つめたが、その返事は変わらなかった。
「それなら、宇佐へ戻ることになってしまうかな」
その一言で、竹と浦の表情が固まった。せっかく与えられた役目を失い、再び居場所までなくなってしまうかもしれない。そんな不安が二人の胸に広がった。
「私は基本的に護衛を必要としていません。でも、ここで狭野と一緒に学ぶというのなら、二人が私の護衛をすることを許可しましょう」
「竹、学べるならいいじゃない。知識のある人なんて滅多にいないんだし」
浦がそう言うと、竹は納得できない様子で眉を寄せた。
「護衛の任務に学びなんて必要ないでしょ」
「でも、学ばないと護衛の仕事をやらせてくれないんだよ」
「…………」
竹は言葉に詰まった。そんな彼女へ、那岐は柔らかく笑いかける。
「何事も経験だよ。今は必要ないと思っていても、将来きっと役に立つこともあるさ」
しばらく黙り込んでいた竹は、やがて諦めたように小さく息を吐いた。
「……わかりました」
どうにも不満そうではあったが、竹はしぶしぶ那岐の条件を受け入れた。
狭野にとって、二歳年上の双子は自分よりも大きく、最初は少し怖い存在に見えていた。しかし、打ち解けるまでにそれほど時間はかからなかった。
竹は何かと口うるさく叱ってくるものの、浦は弟ができたことを喜ぶように狭野を可愛がってくれた。二人ともそれぞれ癖のある性格ではあったが、自分に敵意があるわけではない。狭野も次第に双子へ親しみを感じるようになっていった。
ある朝、竹は狭野の様子がおかしいことに気づいた。布団の中でもじもじしながら、なかなか起きようとしない。
「狭野、起きなさい。これ、どうしたの?」
竹が毛布へ手を伸ばすと、狭野は慌てて押さえようとした。
「な、なんでもない!」
しかし竹はそのまま毛布をめくり、すぐに事情を察した。狭野は必死に誤魔化そうとしたものの、見られてしまった恥ずかしさに耐えきれず、とうとう泣き出してしまう。
「うぅ……」
浦は最初こそ面白そうに眺めていたが、本当に泣き始めた狭野を見ると、さすがに可哀想になった。
「もう竹、そんなに言わなくてもいいじゃない」
「別に責めてないわよ。仕方ないわね、狭野。着替えなさい。毛布は干しましょ。服は洗いに行くわよ」
「自分で洗う!」
狭野は涙を拭いながら言い張った。
着替えを済ませると、濡れた衣を抱えて水場へ向かう。誰にも手伝ってもらわず、自分で何とかしようと懸命に洗い始めたが、まだ幼い狭野ではなかなか上手く汚れを落とせない。
しばらく黙って見ていた竹が、とうとう手を差し出した。
「貸しなさい。そんな洗い方じゃ落ちないでしょ」
「やだ! 自分でする!」
「でも、それじゃいつまで経っても終わらないわよ」
狭野は衣を抱え込んだまま、頑として渡そうとしない。
その二人を見ていた浦が、間にしゃがみ込んだ。
「じゃあ三人でやればいいじゃない」
竹と狭野が同時に浦を見る。
「一人で洗いたいなら狭野も洗えばいいし、竹も手伝えばいいでしょ。私もやるから、それでおしまい」
結局、三人は水辺に並んでしゃがみ込み、一枚の衣を一緒に洗うことになった。
「那岐様には内緒にしててね……」
狭野はこれ以上、誰にも知られたくないらしく、恥ずかしそうに二人へお願いした。
「いちいちおねしょまで報告しないわよ」
竹が呆れたように答える横で、浦は楽しそうに笑った。
「明日もおねしょしたら、また三人で洗濯だねー」
「もうおねしょしないもん……」
狭野は頬を膨らませながら言い返した。
こうして一緒に暮らし始めたものの、那岐にとって狭野、竹、浦の三人の教え子は揃って問題児だった。何しろ三人とも文字の読み書きにまるで興味を示さないのである。
勉強嫌いばかりが揃った学びの場で、那岐は何とか文字を教えようと苦戦することになった。田の仕事や治水など、外へ出て実際に体を動かす学びには辛うじて興味を示してくれるのだが、それでも隙があれば三人ともすぐにサボろうとする。
これまで那岐が教えてきた者たちは、ほとんどが自ら教えを請うてきた者ばかりだった。那岐自身が進んで教えようとしたわけではなく、知識を求める者たちに頼まれて教えてきたのである。
それだけに熱心な者が多かった。中には次から次へと質問を繰り返し、いつまで経っても那岐を解放してくれないほど勉強好きな者までいた。
そんな経験ばかりしてきた那岐にとって、目の前の三人との落差はあまりにも大きかった。
「これは大変だ~」
那岐は困ったように笑いながら頭を抱えた。勉強嫌いなこの子たちを、どうすれば少しでもやる気にさせられるのだろう。今までとはまるで違う難題を前に、那岐はしばらく悩むことになるのだった。
※本作は『【新説古事記】邪馬台国叙事詩―神代建国譚―』の神武編を、神武天皇を主人公として再構成・再執筆した独立作品です。本作単独でお読みいただけます。




